第4話 異世界に転生したわたしは人妻でした(2)
「それにしても、そっちのほうから離婚を提案してくるとはな……。俺は騎士ゆえに王命に逆らうことはできない。だが妻からの切なる希望とあれば、叶えてやらねばなるまい」
(え? それってどういうこと?)
釘を刺すように、低まった声が耳元に寄せられる。
「英断の礼に、ひとつ助言をしよう。気まぐれな毒猫と噂されるおまえが、もし今夜のことを省みることがあるとすれば……これからは、自分の言動には責任を持つことだ」
そんな忠告のあと、背中で扉が閉まる重々しい音を聞いた。
少年のあとをついて洋館の廊下を進みながら、記憶を整理した。
(たしかわたしは、公園で拾った猫ちゃんを追いかけていたはずよ……。そうして道路に飛び出したら、トラックが迫ってきて……)
考えられるのは、こちらが驚いて気絶したところを、何者かによってこの場所へ運ばれてきたということ。
警察や病院といった正当な状況に置かれていないことに一抹の不安を覚える。もしや相手方は、事故を起こした事実をうやむやにしようとしているのだろうか。
(まさか運転していたのはさっきの男の人……? って、それはないわよね)
貴族のような服を着た男性とトラックの運転手ではあまりにイメージがそぐわない。とすると轢き逃げされたところを、通りがかった彼によって拾われた可能性もあるのではないか。
真っ暗な窓の外に目をやれば、物事を突き詰めるには遅い時間だと知れる。救助されたうえ、ひと晩の宿まで提供してもらえるのだとしたら、むしろお礼を言うべきだったのかもしれない。
とにもかくにも、過剰に不安がる必要はないと思えた。明日の朝になれば、少しの話し合いを経て、すんなりと家に帰してもらえることだろう。
そういえば、わたしがここにいることを自宅にいる父は把握しているのだろうか。
(……まぁいいか。お父さんにはちょっとくらい、心配させておこう)
そんなふうに思いながら、先を行く少年との距離が開いたのを見て、慌てて足を動かした。
こちらは慣れないハイヒールを履いているというのに、案内役の少年は足音ひとつ立てずに、するすると突き進んでいってしまう。「待って」と声をかけても無視されてしまい、必死で追いかけるしかなかった。
あんなに年若い子どもが一人前に働いていることは驚きだが、階段のあたりで出くわしたおとなの使用人たちが、少年の顔を見るなりなぜか敬うように頭を下げ、道を空けたのも不思議だった。年齢の常識を飛び越えて、少年のほうが立場が上であるようだ。
一方、清楚に道脇に控えて待つ使用人のふたりは、イギリス文学にでも出てきそうなお揃いのメイド服を着て素敵な雰囲気を漂わせている。そんな彼女らにわたしも会釈をしようとしたのだが、どうしてかこちらの姿を見たとたん、怯えたような表情でギクシャクとお辞儀をし、逃げるように立ち去ってしまった。
「え? あ、ちょっと……」
「おい! 早く来いって。置いてくぞ」
痺れを切らした少年が、上階から荒っぽい口調で急かしてくる。
(わたしが変な格好をしているせいかしら? まるで恐ろしいものを見たかのような顔をされたけど……)
釈然としない気持ちになりながらも、宮殿のように広い邸宅の中を急ぎ足で進んでいき、ようやく目的の部屋にたどり着いたときには息が上がっていた。
扉を開けて待っている少年に促され、明るい部屋に足を踏み入れる。
「わぁ……! すごく立派なお部屋」
入ってすぐのところで思わず足を止め、感嘆のため息を漏らした。
華やかな装飾を施された空間に、大きなドレッサーや大理石の書記机が備えられた女性らしい一室。猫足の長椅子はとても優雅で、座り心地が良さそう。戸が開け放たれた奥の部屋には、天蓋つきのベッドが置かれているのが見える。
(でも……汚いわけじゃないけど、どこか変ね……)
いくつかおかしな点に気がついて、首を傾げた。テーブルに飲みかけのカップが置いてあるし、机の上や部屋の至るところに、つい先ほどまで誰かが使っていたかのような痕跡がある。急なことでルームメイクが間に合わなかったのだろうか。
その場に立ち尽くしていると、うしろからスンと鼻をすするような音がした。
「えっ?」
振り向けば、なんとここまで案内をしてくれた少年が、わたしの背中に顔を近づけ、クンクンと鼻を動かしているではないか。
「あの……」
「……!」
目が合ったとたん、少年はバッと飛び下がって距離を取った。
(なんだか猫みたいな動きだわ)
ユニークな仕草に誤魔化されそうになるが、今しがた匂いを嗅がれていたのは間違いない。普通に考えればショッキングな光景だったが――。
(うーん……まぁいいか)
驚きはしたものの、挙動が犬猫のそれと重なったためか不快感は生じていない。よって今のは見なかったことにしてあげようと心に決める。わけのわからない出来事は、もうお腹一杯なのだ。
少年はたしか「ロキ」と呼ばれていたのを覚えているが、いきなり名前で呼ぶのも不自然だ。言葉遣いに迷いながら、笑顔で話しかけた。
「ええと……案内をありがとう。だけど本当にこのお部屋でいいのかしら?」
部屋を間違えている可能性も含めて遠回しに尋ねれば、
「ここはおまえに与えられた部屋だ。嫁いできてからひと月も経つんだから、いい加減に覚えたらどうなんだ?」
などと、つっけんどんな答えが返ってくる。そんなふうにいけずな態度を取りつつも、三角形に尖らせた金色の双眸をチラチラ向けてくるのが面白い。
(やっぱり毛を逆立てた猫ちゃんみたいなのよね……)
昔から動物を見ると構いたくなる性分で、子どもの相手をするのも嫌いじゃない。そういった存在と距離を縮めるには、焦りは禁物。自然体が一番だ。
それに少年は無口ではなさそうだから、うまく会話を運べば情報を引き出せそうな気もする。まずは相手を刺激しないよう、柔らかい口調で問いかけた。
「教えてもらえないかしら。嫁いできたというのは、いったいどういう……?」
こちらが下手に出ると、少年は小ぶりな鼻をつんと逸らし、まんざらでもない顔をした。
「フン、今さら愁傷な態度を取っても騙されないぞ。だいたい我が主と婚姻の栄に浴しておきながら忘れたふりをするとか、ふざけてるのか? ルシウス様の奥方でなければ、おまえなんてオレ様の爪で引き裂いてやるのに……」
「ルシウス様の、奥方……?」
思春期をこじらせたようなオレ様っ子のセリフの中から、気になる単語をすくい上げ、飲み込んでいく。
「ルシウス様」が先ほど会った長身の男性のことを示しているのはわかるが、わたしがその妻であるかのような表現は不可解だ。少年は、なにか大きな勘違いをしているのではないか。
だが思い返せば、先ほど執務室においても、かの御仁はわたしのことをアレクシアと呼び、「妻として役目を果たせ」などと苦言を呈していた。
ここは、はっきりさせておく必要がある――そう感じて、改まって尋ねた。
「ひとつ、いいかしら。アレクシアというのは……ひょっとして、わたしのこと?」
「そうに決まってるじゃないか。なんだよ、本当に記憶喪失にでもなったのか? ……ああ、さっきはだいぶカッカしてたもんな。ついに頭の線が切れちまったのか……。ククッ、随分と間抜け面をしているぞ。鏡を見てみたらどうだ」
小悪魔のような笑顔に促されて、近くにあったドレッサーの前へと進んだ。
そうして大きな鏡を覗き込むと――。
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