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第26話 あなたの妻でいるために(3)

「んっ……、んんーーー!!」


 顔や手を抱え込まれたまま、体全体で押し込むように奥に運ばれていく。耳元で男の荒い息が聞こえて、騙されたのだと悟った。


「事情は知らないが、あんたを傷物にしてくれとさ。金と服までもらえて、美味しい思いができるなんてラッキーだぜ」


 突き当りの壁の前まで来ると、体重をかけられ、ごつごつした地面に押し倒された。

 口元から手が離れたので、声の限りに叫ぶ。


「嫌っ、放して! 誰か……誰か助けて!!」


 男から逃れようともがいたが、たちまち腕を押さえつけられ、胴体の上に跨られてしまった。


「無駄だ。表通りまで声は届かないさ。……へへ、楽しませてくれよ」


 男はわたしの両の手首を片手でまとめて持ち上げると、空いているほうの手で服を剥がそうと体をまさぐってくる。


「いい匂いがするぜ……たまらねぇ」


 下卑た顔が目前に迫り、必死で顔を背けた。するとそのまま首筋に吸いつかれて、ゾッと怖気が走る。このまま暴漢に犯されるくらいなら、死んだほうがましかもしれない。


(ルシウス様……ごめんなさい)


 恐怖に悲しみ、悔しさ――心の中がぐちゃぐちゃになって、涙が滲んできた。

 抵抗する気力が失せていく。心が絶望に占められたそのとき、


「――ふぐっ!?」


 首が絞まったような声がして、目の前にあった男の顔が遠のいた。


 急に明るくなった視界に飛び込んできたのは、助けを求めて思い描いていたその人、ルシウス様だ。暴漢の襟首を掴んでうしろに引き倒した彼は、切羽詰まった表情を浮かべ、こちらを見下ろしている。


 ルシウス様はさっと傍らに駆けつけると、膝をつき、わたしを抱き起こした。


「アレクシア……探したぞ」

「ルシウス様……」


 か細い声で名を呼んだとたん、強く抱きしめられる。彼の匂いと逞しい腕に包まれて、ようやくの安堵に包まれていった。


 それにしても、どうして彼はここに来られたのだろう。胸を高鳴らせながら疑問に思っていると、


「オレ様の鼻で見つけたんだぜっ」


 ロキ君の明るい声が耳に届く。見ればルシウス様の肩越しに、路地の曲がり角のところに立つ少年の姿が確認できた。


 同時に、視線の途中に倒れていた暴漢がむくりと起き上がってくる。


「ル、ルシウスって、まさか領主様……? マジかよ、割に合わねぇ」


 男はルシウス様の正体を察するや否や、踵を返して逃げ出した。

 しかし突進する細道の先には、ロキ君が立ちふさがっている。このままでは男に乱暴に突き飛ばされて、あの子が怪我をするかもしれない。


「ロキ君……避けて!」


 声を張り上げたが、悠然と構えた少年は、そこをどこうとしない。


「どけっ、ガキが!」

「……はん! 低能な生き物め」


 固唾を飲んで見守る中、信じられないことが起きた。前傾姿勢になったロキ君の姿が、みるみるうちに形状を変え、変身したのだ。

 体は黒い毛に覆われ、四本の足は太く、胴体はどっしりと――いつか訓練場で見た黒豹型の魔獣が、少年に代わってそこに現れた。


 突っ込んでいった男は逆に頭突きで吹っ飛ばされて、地面に転がった。


「ぐへぇっ!? ま、魔獣だ……! ひぃぃ!」


 尻もちをついた男が、じりじりと下がったそこには、仁王のような顔をしたルシウス様が立っている。

 全身に怒りのオーラを滾らせた彼は、暴漢の胸倉を掴み、軽々と持ち上げた。地面から離れた男のつま先が、じたばたと宙を泳ぐ。


「よくも、俺の妻に狼藉を働いてくれたな」

「た、助けてください。金で雇われただけなんです……」

「誰に頼まれた?」

「わかりません、さっき酒場でスカウトされて……依頼人はローブを被って顔を隠していたから、性別が女としかわからないし……本当です!」

「本当かどうかは俺が確かめる。最後には、生まれてきたことを後悔させてやる」


 ルシウス様は、男を引きずり、わたしから見えないところに連れていった。この場で彼が直接、尋問するつもりのようだ。


 トコトコとそばに来た大きな獣が「耳を塞いでいろよ」と言うので、それに従った。

 座り込んだわたしを黒い毛皮が包んで、温めてくれていて――その間、男がどうなっていたのか、わたしは知らない。


     *


 領主邸へ向かう馬車は、速度を落として坂道を進んでいた。

 馬車の中には、ルシウス様とわたしのふたりきり。ロキ君は街に残り、なにやらルシウス様に命じられた用事を済ませてから戻るという。


 今は、おとな二人が並んでもなお余裕のある座席で、ルシウス様がわたしの隣に座り、肩を抱いて支えてくれている。けれどもその口は重く閉じられていて、車内には車輪が立てる音だけが響いていた。


 街を出る前に話を聞いたところによると、夕刻になりわたしが館にいないことに気づいたルシウス様は、自ら馬を走らせ探しに来てくれたらしい。彼が間に合わなかったらどうなっていたのだろうと思うと、背筋が凍る思いだ。


 またも迷惑をかけてしまったと、じわりと後悔が押し寄せる。

 沈黙を苦しく感じはじめたわたしの心を読んだかのように、ようやく彼が口を開いた。


「なぜ俺に黙って街に来た? 地理もよくわかっていない中、無茶をするとは……」


 低い声には、わずかに不満の色が感じられた。わたしの愚かな行動に怒っているのかもしれない。

 しょんぼりとうなだれながら、「実は……」と正直に事の経緯を打ち明けた。すると一瞬の間のあと、呆れたと言わんばかりのため息が落ちてくる。


「その指輪なら、とっくにヒルダが回収している。俺個人としては、あんなものに価値は感じないが、周りが騒いで面倒なことになるのは目に見えていたからな」


「ええっ!? そんな……」


 へなへなと力が抜けていく。すべては愚かなわたしの空回りだったようだ。


 ルシウス様の胸に寄りかかる体勢になっていたが、もはや体重をかけることすら申し訳ない。そっと身を起こして離れようとすると、かえって強く抱き寄せられた。


 腕力の差を感じる所作は、今は心臓に悪い。びくりと肩を震わせると、


「――どうした。どこか痛むのか?」


 力を緩めたルシウス様が、真剣な目をして覗き込んでくる。


「だ、大丈夫です……。すみません、ご心配をおかけして」


 とんでもなく顔の距離が近くなり、ドギマギしてしまう。少し頭を前に傾けたら、鼻と鼻が触れてしまいそうだ。

 男らしくて魅力的な唇も、すぐ目の前にある。思わず『このままキス、できたら……』などと、あらぬことを考えてしまい、顔を赤らめた。


 そのとき、馬車がガタンと大きな音を立てて、はっと我に返る。


(わたしったら、なにを考えているのかしら……)


 未然に防いでもらったとはいえ、男に襲われたばかりの身だ。

 全身が土埃にまみれ、しかも男の手垢までついている。好きな人の接吻を求めている場合ではない。


お読みくださり大変ありがとうございました!

続きのほうも何卒よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ))ペコリ


(注)次話はほんのりですが【R15】になりますので、ご注意ください。

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