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第23話 変化の兆し(5)

 あんなにまじまじとルシウス様を見て、なにを囁いているのだろうか。


 いよいよ気になって彼らの元に向かおうとしたそのとき、目を疑う光景が飛び込んできた。ルシウス様の肩に手をかけたイレーヌ姫がつま先立ちになり、彼の顔に自分の面を近づけたのだ。


(えっ……今、キス……した?)


 重なったふたりの影から目が離せない。頭を殴られたような感覚がして、足元がふらついた。あの場所からここまで声が届くわけもないのに、耳の奥に姫の笑い声が響いて鳴り止まない。


 以後の記憶は飛んでいて、気づけば自分の部屋に戻り、ベッドの中で縮こまっていた。


 自分の目で見たことが信じられず、混乱が渦巻いている。不安ばかりが大きくなって、彼を奪われる恐怖感に押しつぶされてしまいそうだ。


 その夜は、目を閉じていても浮かび上がる残像を、朝まで振り払うことができなかった。


 ――翌朝、姫からの贈り物だといって、ルビーのついたブレスレットが届けられた。使うことはまずないが、突き返す勇気もないし、処分することもできない。


 焦げたようにひりつく気持ちとともに、引き出しの奥に乱暴にしまい込んだ。


     *


 イレーヌ姫の呼び出しを受けたあの夜、ルシウス様と彼女がどんな話をしたのか気になって仕方なかったが、当人たちに直接聞けるような度胸は持ち合わせていない。


 顔を見にいく勇気すら持てないうちに、郊外に手強い魔獣が出現したとの報を受けたルシウス様は、騎士団を召集し討伐に出かけてしまった。


 ロキ君とヒルダさんもサポートでついて行き、親しい人の姿が揃って見えなくなる。寂しさと心配事が重なり、気を紛らわそうとしても、なにひとつ手につかない。


 ルシウス様がいない間は、客人を交えた食事会は開かれないため、幸いにもイレーヌ姫とは顔を合わせずに済んでいる。


 おかげで平穏無事ではあったが、いずこかで危険な戦いに身を投じている彼を思うと安心などはしていられず、暇さえあれば窓から外を眺めて、遠くに馬の影でも見えてこないかと気を揉みながら過ごした。


 妙に長く苦しくも感じた待つことしかできない時間は、実際には三日で終わりを告げた。

 夜更けに馬のいななきが聞こえた気がして目を覚まし、厩舎に確認に行くと、もぬけの殻だったそこに、彼の愛馬の姿がある。

 ルシウス様が任務から帰ってきたのだと知り、深い安堵の吐息が漏れた。夜間の到着となってしまい、周りを騒がせないよう静かに部屋に引き上げたのだろう。


(ひと目でいいから、お会いしたいわ……)


 ルシウス様のことだから、おそらく執務室で仕事の確認をしているはずだ。

 疲れているであろう彼に、温かい紅茶を差し入れようと思い立ち、用意をして部屋に向かった。


 お盆を片手に持ち、そわそわと落ち着かない気持ちで、扉をノックする。


「ルシウス様。わたしです。入ってもよろしいですか?」

「アレクシア? いや、構わないが……」


 一瞬、言葉に詰まったように聞こえたが、来たらまずかったのだろうか。


「失礼いたしま……きゃあっ!!」


 不安に思いながら扉を開けてすぐ、お盆を取り落としそうになった。彼は身に着けていた装備をはずし、服を着替えているところだったのだ。

 かろうじて下は履いているものの、シャツは脱いだあとで、逞しい上半身が惜しげもなく晒されている。

 慌てて目を逸らしたが、急速に顔が赤らむのを感じた。


(どうしよう……変なときに押しかけてしまったわ……)


 正面から捉えた暴力的なまでの肉体美は、一瞬で視界に焼きついている。筋肉で盛り上がった肩と厚い胸から、腰にかけて引き締まった見事な逆三角形。生の彫像のような迫力に、ドキドキが収まらない。


 執務机のそばに立つ彼は、なぜかその場から動かずに声をかけてきた。


「見苦しい格好ですまない。俺の不在中に、なにかあったのか?」

「い、いえ、すみません、お茶をお淹れしようと……」


 直視してはいけないと心を叱咤して、視線をずらした先に釘づけになった。

 彼のそばに置かれた鎧と脱いだ服に、赤黒い汚れが付着しているのが見えたからだ。


「っ……! どこかお怪我をされたのですか!?」


 頭が真っ白になったわたしは、お盆を脇のチェストの上に置き、ルシウス様に近づいた。すると彼は急に焦った表情を浮かべ、手の平を前に向けて一歩、二歩とうしろに下がっていってしまう。


「大丈夫だ。これは魔獣の返り血だ。あとは傷を負った仲間を救護したときについたもので……」


 それを聞き、恐るおそる彼の体に傷がないことを目で確認してから、ホッと胸を撫でおろした。


「そうでしたか……。よかった……」

「……心配してくれたのだな。ありがとう」


 どこか切ない、喜びの滲むような声を聞いて、思わず彼の顔へと視線が引き寄せられる。

 優しい光を帯びた青い瞳が、まっすぐにわたしを見つめていた。


 うっとりと見つめ返していると、ふいに彼が視線をはずして、拒否されたような気持ちになる。彼はわたしの後方にある届け物に目を向けて、やんわりと線を引いた。


「飲み物は、あとでいただこう。このとおり汚れていて、君も嫌だろうから」


 わたしは全然気にしないのに、どうしてそんなことを言うのだろうと首を傾げて、はたと思い出した。問題の婚礼式において、アレクシアは討伐帰りの彼のことを「汚い」と罵ったと、新聞に書かれていたではないか。


 とたんに胸が潰れそうになり、声を絞り出した。


「ごめんなさい! 婚礼式のとき、わたしは討伐帰りのあなたに酷い言葉を……。命を賭して国のために戦われているあなたを、汚いだなんて思うはずがありません。あなたのことを尊敬しています……。本当です!」

「――アレクシア」


 彼が息をのむ気配が伝わってきたが、わたしは彼の顔を直視できず、うつむき視線をさまよわせることしかできない。


 その直後、ふいに腕を掴まれたと思うと、懐に抱き込まれた。心地よい熱と、彼の匂いに包まれる。耳元で、高ぶる感情を押し込めたような、掠れた声がした。


「ありがとう。……どうしてだろう。君の言葉は、いつも俺の心に響く」


(ルシウス様……)


 黙ったまま、腕の中でただ温もりに酔う。どうしてか、目頭が熱くなった。

 硬くて温かい胸元にピタリと寄せた頬から、彼の鼓動が伝わってくる。今は少し速い拍子を刻む、ルシウス様らしい力強い音だ。


「……っ!」


 幸せな気分にずっと浸っていたかったのに、突然の衝撃に襲われた。夜の庭園で寄り添い、キスをしていたルシウス様とイレーヌ姫の姿が突如、脳裏によみがえったのだ。


 混乱したわたしは、ドンと彼の胸を突き放していた。瞬時に頭も冷えて、はっと顔を上げると、驚きに見開かれた青い瞳と視線がぶつかる。


 ――気まずい沈黙が流れた。


「お疲れのところ、申し訳ありませんでした。ゆっくりお休みください」


 取り繕うように言葉を並べて、逃げるように部屋をあとにする。うしろ手に扉を閉めると、知らず深い溜息が漏れた。少しの間、胸を押さえてその場に立ち尽くす。そうしていないと、思いが溢れてしまいそうだったから。


 彼はなぜ抱きしめてくれたのだろう。わたしが妻だから?

 少なからず好意を持ってくれているのだとしたら嬉しい。けれど、あの女性の影が、先日の光景が、どうしても気になってしまう。期待と不安がせめぎ合い、心が苦しくて――。


 そして、気づいてしまった。

 以前よりもずっと強く、彼に惹かれているということに。


お読みくださり大変ありがとうございました!

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続きのほうも何卒よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ))ペコリ

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