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第8話 もうひとつのベッドルーム(2)

 彼は固まってしまい、すぐに要求に応じてくれる気配がなかったため、思い切って相手の脇の下をくぐるようにして強行突破することにした。


 もぞもぞと体を丸めて囲いを抜け出し、そのまま這いながら、ベッドの端を目指す。適当な辺りで起き上がろうとシーツの上に両腕をついたのだが、


「えっ」


 体重をかけたとたんに布が前方にずれて、がくんと土台を失った。


 寝台幅の目測を誤ったと気づいたときにはもう遅い。ベッドサイドからずり落ちた両手は宙をかき、体は前のめりに傾いていく。


「……ああっ!」


 こういうとき、近くにいる紳士が手を伸ばして支えてくれる――なんて都合のいいことは起こらずに、そのまま順当に転んで頭から落下していた。ゴツン、と鈍い音が深夜の寝室に虚しく響く。


「いったぁ……」


 厚い絨毯が敷かれているとはいえ、それなりに衝撃はある。ベッドの下にひっくり返ったまま起きられずにいると、ふいに遠慮がちな声が降ってきた。


「すまない。少し驚いていて……手を貸すのが遅れた」


 逞しい腕が背中に差し込まれ、勢いをつけてぐいっと抱き起される。


(なんですか、もう。今さら……)


 恥ずかしいし痛いしで、目頭が熱い。抵抗する気力も起きずに力なく身を任せていると、すっぽりと抱えられた腕の中で、ぬくぬくとした体温が伝わってきた。


(あ、人肌って心地いい……)


 少し気分が落ち着いたところでうっとりと瞼を開くと、視界に彼のはだけた胸元が飛び込んでくる。しかも、わたしの罪な頬っぺたは、張りのある素肌にモロに押しつけられている状態だ。


(ひゃあああ!)


 クワッと目を見開き、全身を緊張させた。すぐに離れなくてはと思うのに、体が動かない。はしたないと思いつつ、得も言われぬ気持ちよさに逆らえずにいる。


 心臓がドクドクと早鐘を打っている。脈の乱れっぷりがすごい。頭に血が上って、このままじゃ失神するか、鼻血を噴いてしまいそう。


(それは嫌……男性に抱かれて興奮するあまりの流血の惨事だなんて、恥ずかしくて死ねる!)


「おい……アレクシア?」


 素敵な声が追い打ちをかけてくる。ダメよダメよと思いながらも、心配しているかのような声音に、目線が引き寄せられた。

 物憂げに見下ろす青い瞳と視線がぶつかる。ギュッと胸が詰まって、呼吸が止まる――。


「大丈夫か?」

「ひゃう! ……ダメ、かも、です……」


 ひゃっくりみたいな悲鳴を上げて、意識をシャットダウンした。


     *


(なんだかふわふわして、気持ちいい~……)


 体が浮いているような感覚がして、うっすらと瞼を開けた。


 目の前には真っ暗な闇が広がっている。けれども周囲には星屑がキラキラと輝いて、まるで宇宙空間を漂っているみたい。


『――新しい世界はどうかニャ?』


 唐突に声が聞こえた。頭の中に直接響いてくるようだ。


 声の出所を探して意識がさまよう。すると正面に光の粒子が集まってきて、小さな動物の姿を象った。三角の耳に細長い尻尾、しなやかな丸みを帯びたこのフォルムは――。


「あなたは……公園にいた猫ちゃん?」


『うん。あたちのせいで、君を死なせてしまって……ごめんニャ……』


 語尾に「ニャ」が混じる舌足らずなしゃべり方がなんともいえず愛らしい。


「……いいえ、あれは仕方のないことだわ。恨んでもいないし……」


 どこまでも穏やかな気持ちになって気持ちを伝えると、ふわりと和んだ気配が伝わってくる。


『ありがとニャ。お詫びといってはニャんだが、君に特別なプレゼント。ねぇ知ってた? 猫は十の命を持ち、十の世界で生きているんだニャ。あたちの命のひとつを、君にあげる。ちょっとつまずいた感があるのはご愛敬ニャ。新しい人生を受け取ってニャ――』


 そっか。なるほど、あなたがわたしを転生させてくれたのね……。


『あたちはもう次の世界に行かなくちゃ。どうか楽しんでニャアン――』


 気持ちは嬉しい。とってもありがたいけれど、猫ちゃん。

 ほら、どうせ斡旋してくれるのなら、もっと平和な世界で、夫婦仲のいい家庭とか、自由に未来を選べる赤子のうちに覚醒するとかね……。


 それに猫ちゃん、アレクシアとしてのあなた、やりたい放題しすぎじゃない!?

 欲張るものじゃないとわかっているけど、できるなら、転生先とタイミングは選ばせてほしかったのだけど――!?


 すでに言葉が通じていないのか、答えは返ってこない。光の粒子は輝きを弱め、霧散するように消えていく。


 わたしのすがる思いは対象を見失い、温かな闇の中に吸い込まれ、溶けていった。


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