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第20話 変化の兆し(2)

(誠意を見せていけば、わかってくれる人もいるんだわ……)


 ゆっくり食べるからと部屋に置いていってもらったパイを見つめて、口元を緩める。

 部屋でひとりになっても、いつものような寂しさは感じなかった。




 気分よく、満ち足りた時間を過ごしていると、午後になってすぐルシウス様から呼び出しがあり、執務室に赴いた。


 ノックをすると、中から「入れ」と声がする。扉を開けて顔を出すと、奥の執務席にいたルシウス様が顔を上げた。


 見覚えのある幅広のデスクには山のような書類が積まれている。彼はそれまで進めていた仕事の手を止めて、わたしを応接スペースへと案内した。


 この部屋は、香澄であったわたしがこの体に転生して、初めてルシウス様と出会った場所だ。あのときの剣呑な空気を思い出すと、落ち着かなくなってくる。


 向こうから話しかけられるのを待っていると、対面に座ったルシウス様が穏やかに会話を進めた。


「昨夜の食事会は、不手際がありすまなかった」

「いえ、とんでもないです……」


「話をしたいと言っていただろう? 早いほうがいいと思い、呼んだのだが」

「あっ……そうでしたね。ルシウス様にお願いしたいことがあって……」


 急に問われて、話したかった内容が頭からすっ飛んでいることに気づく。


「ええと……まずは今後のこと、でしょうか……」


 思いついたことをぽつりと呟いたわたしに、彼は真剣な面持ちで頷いた。


 あちらもこの話題を想定していたようだ。わたしにとってもいい機会であるので、理解を深めてもらえるよう、順を追って説明していくことにする。


「わたしには、ある時点より前の、アレクシアとしての記憶がありません。それはもうご存知かもしれませんが、執務室で話をしているときに起こりました」


 彼は静かに頷きながら、耳を傾けてくれている。

 突飛な話をすることに迷いはしたが、もう行けるところまで行ってしまおうと、すべての事情を明かしていった。

 自分は別の世界で、日浦香澄という人間として生きていたこと。そして事故で命を失ったこと。それから事故の際に助けた猫の声を聞き、アレクシアの体を譲り受けた経緯まで――。


「わたしはアレクシアが人生を放棄、いえ、命を譲ってくれた、そう考えています。とても信じられる話ではないかもしれませんが……」


「珍しい話ではあるが、納得できないことはない」


 ルシウス様によれば、この世界では国教の教えに「魂の継承」という理念があるのだという。魂こそが存在の核であり、肉体は器に過ぎない――ひいては、正しい行いをすれば転生の道が開かれるという信仰が定着しているのだと。


 なるほど、それであれば理解が早くてありがたいと考えていると、彼もまたなにかを思案し、呟いた。


「おまえの……いや、君の本当の名は、カスミというのだな。そう呼んだほうがいいのだろうか」


 思いがけない言葉に、心臓が大きく高鳴った。わたしの本質を認めてもらえたような気がして、心が喜びに震えるのがわかる。呼びかけが「おまえ」でなく「君」になったのも、彼なりの気遣いだろうか。


(お気持ちはありがたいわ。でも……)


 問われた内容を、少し吟味してから答えた。


「いえ、この世界では、アレクシアですから。そのお言葉だけで十分です」

「そうか……。だが、カスミという名も、いい響きだと思う」


 不意打ちの優しさに、喉の奥が熱くなる。ルシウス様はなんというか、天然の女殺しだ。

 照れているわたしの様子には気づかずに、彼は視線を卓上に落として言った。


「しかし、元はアレクシアではなかった君が、唐突に今の環境に放り込まれたのだ。さぞ驚いただろう」


 それはもうと思いつつ、自嘲的な笑いを浮かべる。平凡な日本人であったわたしに、彼のような立派な旦那様ができるなんて、嘘のような話だ。


「すまない。俺はもともと女性に対して気が回る男じゃない。不満もあると思うが」

「え? いいえ、不満なんてありません。ルシウス様は、ずっとお優しかったですし」

「俺が?」

「はい。はじめから素敵な人だなと思って……あっ」


 そこまで言って、うつむいた。みるみる顔が熱くなっていく。

 よく考えずに恥ずかしいセリフを口走った気がする。言葉に嘘はないものの、突然おだてるようなことを言いだして、軽薄な女だと思われやしないだろうか。


 ちょこんと座ったまま小さくなっていると、軽い咳払いがした。


「褒め言葉と受け取っておこう。これからも、君にとっては戸惑うことも多いと思うが……できればそう、契約という形で、この先も協力を願いたい」

「は、はい……もちろんです」


 契約という言葉が引っかかったが、本来は妻ではなかったわたしが代わりを務めるという意味では、契約といってもいいのかもしれない。


 そんなふうに整理しながら顔を上げたのだが、続く彼の言葉に表情が凍りついた。


「無理に縛りつけるつもりはないから、安心してほしい。近く王都で開かれる式典があり、そのあとに離婚しようという話になっている。そのあたりは記憶にあるか?」


 思わず言葉に詰まってしまう。どうやら彼の中では、離婚は決定事項のまま。あらかじめ話をつけていたとおり、わたしと縁を切るつもりのようだ。


 今さら妻のままでいさせてほしい、とは言えなかった。


 元より政略から始まった望まれぬ縁組だということはわかっている。せっかくまとまった別れ話を覆してまで、正体不明の女を保護する義理はない。それこそ再婚でもしたほうが彼にとっては有利に働くだろう。


 転生当初であれば、イレーヌ姫との裏の関係を疑ったかもしれないが、今ではそれはないと断言できる。実直なルシウス様だからこそ、ひたすら誠実な気持ちで関係を白紙に戻そうと考えているに違いない。


 けれども、わたしと離婚をした後には、ルシウス様とイレーヌ姫の再婚話が持ち上がるかもしれない。そうして仕切り直した結婚がうまくいかないこともないと思う。真面目な彼のこと、今は妻であるわたしを立ててくれているが、それはきっと相手が誰であっても同じ。夫の義務として娶った妻を受け入れ、大切に守っていく、そういう人だから。


 ルシウス様の声は引き続き穏やかにこの耳に届いていたが、集中できずにいつしか上の空になっていた。


「公爵位にも興味はないし、式典に参加するのもわずらわしく思っているのだが、今回ばかりはどうしても断れなくてな……。その場には、妻同伴で出席するよう王命を受けている。巻き込む形になり悪いが、一緒に行ってくれるだろうか」


 わたしに不安を与えないよう言葉を尽くしてくれているのがわかっていても、心は冷えていくばかりだ。そんなわたしに、彼の「誠意」が突き刺さった。


「すべて片がついたそのときは――十分な謝礼金を支払うと約束しよう」


(それって、手切れ金ってこと……?)


 頭の中で、糸がぷつりと切れた音がした。それはきっと「希望」とでもいうべき、浅はかな自分がすがっていたなにかだ。


 そもそも離婚に至った要因は、アレクシアにある。なのにきちんとした見返りをくれるというのは、心底ありがたい話だ。当初はわたし自身も離婚は互いにとって最善と考え、こうなることを望んでいたはず。だけど――。


(お金なんていらない。本当は、あなたの妻でいたいのに……)


 息苦しさを覚えて胸を押さえると、異変に気づいた彼が声をかけてきた。


「アレクシア。どうした?」

「……大丈夫です。少し、今までのことを思い返して……感極まってしまいました」


 澄んだ青い瞳が、わたしを見つめている。落ち着かなくてはと、こくりと唾を飲み込んだ。

 彼のためにできる限りのことをしたい。たとえ期限つきであっても、わたしという妻がいたことを覚えていてほしい。


「わたしは、いい妻ではなかったと思いますが……ご恩情に感謝します」

「いや。なにか望みがあれば遠慮なく言ってくれ。できるだけのことはしよう」


「そうですね……また一緒にお食事をさせていただきたいです」

「俺と?」


「はい。イレーヌ様がお許しいただければ、普段のお食事も一緒に。領主夫人としての務めを果たしたいのです」

「わかった。他には?」


「手伝えることがあれば、なんでもお命じいただきたいと思います」

「……考えておこう」


 会話が途切れて、なぜだか急に居たたまれない気持ちになった。仕事の時間を割いてくれたことに礼を言い、席を立つ。


 執務室を出たあとは、部屋までの移動を急がずにはいられなかった。走って呼吸を乱しておけば、胸の痛みも誤魔化される気がしたから。


 使い慣れた空間に逃げ込んで、ベッドに倒れ込んだとき、ふと我に返った。


(あっ、今頃になって思い出したわ……)


 彼にお願いしたかったこと。猫に会わせてほしいと頼むつもりでいたのだった。あれ以来、とんと姿を見かけないから、どこかへ行ってしまったのだろうと諦めてもいるのだが。


 自分は馬鹿だと、枕に顔を押しつける。あんな話題を持ち出さなければ、悲しみを先延ばしにすることができたかもしれないのに。


 別れがこんなにも苦しく、悲痛な気持ちになるとは思わなかった。いずれそのときがきたら、わたしはどうなってしまうのだろう――。


     *


お読みくださり大変ありがとうございました!

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続きのほうも何卒よろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ))ペコリ

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