第9話 レオパルド邸の秘密(1)
「待って、猫ちゃん!?」
がばっと起き上がると、金色の瞳と目が合った。昨夜わたしを案内してくれた、黒髪エキゾチックな美少年だ。
窓際でレースのカーテンを引こうとしていた手を止めて、彼は言った。
「な、なんだよ。驚いたじゃないか」
「あっ……ごめんなさい……」
寝ぼけて叫んでしまった気恥ずかしさを照れ笑いで誤魔化して、きょろきょろと辺りを見回した。
三回寝返りを打ってもまだ余りある、キングサイズの豪華なベッド。たっぷりとしたスペースに高級家具が点在する、キラキラとした女性用の部屋。
(あぁ、転生は夢じゃなかったんだ……)
まずは自分の存在がそこにあることに安堵する。それから左右を見て、『誰かと同衾している』というようなあやまちが起きていないことにホッと息をついた。
寝間着代わりにしたバスローブも、きちんと着込んだままだ。襟元を整えながら布団を除けて、ベッドサイドから足を下ろす。マットレスに腰かけたまま、メイドの代わりに様子を見にきてくれたらしい少年に声をかけた。
「あの……わたし昨日、うっかり隣の旦那様のお部屋に入ってしまって……」
「ルシウス様から聞いた。寝室に侵入したうえ、逃げようとしてベッドから落ちて気絶したんだって?」
だいぶざっくりとしているが間違いではない。気絶した原因はルシウス様の色気にのぼせたせいだと思うのだけど、あえて墓穴を掘ることもないだろう。
少年によれば、あのあとルシウス様がわたしを部屋に運び、ベッドに寝かせてくれたのだと。最初は少しぶっきらぼうにも見えたが、実は紳士的な一面もあるのかもしれない……そんなふうに情景を思い返していると、
「まさか夜這いをかけるとは、やるな~」
思わぬ不意打ちにゴホゴホと激しくむせ返った。子どもが急になにを言いだすのか。
「ち、違うのよ、けして夜這いとかではなくて……!」
「どうでもいいが、起きたのなら顔を洗え。枕元の台に洗面用の水があるから」
「あ、ありがとう。えっと……」
いいかげんに名前を呼びたいと、ちらちらと視線を送る。するとへの字になっていた少年の唇が、仕方ないなというふうにもごもごと動いた。
「不便だからな。名を呼ぶことを特別に許す。ロキでいいぞ」
「それじゃあ……ロキ君?」
「ん……。以前のおまえは鼻持ちならなかったが、今のおまえの匂いは嫌いじゃない。名を呼ばれても不快じゃないのは不思議だ」
それはよかったと胸を撫で下ろす。タオルを持った彼がそばにきて、スンスンと鼻を寄せてきたので、つい頭を撫でたい衝動に駆られた。本当に猫みたいな子だ。
ぬるめの水で顔を洗い、受け取ったタオルで顔を拭くと、頭もすっきりと冴えてくる。
「ロキ君は……わたしが変わったって、わかるのよね?」
「オレ様は特別だからな! 匂いでわかるとも」
思わず、尊ぶような気持ちで彼を見た。転生したなどという荒唐無稽な話を、どう打ち明けていいかわからない。けれども先入観なく素のままのわたしを受け入れてくれる存在を得られたことは、とても心強い。
ひとまずアレクシアとしての記憶がないという点については、正直に打ち明けておくことにした。改まって話をすると、彼は驚きも疑いもせずに「ふぅん」と頷く。理由もなにも尋ねてこないが、すでに感覚的に知っているから、それがどうしたという呈らしい。
つきっきりで相談に乗ってほしいと頼んだが、忙しいと断られてしまった。
「用が済んだから、ルシウス様のところへ戻る。おまえの目が覚めたら報告するよう言われているんだ。頭を打ったらしいが、元気そうだから問題ないよな」
「え、ええ。まぁ……」
そういえばと頭頂部に手をやると、小さなたんこぶができていた。ルシウス様が報告を命じたということは、わたしのことを少しは気にかけてくれているのだろうか。
「それじゃあ、朝食を用意させる。食事は今までどおり部屋で済ませるので構わないな」
よくわからないままに頷くと、ロキ君が服のポケットからベルを取り出しチリンと鳴らす。するとメインルームのほうからひとりの女性が銀色のテーブルワゴンを押しながら入ってきた。
「失礼いたします……。お、奥様、おはようございます……」
(わぁ、生メイドさんだ……。お世話してもらっちゃっていいのかしら?)
そう思いながら挨拶を返し、にこにこと眺めていると、当の彼女の様子が明らかにおかしい。給仕をする手は、ブルブルと震えている。案の定、手を滑らせてしまったのか、ガチャンと耳障りな音が鳴った。
「ひっ! 申し訳ありません……!」
メイドの怯え具合は尋常ではなく、気の毒になるほどだ。最後は駆け足で用意を済ませ、逃げるように部屋を出ていった。
「やっぱりわたし、怖がられているのね……」
「そりゃあな。部屋つきの役目は解かれても、仕事だから最低限の従事は誰かがしなきゃならない。だが皆、ここへ来るのを嫌がる。押しつけられるのは、立場の弱い新人だな」
メイドの皆には、なるべくわたしとふたりきりにならないようお触れが出ているという。どうしても直接に対応しないといけない場合は複数人で、またはロキ君か、片割れのヒルダさんが立ち会うようにと。
「勘違いするなよ。オレ様とヒルダはただの従者じゃない。ルシウス様だけに仕える尊い存在なんだ。ルシウス様の命令だから、仕方なくおまえの世話をしている。いや、世話というより監視だな」
「本来は旦那様直属の側近というわけね……。ありがとう」
素直にお礼を口にする。ロキ君には驚いた顔をされたけど、当然のことだろう。おとなでも匙を投げるような仕事を、小さな彼らが引き受けてくれているのだから。
「以前のわたしは、あなたたちに酷いことはしなかった?」
「ああ、おまえはオレたちのことを怖がっていたからな。最初に死ぬほどビビらせてやったから……あれは面白かったな、ククッ」
どこまでが本当かわからないが、その口ぶりからするに、ふたりに害は及ばなかったようだ。旦那様が目をかけている子たちだから、さすがのアレクシアも悪さをすることができなかったのかもしれない。
「ちなみにヒルダにはあまり近づかないほうがいいぞ。ルシウス様以外の人間を毛嫌いしているし、おまえのことも大嫌いだから、攻撃される可能性が高い」
「うん、わかったわ」
親切なアドバイスに少しだけ心を解されて、ヒルダさんにも嫌われているという新たな情報にはチクッと傷ついて――。
ロキ君が部屋を出ていったあと、テーブルに向かい、ひとりで朝食をとった。
温かいスープに焼き立てのバターロール。ふわふわオムレツとパリッとしたウインナーに新鮮野菜を添えて。
こんな贅沢な朝食、貧困に喘いでいた父との生活で味わえた試しがない。泣きたくなるほど美味しかったが、どうしてか味気なくも感じてしまう。
(わたしがロキ君くらいの年齢だった頃は、家族三人で、こんな朝食をとったこともあったっけ……)
おぼろげにしか思い出せない、過去の家族の面影が頭の奥を掠めていった。
向き合うべき新しい生活には問題が山積みで、気が重い。アレクシアが悪事を働いたすべての人に謝りたいけれど、上辺だけ取り繕っても受け入れてはもらえないだろう。
どちらにせよ、まずは自分自身と己を取り巻く状況について、詳しく知ることが急務だ。
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