第27話 あなたの妻でいるために(4)【R15】
自分が恥ずかしくなりうつむくと、強い視線が追いかけてきた。
「……男が怖くなったか? 無理もないが」
「いえ、その……わたし、汚れているので……」
「君は汚れてなどいない」
いつかの逆パターンみたいな会話だ。きっぱりと否定してもらえてよかったと思っていると、大きな手の平がわたしの頬に添えられ、顔を正面に戻された。ひどく切ない真剣な眼差しが、視界に飛び込んでくる。
「アレクシア、俺を怖がらないでくれ。……あの下郎になにをされた?」
「ええ? えっと……」
恐ろしい場面を思い出すのは憂鬱だったが、話してしまったほうが楽になるかもしれない。迷った末に「首のあたりに蛭みたいに吸いつかれて……」と言ったら、すぐさま彼が上半身を傾けて、わたしの首元に頭を埋めてきた。
「ルシウス様? ……んっ」
皮膚の薄いところにそっと唇を押しつけられて、反射的に体が跳ねる。変な声まで出てしまい、頭に血が上った。
首筋に口づけた彼はそこに顔を伏せたまま、ひと言を呟いた。
「消毒、だ」
「は、はい……」
おとなしく身を任せたまま待っていると、今度は両腕がしっかりと体に回されて、深く抱き込まれた。
「怖い思いをさせたな」
いたわりの言葉に目の奥がツンとする。
心に温かいものが広がるのを感じていると、彼の雰囲気が打って変わり、悔恨を滲ませた低い声が耳に差し込まれた。
「あの男、あの場で殺してやればよかった。取り調べを継続するため、生かしておいたが……煮えるような気持ちが増すばかりだ」
抱きしめる力が強くなる。彼の心配の大きさを知り、胸が詰まった。
ひと息を入れた彼が、尋ねてくる。
「ほかに触られたところは?」
「あ……服を脱がされそうになって」
自分の胸元に目をやると、装飾のレースは破れ、襟口は伸びきって悲惨なことになっている。みっともないと思い、慌てて襟元を合わせた。
ルシウス様はなにを思ったか眉間の皺を深くすると、瞳に剣呑な光を浮かべて囁いた。
「消毒の続きをしても?」
予期せぬ言葉に、ごくりと喉が鳴る。彼になら別になにをされても構わないが――しかし、どうしてそこまでしてくれるのか理解できない。
半分流される形で頷きを返すと、より低く頭を下げた彼が、わたしの襟元に口づけを落とした。ちゅっと鎖骨のあたりを吸われて、またも体が勝手に震えてしまう。
「君の肌は、とても滑らかだ。すごく……いい匂いがする」
ちゅ、ちゅ、と位置をずらして、肌が洗礼を受けていく。接吻が首筋を上がってくるに従い、怖いものではないけれども落ち着かないような痺れが生じて、脳天に向けて駆け抜けた。
これは、なんなのだろう。本当に消毒なのだろうか。いや、きっと消毒だ。
当面の問題としては、柔らかな彼の黒髪が顎の下に触れ、くすぐったくてたまらない。
「あっ」
おとがいに軽く歯がぶつかって、顎が仰け反った。上書きするにしても、刺激的すぎやしないだろうか。
気がつくと、夢中で彼の頭を抱え込み、しがみつく体勢になっていた。
(こ、こんなにぴったりくっついて……きっと心臓の音が丸聞こえだわ)
「ルシウス様、も、もう……」
もう十分だと言いかけたとき、視界がぐるんと上向いて、ふかふかの馬車の座面に押し倒された。
「ル、ルシウス様……? ちょっ……ん」
覆い被さった影が限界まで近づいたと思うと、次の瞬間、唇を奪われていた。
頭の中に火花が散ったような衝撃を覚え、思考が停止する。
キスをされている。そう頭で理解すると同時に、感情の奔流が胸の中に湧き上がった。
(嘘……ルシウス様が、わたしにキスを? どうして? なにが起こっているの?)
微動だにできず、ただ息を止めて待つことしかできない。するとわずかに離れた口元から、吐息混じりの言葉が吹き込まれた。
「アレクシア……目を閉じて」
なぜか体の奥が、ジンと熱くなった。催眠術にかけられたように言われたとおりに体が動く。閉じた瞼の上に影が降りてきて、得も言われぬ幸福感に包まれた。
そっと合わせられた唇は、何度も角度を変えて、接触を繰り返す。わずかな吸引力を持って、薄い皮膚を撫でるように啄み、慰めてくれる。
熱くて硬い両方の手の平が、わたしの頬を包む。片方の手は横髪をかきあげるように動いて、後頭部に回された。頭が固定されて、密着度も高くなる。
(気持ちがいい……どうしよう、こんなの初めて)
恍惚として浸っていたけれど、だんだんと息が苦しくなってきた。
思わず相手の服を握り、突き返すように力を込めたが、がっちりと囲い込んだ厚い胸も太い腕もビクともしない。薄目を開けて見れば、彼もこの行為に夢中になっているようだ。
いつも理性的な彼なのに、まるでこちらの言葉が通じていないような、そんな状況が怖くなる。息継ぎの隙をつき、あえぐように顔を背けた。
「ルシウス、様……」
抗うつもりが、甘い声音になってしまった。すると一瞬、固まったように間を置いたルシウス様が、唇を肌に押しつけたまま囁いた。
「もっと君に触れていたい。ダメか……?」
「そ、そんな……」
心臓がきゅんっと絞られたような心地になる。本当はもっとしたいけど、わたしのことをどう思っているのか、彼の気持ちが気になってしまう。
『どうして急に?』、『少し仲がよくなった妻に興味がわいた?』、『夫としての独占欲?』――次々と生まれる疑問符が頭の中を駆け巡り、心を惑わせる。
ドクンドクンと響く鼓動がやけにうるさく感じる。答えを求めて視線をさまよわせれば、見たことのない熱をはらんだブルーアイとぶつかった。その瞳を見つめるうちに、意識も理性もなにもかもが吸い寄せられ、溶けていく。
――このまま流されてしまいたい。意地を張らなくてもいいじゃない。
ほだされそうになったそのとき、馬車の壁を隔てた外から、困り果てた男性の声がした。
「あの~領主様、奥方様。御者でございます。馬車はお屋敷に到着いたしましたが……」
そのときの気まずさといったら、とても言葉には表せない。馬車の中の時間が止まったかのように、ふたりとも硬直して動けずにいること数秒。
遅れて沸き上がってきたのは、渡ろうとした橋が急に消えたようなもどかしさと、これでよかったのだという安堵感――。
「す、すみません、今、出ます……!」
裏返った声を外に投げて、なかなかどこうとしないルシウス様の胸板を押し戻した。
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