第33話 変わる景色(4)
「あの、もう遅いので……失礼いたしますね」
会話が通じていないふりをして、殿下の右側を通り抜けようと進んだ。
すると、大きな体が同じ方向に動いて、進路を塞がれてしまう。それならば左にと、彼の脇をすり抜けようとしたら、すっと腕が突き出され、通せんぼをされた。
そのまま誘導されるように足を運ばされ、ついに壁際に追い詰められてしまう。おまけに頭の両サイドに手をつかれ、完全に囲われている体勢だ。
「どういうおつもりですか……?」
「君を口説いているんだよ。そっちにとっても悪い話じゃないはずだ」
細く眇めたブラウンの瞳は、柔らかいようで強引な光をたたえている。
「グレイス殿はえらくご立腹で、絶対にふたりを別れさせると息巻いていた。それに独自に仕入れた情報によれば、君たちはいずれ離婚する予定らしいじゃないか」
びくりと肩が震えた。これでは肯定したようなものだ。
古株のメイドの誰かから聞いたのだろうか。口の軽さには困ったものだが、あらかた事実であるし口止めしているわけでもないから仕方がない。
「離婚したら、僕の元に来るといい。こんなにいい女を泣かせるなんて、ルシウスも案外、悪い男だな」
「違います、ルシウス様は……。は、離れてください! わたしになにかしたら……」
「なにかって、どんなことかな……?」
危うい空気を感じて、全身が総毛立つ。
思わせぶりな流し目が、じりじりと距離を狭めてくる。
啖呵を切ったものの、できることといえばぎゅっと瞼を閉じて、体を縮めることくらい。それでも、もしものときは不敬行為も辞さないと気持ちを奮い立たせていると、
「――リアム殿下」
近くで低い声が響き、人同士がぶつかるような荒々しい物音がした。
目を開くと、凛々しい黒髪が目に入った。ルシウス様だ。息を乱し駆けつけた彼が、殿下との間に体を割り込ませ、わたしを守ってくれている。
広い背中の向こうから、リアム殿下の声だけが聞こえてきた。
「やぁ、ルシウス。素早いナイトのご到着だな。そう睨むなよ」
ルシウス様の妨害もなんのその、茶髪の頭がひょいっと視界に入ってくる。おまけに憎らしくも様になるウインクを投げてきて、わたしはたじたじと身を引いた。
「アレクシア殿、驚かせてすまない。だが僕は本気だ。考えておいてくれ」
(そ、そう言われましても……)
気持ちは決まっているが、相手は王族らしいし、断り方ひとつにも気を遣ってしまう。
とはいえこのまま黙ったままでいて、ルシウス様に妙な誤解をされてはかなわない。
冷や汗をかいていると、さっと横に伸びた片腕が、殿下とわたしの間を遮った。
「悪い癖が出たようですね。彼女は俺の妻です。誘惑しないでいただきたい」
「でも、いずれ別れるんだろう?」
「!」
ルシウス様の肩がわずかに震えたのがわかる。押し黙った彼の体から、ゆらりと立ち上がるオーラが見える気がした。怒っているような雰囲気だが、でもいったいなにに対して?
「まぁ、あなたたち、離婚するの!?」
トーンを高くした女性の声が、新たに飛び込んできた。わたしは居ても立ってもいられず、ルシウス様のうしろから踏み出し、表に出る。
ちょうど廊下を進んできて、リアム殿下の隣に立ったのはグレイス様だ。
「なによ、水臭いわね。そうと決まっているなら早く言ってくれればよかったのに!」
聞いた話がよっぽど嬉しかったのだろう。義母は白い頬を上気させ、晴れやかな表情を浮かべている。
(ああ……知られてしまった……)
いかんともしがたい絶望的な気持ちが押し寄せ、目の前が暗くなった。
つまらない意地には違いない。隠しても、いつかは知られることなのに。
「そういうことなら、わたくしも協力するわ。元妻の体面が保たれるよう配慮するし、十分な慰謝料を用意しましょう。それで離婚はいつ頃を予定しているのかしら!?」
食い入るように問いかけられても、頭の中は泥水のように淀んで反応できない。
強い吐き気に襲われて、足元から崩れそうになった、そのとき――。
「離婚はしません。俺の妻は彼女だけです」
「……え?」
わたしの間の抜けた声に、グレイス様とリアム殿下も同様の反応を重ねた。
「母上とリアム殿下は、迎賓館にお戻りください。アレクシア、話がある。……来てくれ」
呆気にとられる母親と友人を残し、ルシウス様はその場からわたしを連れ去った。
ルシウス様の私室のメインスペースにわたしが立ち入るのは初めてだ。
わたしを広い部屋の中へ引き入れた彼は、思い詰めた様子で奥にある書記机のあたりまで進んでいった。
(なにを言われるのかしら……。離婚はしないって、どういうこと……?)
この重苦しい空気の中では、明るい話など期待できない。部屋の中ほどに立ち尽くしたまま、体の前で重ねた手にぐっと力を込める。
少しの間を置いたあと、彼はわたしに背中を向けたまま呟いた。
「君と離婚する話だが……気は変わらないだろうか」
「……? どういう、意味でしょうか」
喉が渇いて声が掠れてしまう。
彼がこちらに振り向いたが、とっさにうつむいてしまった。なにを言われるのかわからなくて、怖くてたまらない――。
「俺は、君と別れるつもりはない。君を放したくないんだ」
(え……?)
言葉を受け止めるのに、数秒を要した。予想とは真逆のことを言われた気がするが、どういうことだろう。悲報を拒絶するあまり、幻聴でも引き起こしたのだろうか。
怖々と視線を上げると、愁いを帯びた青い瞳とぶつかった。
「俺は……自分の意志とはかかわりなく俺の妻となった君を、解放してやるべきだと思っていた。君も離婚を望んでいたし、それこそが君のためになるのだろうと。しかし――」
なにを言っているのだろう。わたしが離婚を望んでいた? たしかに言い出したのは「アレクシア」だけど――ダメだ、混乱して思考がまとまらない。
「勝手なことだが、俺は君と過ごす日々に、安らぎと運命を感じてしまった。今さら君を失うことなど、耐えられない。だから……」
呆然とするわたしの目の前に歩み寄ってきた彼は、己の胸に右拳をあてる騎士のポーズをとり、真剣な眼差しでわたしを見つめた。
「離婚の話は破棄し、これからもずっと俺の妻でいてほしい。……生涯、君を守り、愛し抜くと誓う」
聞いているそばから目頭が熱くなっていく。夢にも思わなかったプロポーズ。気持ちばかりが高ぶって、全身が弾けてしまいそうだ。
「わ、わたしで、いいのですか……? 本当は……前世ではこんなに美人じゃなかったんですよ。今だって評判も悪くて、足を引っ張るばかりだし、取り柄もなにも……」
「過去は関係ない。俺は今の君のすべてに惚れている。君は俺に、伴侶を持つことの幸福と温かさを教えてくれた。どんな苦難も諦めず、最善を尽くし、努力を怠らない。そんな君を素敵だと感じるし、尊敬している。そして、誰よりも優しく健気な君を、愛しく思う」
ひとつひとつの言葉を受け止めて、さまざまな思いが沸き上がる。
ついに感情が堰を切り、涙が止めどなく溢れ出した。
「嬉しいです……わたしも、ルシウス様のことを、はじめから」
その続きは、目の前に迫ったルシウス様の口づけに飲み込まれて消えた。
きつく抱きしめ合い、無我夢中で唇を重ねる。その瞬間から全身が燃えるように熱くなり、蕩けそうになる。いっそ溶かされて、彼の一部になれたらいいのにと浸りながら、愛しい人の肩にすがりついた。
貪るようなキスのあと、うっとりと閉じていた瞼を開くと、上気した彼の、熱っぽい表情が目に飛び込んでくる。
「……アレクシア。君が欲しい」
お読みくださり大変ありがとうございました!
次回は、また【R15】指定になっておりますので、ご注意ください。
続きのほうも何卒よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ))ペコリ




