第47話 わたしの新しい人生(2)
「くだらぬことを……」
額に青筋を立てたルシウス様が睨みつけると、書類を運んだ男は震え上がって自分の席へと舞い戻る。
「落ち着きなさい、ルシウス。……アレクシアさん、いいかしら」
正面奥の席のグレイス様が声を上げ、わたしと目を合わせた。
「アーサー王子の取り調べが進む中で、協力者としてあなたの父親、ブラッドリー侯爵の名前が出ているそうよ。今も逃亡しているということは後ろ暗いことがあるんでしょう」
「はい、そのとおりです。そして父が悪事に関わっているとなれば、わたしにも累が及ぶ。レオパルド家の顔に泥を塗る前に縁を切るべきだと、皆様はそうお考えなのですよね」
すると机を囲む人々が騒ぎはじめ、室内が喧しくなる。
「わかっているならすぐに身を退け! 我が家門から犯罪者を出すなどあってはならん!」
「そうだそうだ! だいたいこの婚姻ははじめから問題ばかりだった! 王命とはいえ世間体の悪い女を押しつけられて、黙って受け入れたのが間違いだったのだ」
そこで我慢の限界を超えたルシウス様が、ドンッと拳を机に叩きつけた。
「黙れ。これ以上戯言を続けるなら、その口を二度と開けないようにしてやる」
ふだんは冷静で礼儀をわきまえている若き当主が、自分たちに逆らうなんて思ってもいなかったのだろう。空威張りしていた者たちは面食らった顔で口を閉ざした。
彼らの怯えた顔を見て胸がすっとする。しかしながら、わたしの中ではとうに結論が出ていた。
そばにある彼の拳の上に手を置き、そっと声をかける。
「いいんです。ルシウス様。なかなか言い出せなくてごめんなさい。皆さんがおっしゃるとおり、わたしと離縁してください」
「……なんだと?」
彼が語尾を跳ね上げて、怪訝な視線を向けてくる。
こちらも体を少し横に向け、見つめ返した。言いよどみはしない。これまで何度となく伝えようとしていたことだから。
「あなたに迷惑をかけたくはありません。それに、もともとわたしたちの結婚は王太子と父により仕組まれたものでした。わたしはあなたの命を奪うためにこの家に嫁いだのです。今さら謝ってもどうにもなりませんが、本当に申し訳なかったと思っています」
さすがの彼も、自分を害そうとしていた女を妻として受け入れることはできないだろう。落胆、呆れ、怒り、そんな反応を見越して心構えをしていると――。
「なんだ、そんなことか」
「えっ? ですが……」
意を決して告白したのに、他愛ないことのように言われて拍子抜けしてしまう。わざととぼけているのだろうか。
恐るおそる彼の表情をうかがい見るが、そこにはいつもの理知的な顔がある。
もういちど説明を繰り返すべきか迷っていると、さっと手の上下が入れ替えられて、強く握り込まれた。
「見くびらないでほしい。君の家の企みには薄々感づいていたさ。部屋に内鍵をかけていたことを覚えているだろう。君は自分自身を責めるが、俺もたいがい酷い夫だった。もし君が仕掛けてくるようなら正当防衛もやむなしと、薄情なことを考えたこともある」
だからお互い様だ、と言われて納得できるはずもない。「でも」と抵抗するわたしを丸め込もうと、彼が攻勢を強めた。
「君はもう実家とは縁を切り、レオパルド家に降嫁した身。俺の妻のアレクシア・レオパルドだ。父親が罪を犯そうが関係ないし、俺にとって君の代わりはいない。縛りつけてでも手離すつもりはないから諦めてくれ」
あまりの暴論、というか強引な結論に開いた口が塞がらない。途方に暮れるわたしに、彼は目元を和らげて微笑んだ。
「前にも言ったが、ひとりで抱え込む必要はない。もっと俺を頼ってくれないか。どんな苦境も、ふたりで一緒に乗り越えていこうと約束しただろう?」
「ふたりで……一緒に……」
それを聞いて、心に爽やかな風が吹き込んだような気がした。目の前に立ち込めていた霧が晴れていく、そんな心地だ。
(本当にいいの……? あなたの足手まといになっても……)
香澄として存在していた頃から染みついていた、誰にも頼れないという強迫観念。
本当は助けてほしいと願っていても口には出せず、強がって生きてきた――そんな面倒な自分ごと愛してくれるという人が、今目の前にいる。
(彼を信じたい。わたしはもう、ひとりじゃない……)
瞳に輝きを戻したわたしを見て、夜空に輝く一番星のようなその人は安心したように微笑んだ。
「伝わったようだな」
「はい……。けれどこの身には、お返しできるものがありません。ですが、こんなわたしを求めてくださるのなら、わたしはあなたに一生を捧げます」
「十分だ」
――ゴホン! ンッ、ンッ!
うっとりと見つめ合い、ふたりだけの世界に浸っていると、不快な咳払いに水を差された。その場に意識を戻すや否や、最初に発言をしていた黒髭の男が無神経な大声でがなり立ててくる。
「なにを勝手に盛り上がっている。前衛的な話し合いをするかと思えば、甥が色ボケしているとは情けない! 姉上も、黙っていないでなにかおっしゃってはどうか!」
ルシウス様を甥と呼んだということは、黒髭の男は彼の叔父であり、そしてグレイス様の弟に当たる人らしい。
気の収まらない様子の黒髭――家系図を頭の中で紐解いたところ、名はノートン、爵位は伯爵――は、短気で自己中心的な気質を隠さずに、ぐちぐちとぼやきはじめた。
「嫁の尻を追いかけているようでは先が知れているぞ、ルシウス。おまえの父親セリオンも、卑しい出自なだけあって融通の利かない男だった。我らの意見には耳を貸さず、信条に従ったあげくの早死にだ」
(この男、いったいなにを言い出すの……?)
不愉快な話を耳にし、眉をひそめた。一部の空気が凍りつくのも感じたが、伯爵は調子に乗るばかりで口を閉じようとしない。
「とどめを刺し損ねた竜が報復のため村を焼き、逃げ遅れた村娘を庇っての最期……美談として伝わっているが、あれではいかん。本家を任されたのなら、もっと家門のことを第一に考えるべきだったのだ。なぁ、我が息子よ」
「ええ、父上。伯父上の行動は、将としても家門の長としても失格だと思います。それに残されたグレイス伯母上が悲しむとわからなかったのでしょうか」
伯爵が隣り合って座っている自分の息子だという若者と盛り上がる様子を見て、猛烈な怒りが沸き上がった。なんという不敬な者たちだろう。とってつけたようにグレイス様を立てているが、故人に唾を吐きかけるも同然の内容だ。
こんな話題を続けられてはかなわない。躊躇なく立ち上がり、言い放った。
「命を救って身罷られた方を、卑下するのはおやめください!」
「はぁん? 説教をするとは生意気な。先ほどは離婚を受け入れる姿勢を見せて愁傷にしていたと思えば、ついに正体を現したな」
「離婚を視野に入れたのは、ルシウス様のことを思ってのことです。ただ年長というだけで中身のないあなた方の言うことを聞く気はありません」
「腹の立つ女だ! いいか、優しく口で言ってやっているうちに、その書類にサインしろ。でないと痛い目に遭わせて……あいたっ!」
怒鳴っていた伯爵が、突然に呻いて仰け反った。なぜかというと、これまで静観していたグレイス様が、彼の顔面に扇を投げつけたからだ。
「ノートン、我が弟ながら見下げ果てたわ。そんなだから本家の跡目に選ばれなかったというのに、本当に成長しないわね、この愚か者!」
「えっ、姉上、なにを怒ってらっしゃるので……?」
どうやら伯爵には、グレイス様が明らかに気を悪くし、激怒している理由がわからないらしい。
グレイス様は冷え切った目で伯爵親子を一瞥すると、席を立ってこちらに向かってきた。
脇目を振らずに目の前に来たグレイス様が、押し殺したような声で言う。
「……あなたたち、離婚する気はないのね」
「はい、グレイス様。申し訳ありませ……えっ?」
頭を下げようとしたそのとき、グレイス様は机上にあった離婚届を取り上げて、ビリビリと破っていた。
「ど、どうして……」
「わたくしも、あの議会場の傍聴席で、あなたたちのことを見ていました。あなたの真心は十分伝わってきたわ。これまでの印象を覆すには、時間がかかったけれど……。呼び方を義母と改めなさいな。あなたはもうレオパルド家の嫁なのだから」
そう言って目を合わせた高貴な青の瞳には、南国の湖のような暖かな色が浮かんでいる。
「なにを言うのです、姉上! その女は家門のためにならないと、あれほど……」
「おだまりなさい、ノートン。今後いっさい、ふたりの仲に口を出すことは許しません。それから、わたくしの誇りである夫をよくも侮辱したわね。家門の名を高めてくれたあの人に感謝もしないおまえたち親子には相応の罰を与えるわ。当面の間、家門御用達の店との取引を禁じます」
「え、そんな……そうしたら食料や服の調達はどうすれば……お待ちください、姉上!」
足早に扉から出ていくグレイス様を伯爵が追いかけていき、その息子もあたふたとあとを追う。残された者たちも慌てて席を立つと、愛想笑いで誤魔化しながら転がるように去っていった。
どうやら面倒事は綺麗さっぱり片づいたらしい。
(グレイス様……いいえ、お義母様。わたしを認めてくださった……)
大きなことをやり遂げたという思いが、全身に漲っている。
この気持ちを共有しようと夫のほうに顔を向けると、煌めくような笑顔と抱擁が待っていた。
「……アレクシア、ありがとう。……愛している」
なにより嬉しい言葉を上乗せされて、わたしはこの日、愛する人の家族の一員として正式に認められたのだった。
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お読みくださり大変ありがとうございました!
これでようやく、すべての問題が片付きました。
残り2話になりますが、見届けていただけると幸いです。
アレクシアのご褒美回。よろしくお願いいたします!




