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第35話 幸運の反作用(1)

 翌日の朝、どこか生まれ変わったような気持ちで義母と第二王子の見送りに臨んだ。


 ルシウス様と一緒に、ふたりに挨拶をしようと進み出ていくと、手前で愛馬の世話をしていたリアム殿下が振り返り、応じてくれる。


「おはよう、ルシウス。それにアレクシア殿も……おや?」


 その視線は、わたしが夫の肘に添えた手に釘づけになった。どうやらわたしたち夫婦の関係性が深まったことを敏感に察したようだ。


「おいルシウス、昨日より距離が近くなってないか? 昨夜、あのあとなにが……」

「フッ。聞くのは野暮というものです」

「なんということだ! あぁ、本当にひと目惚れだったのに……アレクシア殿ぉぉ」


 そんなふうにすがるような視線を向けられても、苦笑するしかない。

 そもそも、こうした殿下の思わせぶりな態度は、本気ではないと思っている。おそらく、わたしという人物を見極めるための演技、そして少しの悪ふざけだ。


「彼女は俺の妻ですから、諦めてください。まったく節操のない……アレクシア、母上のところへ行こう」


 ルシウス様はしつこく嘆いている友人をあっさり捨て置くと、わたしを引き連れ、馬車のそばにたたずむグレイス様の元へと向かった。しかし御大は頑なに顔を背けたままだ。


「母上」

「……よくもわたくしの前に顔を出せたものね。まさか息子に裏切られるなんて」

「裏切ってなどおりません。むしろ感謝しています。母上のおかげで、夫婦の絆も深まりましたから」

「はぁ!? あなたたち、まさか、わたくしをダシに……」


 怒りに顔を染めたグレイス様が、目を剥いてこちらを睨みつけた。するとルシウス様が一歩前に踏み出し、わたしを庇うように立つ。


「いずれご理解いただけると信じています」

「もう結構! 失礼するわ」


 グレイス様はエスコートも待たずに馬車に乗り込み、扉を閉めてしまった。


「くっくっ……前途多難だなぁ、ルシウスよ」


 出立の準備を終えたリアム殿下が、頃合いとばかりに馬に跨り、前に進み出てくる。

 ルシウス様が馬上を見上げ、不敵な笑顔で応えた。


「殿下。母上の護衛をよろしくお願いいたします」

「ああ。それから例の施設の件も、調べを進めておくよ。なにかわかったら報告する。アレクシア殿も元気で。ルシウスに愛想を尽かしたら、いつでも僕のところにおいで」


 こちらの返事も待たずに、リアム殿下が力強く手綱を引く。そうして走り出した馬に先導され、グレイス様を乗せた馬車があとに続いて去っていった。


(お義母様とも、いつかわかりあえたらいいのに……)


 森の奥へと消えていく一行を見送り、ひとまず肩の荷を下ろした。


     *


 心を通じ合えたその日から、わたしとルシウス様のふたりの時間は格段に増えた。


 誘い合わなくても三食の食事をともにするようになったし、夜は夫婦の時間を過ごして、そのまま彼のベッドの片側で眠ってしまうことも多い。


 こまめに顔を合わせ、笑顔を交換し、他愛のない話で盛り上がる。そんな日々が幸せすぎて、怖いくらいだ。


 期首の繁忙期を迎え、領地の事業策定などで忙しいルシウス様のため、わたしも積極的に執務室に入り、仕事を手伝うようになった。主に書類整理といった補助的なものを手がけていくうち、簿記に通じる会計事務ならわたしにもできると思い、やらせてほしいと希望したところ、ふたつ返事で許可された。


 記帳するにあたり見知らぬ品名があればそれがどんなものなのかを知る必要はあったが、そこは周りが補佐してくれるので問題にならない。

 なんといっても前世では派遣社員としていろんな会社を渡り歩き、職場ごとに異なる作法にも即座に適応して仕事をこなしていた身だ。この世界独特のルールを覚え、効率的に進められるようになるまでそう時間はかからなかった。


 当時は「できて当然」と思われていた事務スキルでも、世界が違うと評価も変わる。どうやらわたしの能力は、人の上に立つべくして教育を受けた貴婦人と比べても遜色のないものであるらしい……!


 否、ほんとうはそんなに褒められたものじゃないことはわかっている。この国では階級により、女性に求められる役割や、施される教育が根本からして違う。

 職能が合致したのは、たまたま。けれど優しい夫が、心底感心したとばかりに褒めてくれるので、素直に嬉しくなってしまう。


「有能な妻がいてくれると助かるものだな……。この分なら、屋敷全般の管理と使用人の監督を君に任せても問題はなさそうだ」

「はい、もちろんです!」


 それは本来、領主夫人が夫を支えるべく担う、内部責任者としての要務だ。

 目標としていたものに手が届き、承認欲求が満たされるのを感じる。すべてが順調で、今ならなにをしてもうまくいくような気さえしていた。



 そんな中、恋人になりたての時期に由来する事故もつきもので――。


「ルシウス様。こちら、作成した書類です」

「ありがとう」


 などと手渡しの際に指と指が触れて、互いに頬を赤らめることもしばしば。

 はじめのうちは見て見ぬふりをしていたロキ君とヒルダさんも、それが何度目かになる日には小言を漏らした。


「うへぇ。また始まったぞ、デレデレした空気が……」

「いい加減にしてください。この書類の山が見えないのですか?」


 ふたりからの非難を浴び、視線を泳がせたルシウス様は、軽く咳き込みながら言う。


「節度は守らなければな……。アレクシア、手伝いはもういいから部屋に戻って構わない。それから今夜の予定だが、地方の管理を任せている者たちの会合に呼ばれている。帰りは遅くなると思うが、戻ってきたら寝室の扉から会いに行ってもいいか?」


「は、はい……お待ちして、おります」


 熱っぽい目をした彼が、わたしの手の甲にちゅっと口づけを落とし、思わず表情が蕩けそうになった。

 ヒルダさんが呆れたようなため息をつき、ちくりと爆弾を落とす。


「はぁ。だいぶ浮かれているようですが、式典のご準備は、よろしいのですか?」

「式典の準備……」


 そのひと言で、ハッと現実に引き戻された。

 やはり浮かれるあまりに、大事なことが頭から抜けていたようだ。これではいけないと気を引き締めて、心の焦点を的に向けて結び直す。


 わたしたちの結婚話の起因ともなった式典の開催は、暦の月をまたげばもうすぐだ。

 当該式典は、年に一度、建国記念日に城で開かれる大きな行事であり、王国の発展を祝うとともに、功労者の表彰式も兼ねているという。


 今回の主役はルシウス様で、妻を同伴する流れになっているらしいが、そのように格式高く盛大な催しに、予備知識もなく参加してもよいのだろうか。

 こちらの世界に途中参加したわたしは、貴族としての経験値はないも同然。だというのに、なにかと注目だけは集めてしまう身の上である。


 先の様子を詳しく聞いてみると、王宮では当然ながら王族に謁見することになるうえ、式のあとには晩餐会があり、そこでは並みいる貴族たちと挨拶を交わし、社交ダンスにも応じねばならないという。

 準備不足のまま出ていけば、間違いなくルシウス様に恥をかかせることになるだろう。


「ど、どうしましょう、ルシウス様……。わたし、貴族のマナーにはあまり自信が……」

「君が気にするようなことはないと思うが」

「そういうわけにもいきません……」


 真剣に相談を持ちかけると、彼は「わかった」と頷いて、すぐに対策を講じてくれることになった。


 それから本番までの短い間、学生時代に戻ったかのように猛勉強に明け暮れた。

 マナー講師を呼んでもらい、ダンスや立ち振る舞いを学びながら分厚い貴族名鑑にも目を通す。


 焦りはあったが、恐れることはなにもない。別れの象徴となっていた式典は、もはやその意味をなくしたのだから。


 夫が栄誉を受ける華々しい舞台に心は湧き、自分磨きにいっそうの力が入った。


     *


お読みくださり大変ありがとうございました!

もし気に入って下さったら、ブックマークをしてくださると、励みになります。


続きのほうも何卒よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ))ペコリ

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