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ファントムコード

作者: 四条 廉也

 ビルに据え付けられた巨大モニターには昼過ぎのニュース番組が映し出されていた。

 女性キャスターが用意された原稿を読み上げ、有識者のゲストたちが真剣なトーンで討論を繰り広げている。

 幾つかトピックスが表示されているが、その中でも特に世間の耳目を集めているのが企業スパイとセキュリティ問題だ。

 この数か月で世界の有名企業が相次いで被害を報告している中、国内企業では現在も被害例がない理由や見解を述べあい、番組が事前に調査したという資料がフリップにまとめて映される。

 その中でも目を惹くのが防犯技術の向上というポイントで、従来のやり方である防犯カメラなどの手段も残しつつ、複合的な防犯システムの構築が功を奏しているのではないかという論調で司会が問いかけたところでコマーシャルへと画面が変わった。

 その一部始終を俺は駅の出口で眺めていた。

 午前で大学の講義が終わったので帰宅していたところ、丁度通り雨が降り出してしまったため足を止めていたところだ。

 周囲の人々の多くは時間に追われているのか、雨が降りしきる中を走って次の雨宿りが出来そうな建物や施設などを目指している。

 今日の天気予報は晴天と報じられていたこともあって誰しもが傘を持っておらず、手持ちのカバンや自身の手で何とか雨粒を避けようと懸命になっている中、俺はロータリーに近寄りたった今待合スペースに停車したタクシーに乗り込んだ。

 科学の進歩の産物として人類は多方面で大いに利便性を享受しているが、未だに局地的な天候の変化を予測することは困難であるし、雨に濡れて風邪をひいても即座に回復はしない。

 そんな発展途上の段階であるトレンドが世界中を席巻していた。

 それが、ニュースでも取り上げられていた複合的防犯システムでもある「顔認証」だ。

 電車を例に挙げると、昔であれば現金を握って限られた台数しかない券売機に並び購入し、それを目的地の駅の改札まで紛失しないよう保管しなければならなかったが、顔認証ならば直接改札へ向かいそのまま目的の電車に乗車することが出来る。

 更にこれは利便性の面だけではなく防犯面にも大きく寄与する側面も併せ持つ。

 街中の至るところに設置されている監視カメラが対象の人物を映している場合、自動的にその移動経路を探ることが可能となり、犯罪捜査の効率が格段に上がったという。

 しかしながら大方の善良な市民たちにとっては生活の利便性の向上が大部分を占めている。

 店舗や企業によって独自に展開されているポイントやスタンプ、クーポンなども一つ一つ管理する必要が無くなり、自身のクレジットカードや口座と紐付けておけば、ただ会計時に顔を見せるだけで全ての処理が終了するので、財布を持ち歩く必要も無くなった。

 なので、何となく目に留まった飲料の自動販売機で缶コーヒーを買おうと正対し、そのままボタンを押すだけで商品が手に入る。

「……そういえば、今日は新しいパソコンが届く予定だったな」

 ふと思い出した用事を口に出すと今度は溜息が漏れ出た。

 パソコンと同時に購入しようと思っていたモニターが在庫切れで、先日から再入荷されていないかを確認していたがとうとうパソコンの到着には間に合わなかったからだ。

 仕方がないので現在使用しているモニターで暫くは代用しよう等と思案している内に目的地に到着する。

 そこは駅から徒歩数分程度の立地である高層マンションだ。

 主にファミリー層向けの物件で、間取りは低層なら二人で住むのに丁度良い程度だが、最上階付近はフロア一つで一室となっており、たった一つの建物内でも経済格差が可視化されている。

 とは言え、立地やセキュリティーを考えれば入居出来るだけでもそれなりの資力を持っていると考えられるのも事実で、最低家賃が中堅サラリーマンの控除前の月給並みなのだ。

 俺はこのマンションの住人であるため、タクシーをエントランス前の乗降スペースに着けるよう指示した。

 間もなく会計へと移り、前部座席の背面に据え付けられたモニターが瞬きする間に決済完了を告げてくれる。

 運転手に礼を告げて降車しエントランスへ歩を進め、オートロック解除の端末へと近付く。

 一見すると少し大きめのインターフォンのモニターのような形状で、ある程度の距離まで来ると自動で画面が立ち上がり俺の顔を映し出す。

 色白だが少々釣り目なため、無言で居ると周囲にはよく怖がられてきたこともあり俺は自身の顔をあまり良くは思っていない。

 こうして顔認証をする度に自分自身と目が合うことにストレスを感じている程だ。

 内心で舌打ちをしている間にも認証が為され、自動ドアが開いた。

 エントランスの内部は簡素ながらも清掃が行き届いたロビーが広がっており、部屋ごとのポストや宅配ボックスが設置されている。

 流石にパソコンは収納出来ないため、部屋で宅配業者が配送に来るのを待つためにエレベーターホールへ向かう。

 が、その目の前に見知らぬ女性が一人腕を組んで俺の進路上に立ちはだかっていた。

 ロビーの脇にはソファーが設置されており、彼女は恐らくそこに居て俺が宅配ボックスのある方に視線を向けている内に移動して来たのであろう。

 この空間には俺と彼女しか居ないので、よっぽど人違いでもない限り俺に用事があるのは明白だ。

 彼女の出で立ちは黒のシンプルなパンツスーツにヒールがほとんど無いパンプス。

 見様によっては何かしらの営業職のようにも見えるが、その表情はにこやかとは程遠く寧ろ睨んでいるよう。

 俺が困惑から抜け出す間も無く彼女の方から口火を切った。

「貴方、麻都あさと りょうね。早速だけれど少し一緒に来てもらえるかしら」

 言葉そのものは依頼している格好だが、その雰囲気には有無を言わせないものを感じる。

「えーと……どなたでしょうか?」

「残念だけれど此方が情報を開示する義務は無いの。……もし御同行願えないのなら、そう遠くない未来に逮捕されることになります」

 眉一つ動かさず一歩俺ににじり寄る。

 逮捕、ということは警察に捕まるということで、彼女には俺がそうなる根拠と確信を持って目の前に居るということだ。

「……急にそんなことを言われても困るんですけど。僕はただの学生ですよ」

「ええ、都内の大学に在籍していることは知っています。ですが一介の学生が下宿先とするには少し値が張る賃貸ですよね。それにお部屋の大型テレビをはじめとした数々の最新家電、最近は五十万円を超えるパソコンを購入されませんでしたか?……それも他人の顔認証決済を利用して」

 彼女は事もなげにそう述べたが、それが如何に有り得ないことかは現在の顔認証が導入されてから不具合や誤作動が皆無であることからも明らかだ。

 詳細な仕様やシステムまでは知らずとも、顔貌の似た双子や整形、更には本人の画像を用いても認証されないことが立証されており、単なる記録画像との照合だけではないことが知れ渡っている。

「その、仰っている意味が分からないんですが…………仮にそれが本当だとしたら大事件ですよ」

 顔認証は国策として採用されてから久しく、国民の大多数が何らかの形で利用している。

 それは幾つもの実証実験の積み重ねと堅牢なセキュリティが評価されたからに他ならず、そのセキュリティに穴があると報じられれば大きな混乱を招く。

「その通りです。国策として採用されてから今現在に至るまで、顔認証システムの技術的欠陥を突くような事例はありません。技術的欠陥は、ね」

 元々人と目を合わせることが苦手なこともあり、射抜くような視線が向けられた瞬間思わず目を逸らしてしまった。

「そうですよね。なら、ただの学生にはそんなこと不可能な筈です」

「ですから、技術的ではないアプローチで顔認証のセキュリティを突破出来ていることが問題であり、それを野放しにも出来ないからこうして待ち伏せをさせていただきました」

「技術的ではないアプローチってなんですか?」

 我ながら白々しいとは思いつつ核心に迫る質問を投げ掛けると、彼女は明らかに興醒めしたように一つ鼻を鳴らして組んでいた腕を腰に当てた。

「麻都さんはご自身の行動履歴を振り返ったことがありますか?」

 俺の問いに答えることなく全く異なった質問が返った来た。

 そこに内包された意図が全く以て見えず不気味と感じ取りつつ首を横に振る。

「顔認証システムが、とは言わずとも現代を生きる大多数が科学技術の発展に伴い手に入れたものと失ったものがあります。その失ったものとは何か……それが貴方の質問への答えであり、今さっきの私の問いの意図です」

 自分の普段の行動の中に現代で失われたものがあるという彼女は、徐に両掌を胸元辺りの高さで合わせて見せた。

 食前の作法、そして神前での儀礼的所作である合掌。

「信仰という言葉はこの国の人間にはあまり耳慣れないものですが、今でも初詣などの慣習は残っている。しかし祀られた神々に対し真摯に祈りを奉げている人がどれだけいるか」

 俺が見聞きしてきた神的行事は場所こそ寺社であっても、そうした雰囲気や人の多さも相まって厳かさとは無縁のものだ。

 そしてぽつぽつと記憶の突起に引っ掛かる自身の行動。

「えっと……その、なんとなくは分かるんですけど、どういう言葉が当てはまるのか……」

「それは所謂、『大和心』というものでしょう。現代ではオカルト、スピリチュアルと揶揄され不用意に公言すれば変わり者扱いされるものです。ここまでお話すれば、もう惚けることもないのではないですか?」

 勝負あったとでも言いたげに雰囲気が和らぎ、右手を伸ばして来る。

「……分かりました。その前に、一度部屋に戻っても?もう少し着心地の良い服に着替えたいんですけど」

「いえ、それは出来ません。代わりに今から来ていただければ今日中には帰宅出来るよう図らいますが」

 一切の譲歩を許さない圧が再び戻りまたエントランスの外へ出るよう促される。

 すると、丁度良いタイミングで黒塗りのセダンが一台停車した。

 窓のスモークが濃いため中の様子は窺えないが、どうやら運転手一人だけのようで女性がそのまま後部座席のドアを開けた。

 ご丁寧にフレームに頭をぶつけないよう右手が添えられ、じっとこちらを見据えるので渋々シートに背中を預ける。

 反対側に彼女が乗り込み短く「出して」と運転手に声を掛けると、車体は静かに発進した。

 通り雨は未だ止む気配もなく滴が無遠慮に降りかかり続け、車内は忙しなく動作するワイパーと力強いながらも静粛性のあるエンジンの音だけが支配していた。

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