困った方ですね【続編】
誤字報告ありがとうございます。
「アラン様休憩致しましょう」
「…もう、そんな時間か?まだ、半分残っているのに」
扉がノックされてどうぞ、と返答すればサービングカートを押してフローレンスが入ってくる。
予想より残っている書類を見て目を伏せるアランと対照的にフローレンスは目を輝かせた。
「まあ、アラン様もう半分も捌かれたのですか!期日までまだ五日もありますから充分過ぎる程ですわ」
「いや、だがフローレンスはもう自分の仕事を終わらせたのだろう?」
「アラン様、私は十一の頃より当主となる事が不本意ながら決定しておりましたのでその頃より政務を習い十三の頃から父の補佐についておりました。領地の事はこれでも熟知しておりますから早くて当たり前なのです。これが、ランディール公爵領の事であったなら全く異なる結果となっておりますわ」
「それは…そうかもしれないが……」
「オスカーがアラン様は真面目ですが考えが堅すぎず素晴らしい素質の持ち主だと絶賛していましたわ。私もそう思います」
「そ、そうだろうか…」
アランは意外と褒められ慣れていないようで、フローレンスが絶賛する度にたじろぎながらも嬉しそうにするので、良いところを見つけては褒めるのがフローレンスの新たな趣味となっている。アランはわからない事は素直に聞き同じ失敗を二度繰り返さない、日々コツコツと努力する姿勢、最初の出会いの傲慢な態度は夢だったと思うくらい誰にでも丁寧に接するので褒める所には困らない。
「今日のハーブティーは私の新しいブレンドなのですよ!渋みと苦味を抑えたので随分と飲みやすくなりましたの!」
「それは楽しみだな。この前のは確かに身体は楽になったがかなり飲みにくかった……」
思い出して顔をひきつらせるアランに「それでも全て飲んで下さいましたわね」と笑顔で返しながらテーブルに軽食とティーカップを並べるフローレンス。
「…飲みやすい。これなら毎日だって飲みたいな」
「まあ!嬉しいですわ!」
「それにしても何が原因だったんだ?」
「それがですね原因はスグネムクナールの摘み取り時間と乾燥の度合いだったんですの!スグネムクナールは花粉を摂取してしまうと気絶するように眠ってしまうのですが花が咲く前の葉には疲労回復と僅かな覚醒作用が認められるのですがフレッシュな状態で使うと渋みと苦味とエグみのオンパレードでかといって乾燥させ過ぎると疲労回復の効果が無くなりただの不味い液体となってしまうのですが、何度も試している内に早朝の日が昇る前に摘み取る必要があると気づいたのです!そこからは乾燥の度合いを調整するだけでしたのであっという間でしたわ!」
「そうか、だが早朝は暗いからな。一人は危ないから誰か連れて行くか俺を起こしてくれても」
「ご安心下さい!
庭師のガイヤがすでに活動を初めておりますので採取する時は同行をお願いしていますわ!
アラン様の睡眠を邪魔する事は致しませんのでご安心下さい!」
「そうか…」
ちょっぴり残念に思ったアランだった。
軽食を楽しんだ後、フローレンスの誘いで庭を散策する事になった。
色とりどりの植物が美しく育っているがこの半分が何かしらの効能がある薬草に分類されると知ったのは最近だった。
なんでも非常時に植えてある植物を煎じればある程度の薬は作れるとのこと。見た目も美しく一石二鳥だと誇らしげなフローレンスが可愛らしかった。
「アラン様、父がこれ幸いと私達の婚姻と同時に代替わりの手続きを済ませてしまいましたが、負担になっていませんか?」
「ああ、学生の間に丁寧に指導頂いたし引き継ぎの資料もわかりやすい。
補佐のオスカーはとても頼りになるし、それにフローレンスが支えてくれているからな」
「まあ、ふふ嬉しいですわアラン様」
「あ、アランと呼んでくれないか。その、夫婦になったのに距離があるだろう」
耳まで真っ赤にしているアランの細やかな要望にフローレンスは目を見張ってふふ、と微笑んだ。
「そうですわね。アラン、と呼ばせて頂きますわ。ふふ、でも旦那様と呼ぶのも捨てがたいですわね」
少しだけからかうように目を細めて言えばアランはさらに顔を真っ赤にして俯いた。
「あらあらあら、見ましたか旦那様。フローレンスったらとても嬉しそうですよ。あの子本当によく笑うようになりましたわね」
庭が見渡せるガゼボでお茶をしていたフローレンスの両親は仲良く散策する娘夫婦を微笑ましい気持ちで見守っていた。
「ああ、夫婦仲が良いに越したことはない。しかし、本当に素晴らしい婿を捕まえたものだな。きっと私に似たのだろう。君という妻を捕まえた私は幸せ者だからな」
「まあ…そんな事おっしゃる割には毎年首と爵位を返上なさっておいででしたのに」
「それを仕方ないと見送ってくれる君以上の理解者などおるまい。やはり私は幸せ者だ」
「困った方ですね」
そういいながらもラオスの妻マリーナは穏やかに微笑んでいる。
最初は婚姻前に聞いていたとは言えいざ本当に腹を括って首と爵位を返上しに行く姿を見送るのは内心酷く動揺したものだ。
しかし、人とは適応する生き物である。
数年経てば「旦那様の、歴代当主達の積年の願いが叶うか否か」を執事のオスカーと賭けにできる程度には慣れていった。結局どちらも叶わないに賭けたから賭けとして成立する事は無かったが。
「懐かしいですわね。ふふ、わたくし旦那様に初めてお会いした時の事今でも時々思い出しますの」
「……個人的にはあまり喜べないな」
「うふふ、わたくしにとっては良い思いでですわ」
二十八年前
マリーナは出来の良い他の姉弟に対してこれといった才能の無い自分に自信が持てず、社交界では壁の花になるのが恒例となっていた。
春の王家主催の夜会で一通りの挨拶を終えると一人きりになりたくて中庭のベンチに座っていた。
「よし…あと一瓶開ければ酩酊状態手前になるだろう」
植木の奥からそんな声が聞こえて気になって立ち上がる。人の事を言えた立場ではないがホールを抜け出して一人で恐らく酒を飲んでいる人物に興味が湧いた。
「ん…?誰かおられるのか?」
「あ…申し訳ありません。声がして気になったものですから」
できるだけ静かに近づいたつもりだったがあっさりと気づかれてしまい素直に謝罪する。
「いえ、こちらこそこのような場面を見られてしまうとは…お恥ずかしい限りです。どうか内密にして頂けると助かります。レディ」
「も、もちろんです。あ、あの、なぜここでお飲みに?」
「すみやかに途中帰宅するためです」
「途中帰宅、ですか?」
「王家主催の夜会でしがない子爵家の私が夜会の半ばに差し掛かる前に途中帰宅するには誰の目から見ても確固たる理由が必要です。今回は『調子に乗って飲み過ぎたためにこれ以上の醜態をさらす前に帰る』…という完璧な計画なのです」
そうなの…?醜態をさらしている時点でよくないのではないかしら。
「ついでに『あんな醜態をさらす奴が当主になどふさわしくない』という声が広まって爵位返上となればなおよし。私は天才だったのかもしれない」
まるで爵位を返上したいかのように言いながらグラスにワインを注ぐ青年。
マリーナより少し年上に見えるがそれでもまだ精々二十二、三くらいだろう。足元に空になった瓶が二本置いてあるのを見て心配になる。
「お、お酒はお強いのですか?」
「人並みには飲める筈だ」
「筈…という事は普段は嗜まれないのでしょうか?」
「成人して一度飲んだが味が好きではなくて以来飲んでいないもので。つまり五年ぶりです」
それはあまり大丈夫ではないのではなかろうか。
マリーナの予想は当たり青年は注いだワインを飲み干した直後顔を思い切り歪ませた。
「……父上はうわばみだったのか…」
青年は酔いが一気に回るタイプだった。
「あ、あのお水をお持ち致します、それか肩をお貸し致しましょうか」
「お気遣い感謝致します。しかしこのような醜態をさらしておりますが、レディに迷惑をかけるほど落ちぶれてはおりませぬ…うえぇ…」
青年は酒などロクなものではないと思いつつ徐々に増す吐き気を堪えながらマリーナを見た。
「レディ…そろそろ質の悪い連中が一晩の夢だとか愚かな事を宣いはじめる時間です。こんな薄暗い場所に居ては危険ですぞ。ご家族の元に戻られた方がいい……ぐおぉ…飲み過ぎた…」
「え、あの…私の事よりあなたの方が一大事では…それに私なんかに声を掛けるとは思えませんし」
「何を言いますか。艶のある黒髪も光を帯びると金に見える琥珀の瞳も夜の妖精と並ぶ美しさだ。何より貴方はこの醜態しかさらしていない男にも親切にしてくださる良識の持ち主だ。それは素晴らしい事です。誇りにしていい……マジでやばい…吐く…」
人生で言われたことの無い褒め言葉の連続に顔を赤くしたマリーナだが本気で吐きそうな青年に今度は顔を青くして背中を擦る。
「あ、あのやはり肩をお貸し致します。その、そうすればわたくしも声を掛けられなくてすみますし」
「……面目次第も無い……ありがとうございます」
その後青年は馬車で待機していた執事にご令嬢に迷惑を掛けるとは何事かとしこたま説教され、その通りだと反省した。
そうして、マリーナに後日礼をしたい、是非名前をと聞き掛けて自分が名乗っていない事に気がついた。
「私はラオス・アリスドールと申します。どうか貴方の名前を知る栄誉を頂けないでしょうか……ぐぅ…」
何とも締まらない自己紹介にマリーナは自然と微笑んでいた。
「マリーナ・エルドと申します。お大事になさって下さいませ。アリスドール子爵」
後日謝罪に訪れたラオスが、マリーナの両親に如何に素晴らしい女性かを熱弁しその場で婚約が成立する事をこの時のマリーナは知らなかった。
*おまけ
「君が行きたがっていた隣国のリゾートホテルの予約が取れたんだ。一緒に旅行などはどうだろうか」
「まあ…覚えていて下さったのですか?」
「当たり前だろう。隠居後に首が残っていれば連れていこうと思っていた」
「まあまあ、お首が無かったらどうするおつもりでしたの?」
「マリーが仲の良い友人と行けるように手配する予定だった」
「悪い人、私は旦那様と行きたいのですよ」
「それはすまなかった。来月なのだがどうだろうか」
「一年先まで旦那様以外との予定は御座いませんわ」
「それは良いことを聞いた。たくさん予定を作ろうじゃないか」
「楽しみですわ」
「向こうは少し気候が暖かい。オードルで肌触りと通気性の優れた服を幾つか見繕っている。気に入ってくれると良いのだが」
「ありがとうございます。旦那様はセンスがおありですもの、早く見たいですわ」
「君に似合うものは不思議と目につくのだよ。フィリアやフローレンスへのプレゼントは不評な事が多い」
「うふふ、旦那様」
「なんだい?」
「私も旦那様と結婚できて幸せです」
「…改めて言われると照れるものだな」
「あらあら、ご自分から言い出したのに、本当に困った方ね」
嬉しそうに笑う妻マリーにやっぱり自分は幸せ者だとラオスは微笑み返した。
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