第7話 もうひとつのベッドルーム(1)
よく見ると、ベッドルームの奥まったところにもうひとつ扉がある。寝具などをしまう場所かと思っていたが、違うのだろうか。
(このままじゃ気になって寝られないわ。誰かが隠れていたら嫌だし……)
確認しておこうと身を起こし、ベッドから下りた。
ドアの前に立って、じっと耳を澄ませる。ノブに手を置き、そっと回してみると、鍵はかかっていないようだ。思い切って、そのまま「えいっ」と押し開く。すると、
(……?)
扉の向こうには、意外にも広い空間が広がっていた。
ランプの火は落とされて、室内は暗く静まり返っている。窓から差し込む月明りに照らされた部分だけが浮き上がり、光の当たらない場所は闇に沈んでなにも見えない。
暗がりの中でも、そこが寝室だということはすぐにわかった。アレクシアの部屋と同じレイアウトで、より大きな天蓋つきのベッドが目の前に置かれていたからだ。
(寝室の隣に、寝室がある……?)
奇妙な感覚にとらわれて、ふらりと足を前に進めた。
思えばそこで引き返すべきだったのだ。なのに、そのときのわたしは思考力が落ちていて、人の気配はないものと思い込み、油断していた。
吸い寄せられるようにもうひとつの寝台のそばに近寄ると、ばさりと毛布がめくれ上がるのが見えて、腕を掴まれ引っ張られた。
「きゃっ……!」
なにが起きたかわからないままベッドの中に引きずり込まれたと思うと、間髪入れずに上から大柄な体がのしかかってくる。右の手首をがっちりと握られ、マットに沈むように体を押さえつけられて、例えようもない恐怖を感じて竦み上がった。
自由になる左手で、相手を押し返して逃げようと力を込めるが、岩のような体は頑丈で、びくともしない。
「嫌! は、放して……!」
必死で首を左右に振ると、顎を掴まれ、顔を正面に向けられた。見れば、吐息がかかるほど近くに、見覚えのある彫像のような顔が迫っている。
「……ルシウス、様?」
問いかけると返事の代わりに、彼は長い睫毛を揺らして瞬きをひとつした。闇の中でも美しいその瞳に目を奪われて抵抗を止めると、じわりと痛みを伴っていた顎の拘束はすぐに解かれた。
驚きのあまり自然と名前を口にしてしまったが、大丈夫だったろうか。頭も舌も回らないままじっとしていると、苛立ちを含んだ低い声が投げかけられる。
「なんの用だ。なぜ扉を通れた? ヒルダの術による錠がかけてあったはずだが」
「え? 錠なんてかかっていませんでしたけど……」
「……なんだと?」
少しの沈黙のあと、ルシウス様がわずかに身を起こし、体が軽くなった。けれど完全に退いてくれたわけではなく、真上で四つん這いになっている状態なので、彼の下から逃れられたわけではない。
だんだんと暗闇に目が慣れて、目の前の相手の姿がよく見えるようになってくる。
あちらは入浴を終えてから間がないのだろう、彫像のように整った肉体にはバスローブ一枚を身に着けて、濡れ羽色の髪はしっとりと水分を含み、かすかな光を拾ってキラキラと輝いている。ほのかに香るせっけんの香りと肌に残る熱気が、壮絶な色気を醸し出し、まさに水も滴るいい男……!
興奮に沸き立つ頭で、はたと気がついた。
寝台の上で、薄着の男女が体を重ねているこの状況。自分たちは形の上での結婚だと思い込んでいたが、本当にそうなのだろうか。
不仲とはいえ、一応は夫婦。こうした接触は当然の義務とも捉えられる。まさか彼が言っていた「妻として役目を果たせ」とは、そういう意味で……?
恐る恐る、探るような視線を相手に向けた。わたしを組み伏せる彼は、まるでしなやかな獣のようだ。鋭い眼光に、首から肩にかけての、ごつごつした男らしいボディライン。さらに視線を下にずらせば、屈んだ彼のバスローブの合わせ目から、張り詰めた胸筋と見事に割れた腹筋がちらりと覗いている――。
(はわわ……! わたしったらなにを見ているのよ!?)
男性に免疫のないわたしの理性は、一瞬にして弾け飛んでしまう。火でもついたかのように顔を熱くしていると、その様子をじっと見下ろしていた彼の口元に、皮肉な笑みが浮かんだ。
「ああ……夜這いだったのか? あれほど傍若無人に振る舞っておきながら、ここにきて男を惑わす毒猫の本領発揮とは……。見苦しい悪あがきだ」
とんでもない言葉を投げかけられて、ひゅっと喉から変な音が出た。
(夜這い? まさかわたしが彼を襲いにきたと思われているの?)
そして続く言葉に、この事態を招いた部屋の構造上の問題を理解した。
「まったく、夫婦の部屋が繋がっているのも考えものだな。施錠の術が無効化した原因はわからないが、そういうこともあるのだろう」
どうやら夫婦であるわたしたちの部屋は位置的に隣り合っていて、互いの寝室にある内扉で直接行き来できるようになっていたらしい。扉には鍵をかけていたはずが、なぜかはずれていたと。
(それって、わたしに非はないじゃない……)
侮辱を受けたと気づいた瞬間、大きなショックを感じて、カッと頭に血が上った。勘違いされたままでは嫌だし、わたしにだってプライドはある。
「ち、違います! これは単なる事故で……。い、いくらあなたが格好いいからって、わ、わたしは初めて会う人と勢いでとか、そんな破廉恥なこと、絶対に無理ですから……!」
ぐっと感情を込めて睨み返すと、彼の青い瞳がわずかに揺らいだのがわかった。小動物みたいなわたしに噛みつかれるとは思わなかったのだろう。少しは意趣返しができただろうか。
とはいえ、しょせんは小心者のわたし。彼が怒りだすのではないかと怖くなり、一転して全身の震えが止まらなくなってしまう。そもそも、わたしのほうから彼の部屋に侵入したことは事実であり、逆ギレと言われればそれまでである。
突然のパニック発作に襲われたわたしは、早口にまくし立てていた。
「すすす、すみません、出過ぎたことを申しました。離婚予定の妻を相手に、そんな気は起こりませんよね……。じ、実はわたしも生々しいのは不得手なので、できれば今後もプラトニックでお願いしたいと……なにを言ってるんでしょう、わたしったら!?」
「……は?」
「ですから、その……もう夜も遅いですし今夜はこれで失礼しますので、そこを退いていただけませんか、旦那様……!」
お読みくださり大変ありがとうございました!
もし気に入って下さったら、
下の☆☆☆☆☆からの評価や、ブックマークをしてくださると、励みになります。
続きのほうも何卒よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ))ペコリ




