第44話 愛する人のために(5)
「……なんだと?」
「おいアレクシア、おまえ……!」
「話が逸れてしまいました。これ以上の議論は無意味でしょうから、もう結構です。わたしは公国の要求に従おうと思います」
開き直ったわたしの投降宣言に、ルシウス様が焦りを見せた。
「アレクシア! いったいなにを……」
顔色を変えて前に出てこようとする彼を、駆け寄った兵士が必死に押しとどめている。
(ルシウス様……短い間でしたが、あなたと巡り合えて幸せでした)
そう決心したはずなのに、内心では未練がましくもがく自分がいて、心が引き裂かれそうだ。
本当は、こんなかたちで幸せを手放したくなんてない。
ルシウス様のよき妻となり、子どもをつくり、よき母となって温かい家庭を築いていきたかった。
もっとたくさんの幸せな思い出を、あなたと重ねていきたかった。
けれども刺客として嫁いだようなわたしには、どのみち愛される資格がない――だからこそ、焦がれる思いをしまい込み、戦うべき相手と向き合うことを決めたのだ。
計画を崩された王太子は、わたしを睨みつけると早口に罵り、脅しにかかった。
「愚か者め。公国へ行けばおまえの命はない。本当のことを言ったほうが身のためだぞ!」
「ならば言わせていただきますが、ルシウス様にあらぬ罪を被せようとするのはおやめください。臣下に嫉妬し罠にはめようとするなんて、恥ずかしいと思わないのですか? それも自分が捨てた姫をけしかけて」
「なっ、なにぃ……!?」
わたしの発言を受けて、人々はこれまでとは違う様子でどよめいた。
誰もが気まずい表情を浮かべている。おそらくふだんは見えないふりをしているだけで、王太子がルシウス様に難癖をつけていることはわかっているのだ。
「あなたがどれほどあがいたところで、ルシウス様の名声はビクともしません。うちの父と組んでなにかしている悪事も、いつか露見するでしょう」
「この私を愚弄するとは……もう許さんぞ! 冒とく罪でこの場で処刑してやる!」
王太子は激昂して立ち上がると、腰の剣を抜いた。
けれどこれは想定の範囲内。公国で無残な死に際を迎えるくらいなら、ひと思いにカタをつけたい。短気なこの男ならこう出るだろうと狙ったうえでの挑発だった。
悲鳴や制止の声が飛んだが、状況は変わらない。王太子の行動を阻めるものなどいないのだから。
あっという間に鬼のごとき気配が迫り来て、目の前で刀身が振り上げられた。
最期に願うことはひとつ。どうかルシウス様には、悲しまないでほしいと。
ぎゅっと目をつぶり、切り捨てられることを覚悟した。すると、
――ガキィィン……!!
痛みや衝撃は訪れず、代わりに耳をつんざくような金属音が響き渡る。
はっと目を開くと、目の前には見慣れた大きな背中があった。王太子との間に滑り込んだルシウス様が剣を構え、凶刃を受け止めたのだ。
交戦は束の間、ルシウス様が腕を前に突き出すと王太子は後方に吹き飛び、「ぎゃっ」と情けない声を上げて尻もちをついた。小気味いい光景だが、これはとてもまずい状況だ。
「ル、ルシウス様……あっ」
ばっと振り向いたルシウス様が片腕を伸ばし、わたしの体を抱き寄せる。
気づけばわたしの口元には、彼の唇が重ねられていた。
押しつけるような荒々しいキス。強張った接触面から心地よい体温が伝わってきて、わけがわからないまま歓喜の情に流されてしまう。
やがて熱が離れたのを感じてぼうっとしたまま見上げると、強い視線とともに真剣な声が降ってきた。
「ひとりで抱え込もうとするな。俺は君を守るためなら、すべてを捨てても構わない」
彼は、わたしが勝手な行動に出たことを怒っている。そして傷ついているのだ。
彼の気持ちが痛いほど身に染みて、素直な思いが涙となって溢れ出てきた。
「ごめんなさい、ルシウス様……」
「わかればいい。――皆の前ではっきりさせておこう」
改めての抱擁のあと、ふたりで議会場の広いほうへと向き直った。
「俺たちは愛し合っている。他国の姫が入り込む隙などない……!」
彼が叩きつけるように示した宣言は、曇りなくまっすぐで、尊く響いた。王をはじめとする貴族たち、そして公国の使者も、唖然とし言葉をなくしている。
いつか公の場で惚気ていたと呆れられても、この場にいる人々の心に残るものがあればいい。
そう願いたたずんでいると、視界の端にうずくまっていた悪意の塊が、不快な大声を上げながら起き上がり、雰囲気をどん底に突き落とした。
「おのれルシウス……王太子である私に剣を向けたな! 王族に対する反逆だ。兵よ、こいつを捕らえろ!」
和んでいた気持ちが、一瞬で寒気に襲われる。恐れていたことが起きてしまった。このままではルシウス様が反逆者にされてしまう。
けれども、この国で最強の騎士であるルシウス様に、兵士は簡単には手を出せない。
かたやルシウス様も格下の者たちを相手にせず、いきり立つ王太子と向き合った。
「王太子殿下。いや、その座に見合わぬ小者よ。おまえを国家背任罪で告発する」
予想外の反撃に、王太子が息をのんだのがわかる。さすがに見過ごせないとみて、完全に置いてけぼりになっていた国王が口を挟んできた。
「ど、どうしたのだ、ルシウス。自分がなにを言っているかわかっているのか?」
ルシウス様はなぜかあらぬ方向――日が差し込む壁面の大窓を見つめて、平然と述べた。
「証拠となるものが、あちらから来たようです。ご自身の目でお確かめください」
狐につままれたような思いで、わたしも釣られて窓を見上げる。すると、
――ガシャァァン……!!
なんとステンドグラスが割れ、なにかが議場内に飛び込んできた。
派手な音を立てて着地した毛むくじゃらの姿を目にしたとたん、一斉に悲鳴が上がる。
(あれは……魔獣?)
炎のような赤毛を逆立て、一本角を生やした赤狼。大きさはふつうの狼の倍はあり、鋭い牙を剥き出している。
「緊急事態だ! 王太子宮殿から出現した魔獣がこっちに向かって……遅かったか!」
出入口の扉を開け放ち、駆け込んできたのは、これまで姿の見えなかったリアム殿下だ。
王太子宮殿から魔獣が出たと聞こえたが、いったいなにが起こっているのか。
『グァァアオ!!』
赤い魔獣は咆哮を上げ、空気をビリビリと揺らした。
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