第5話 異世界に転生したわたしは人妻でした(3)
「……えっ」
鏡に映った自分の姿を見て、愕然とした。
けして少年が言うような間抜け面はしていない。むしろそこにあったのは、眩しいほどに魅力的な女性の艶姿。「アレクシア」の名がしっくりとくる、豪奢な貴婦人だった。
「な……なにこれ……これが、わたし!?」
叫びながら鏡を覗き込むと、理想の塊みたいな美しい顔が大写しになる。
年の頃は二十代前半くらい。雪のように白い肌に、椿の花のごとき鮮烈な赤い髪。こぼれそうに大きな瞳は、ペリドットを彷彿とさせる翡翠色。女性らしい曲線美を持つ体が絢爛豪華なドレスと相まって、まるで一国のお姫様のように見える。
「しかし変だな……おまえの魂の匂いは、たしかに変わった。あんなに嫌な臭いを振りまいていたのに、今は別人にでもなったみたいに、いい匂いがするぞ」
少年がまたもスンスンと鼻を鳴らし、小首を傾げて呟いた。いい匂いと褒められたのは嬉しいけれど、匂いどころかすべてが変わりすぎではないか。
(待って、本当にどうなってるの……? わたしは交通事故に遭って、それから――)
「うっ……!」
突如として走った頭痛に、顔をしかめる。その途端、車に体を跳ね飛ばされた記憶が脳裏をよぎり、凍りつくような感覚に包まれた。
すとん、とすべてが腑に落ちる。あれほどの衝撃を受けて、無傷でいられるはずがない。わたしはあの事故で命を失った。日浦香澄としての人生は呆気なく終わりを告げたのだ。
(それなら……どうして今、この場に立っているの?)
思わず胸に当てた手の平には、心臓がドクドクと脈打つ感覚がある。わたしはたしかに生きている――のよね?
深く息を吸い込んで、気を落ち着かせようと努めた。
(冷静に考えるのよ……。一度死んだはずのわたしが、別の人間となって異国情緒漂う場所に存在している。これはもしや……)
――『異世界転生』。
日本のライトノベルで大流行していた、一大ジャンルの名称が思い浮かんだ。
道半ばで死んでしまった主人公が、別の世界に生まれ変わって人生をやり直す。そんな奇跡があったらいいなの定番ではあるが、それがまさか自分の身に起きるだなんて。
いっそ夢を見ていると考えたほうが現実的だ。手っ取り早く確かめるため、自分の頬っぺたをぎゅっと指で摘まんだ。
「……ひひゃひっ(痛いっ)!」
思いっきり捻ってみても、夢から覚める気配はない。そんなわたしを見て、少年は悪戯な笑いを漏らした。
「夢ならいいと後悔しても、もう遅い。おまえがルシウス様の妻でいられるのも、あと三カ月らしいな。『扱いを改めないなら離婚も辞さないわよ!』なんて、執務室の外までおまえが自爆する声が聞こえて――おっと、盗み聞きしていたわけじゃないぞ、へへ」
「わたしが、そんなことを言ったの……?」
そのあたりから、わたしの記憶にもある執務室でのワンシーンと重なってくる。「離婚に応じよう」と答えた男性の、冷然とした表情がまざまざと思い出された。まさに犬も食わない夫婦喧嘩、引いては別れ話の真っ只中だったのだ。
(そんな修羅場の途中に、日浦香澄であったわたしの魂がアレクシアの体に宿ったということ? なんて間の悪さなの……!)
ただ呆然とするわたしを、少年は引き続き、得意げな顔をしていじってくる。
「自分は虐待されているだのなんだの騒いでいたが、メイドを叩いたり熱湯をぶっかけたりして虐めていたのは誰だ? 見かねたルシウス様が部屋つきのメイドをはずしたってのに、反省するどころか切れ散らかして、不満をぶつけて――」
まぁ誰なのかしら、そんな物語に出てきそうな性格のひん曲がった女主人は。
あっ、やめて、答えを言わないで! 心の準備がまだ……。
「ぜーんぶおまえだ。おまえが悪い。それなのに別れるだなんだと主人を試そうとするから愛想を尽かされたんだ。ルシウス様からすれば国から押しつけられた結婚で、最初から愛情なんてものはなかっただろうがなっ」
(やっぱりね……。そんなことだろうとは思ったけど……)
どうもこの体の元の持ち主であるアレクシアという女性は、かなり苛烈な性格でもって周りを困らせていたようだ。
離婚をチラつかせて夫を脅すつもりが受け入れられてしまうとは、なんとも自業自得な話である。夫の側からすれば面目を保ったまま別れられるなら、これ幸いといったところだろう。だから廊下でのやりとりの終わりに「英断」などという皮肉を投げてきたのだ。
アレクシアの本音は確かめようもないが、おそらく離婚は本意ではなかったはず。浅はかな失言を後悔していたと思う。だって、わたしが目覚めたとき、胸の中にざわざわした気持ちが残っていたから。
そのこととわたしがこの身に宿ったことの関連性は不明だが、これまでアレクシアとして生きてきた記憶が残っていないのは大きな問題だ。ひとりで生きていく術がない状況で、他人のしでかした業まで引き継ぐはめになるなんて。
「困ったわ。これからどうしたらいいの……?」
焦りを口に出したわたしを楽しげに一瞥し、少年は言った。
「とにかく、今夜はもうおとなしくしてろよ。これ以上手間をかけさせるなら、こっちにも考えがあるぞ!」
彼の言うとおりだ。こんな真夜中に、いつまでも引き止めておくのも申し訳ない。
「わかったわ、ありがとう。なら遠慮なく、このお部屋で休ませてもらうわね」
「えっ? あー、うん。どうも調子が狂うな……」
拍子抜けした様子の少年は、室内にあるものは自由にしていいと親切に言い添えて、何度もこちらを振り返りながら去っていった。
*
(それにしても……アレクシアって綺麗な女性ね!)
ひとりになってからのわたしはドレッサーのスツールに座り、しばらくの間、自分の顔を見つめていた。
鮮やかな色合いの髪と瞳を持つ、瑞々しい貴婦人。くっきりとした美貌は気が強そうな印象も受けるが、少し表情を緩めれば紛うことなき美人であり、華やかな雰囲気は大輪の薔薇のごとしである。
(前よりも若返って、美しくもなれて、おまけにお金持ちの伴侶がいるだなんて……これってすごくラッキーなことよね?)
信じがたい状況にいるというのに、意外にも落ち着いていられるのは、やっぱり中身が香澄であったわたしだから。なにせ前世では、父の借金を返すためにヤのつく事務所に乗り込んだこともあるのだ。いざとなると肝が据わるのは、わたしの特技かもしれない。
なにごとも、くよくよ悩んでいても仕方がない。せっかく第二の生を得たのなら、楽しんだほうが得だ。望もうが望むまいが、わたしは「アレクシア」として生きていかなければならないのだから。
颯爽と立ち上がり、眩しいほどの贅を尽くした室内に目を向ける。結婚生活に暗雲が漂っていることを除けば、文句のつけどころのない、素晴らしい環境だ。
とりわけ気になる点は、夫であるルシウスという人物のこと。
(びっくりだわ、あんなイケメンとわたしが結婚しているなんて……。なんとお呼びすればいいのかしら。ルシウスさん……なんて雰囲気じゃないわよね。ルシウス様? それとも旦那様とか? あぁどうしよう、緊張してきた……!)
自慢じゃないが、香澄であった頃は男運もご縁もなかった。アラフォーと呼ばれる年齢になるまで彼氏のひとりもできた試しがない。結婚を夢見ないことはなかったが、自分には無理な話だとはなから諦めてもいたのに。
シンプルに、彼のことをもっと知りたいと思った。あの場では怒っていたようだけど、機嫌を直して笑顔になった彼はどんなふうに映るのだろう。
「ルシウス様……。わたしの旦那様、か」
確かめるように口ずさんで、熱くなった頬を両手で包み込む。ろくな手入れもしていなかった以前のわたしとは違い、お肌がしっとりすべすべで触り心地がいい。
こんなにも恵まれた容姿でいるのだから、どうにかして離婚しないという選択肢はないのだろうか。破局寸前とはいえ、嫁いでからまだひと月だというし、ひとまず和解してお互いを知っていけば、もしかしたら――。
お読みくださり大変ありがとうございました!
もし気に入って下さったら、
下の☆☆☆☆☆からの評価や、ブックマークをしてくださると、励みになります。
続きのほうも何卒よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ))ペコリ




