騎士団長エリーザの憂鬱 ~これは公私混同ではないっ!~
騎士とは剣を振るうもの。
けれど、誰かに“心を向けられた”時――どう応えればいいのかは、誰も教えてくれなかった。
鉄壁の騎士団長エリーザと、笑顔の文官ノエル。
これは、彼らの関係が“変わり始めた日”のお話です。
ある静かな昼下がり。エリーザは執務が一段落し、ひとり茶を嗜んでいた。
すると扉からノックの音がする。
「騎士団長、ノエルです。観測記録をお持ちしました」
なんだ、あのニコニコ顔の忌々しい文官ではないか。
模擬演習は3日間昼夜を通して行われ、今朝方ようやく終了したはず。
もうまとまったのか。…これだからアイツは気に入らない。
「かまわん、入れ」
「失礼します」
レンガ1つ分の厚さはある紙束を抱え、年若い文官はデスクの前に顔見せる。
「詳細はあとでじっくり確認しよう。概要を述べよ」
「大まかには問題ありません。ただし、野戦には少し課題があるかと。陣形にもよりますが、第1分隊と第3分隊の連携に不備が見られました」
「理由は?」
「第1分隊の副長が先月、退役しております」
「分隊長は変わらぬはずだが」
「第1分隊の場合、分隊長は他分隊との連携を、副長が分隊内の統制を行っております。今回はベテランの副長が抜けた穴を埋めるため、分隊長自らが分隊内の統制もフォロー、結果として他分隊との連携に綻びが生まれておりました」
「対応は?」
「副長を1名ではなく、暫定的に2名とし、内部連携の統制役を増強。分隊長は他分隊との連携に集中させます」
「よかろう」
──やはり気に入らん!
内務省からの出向で戦場観測官をやっているだけの人間が、何故ここまで的確に対応できる!?
騎士団員どころか、一般兵ですらないただの文官が、この短時間で将官の面目まるつぶれの分析をしているではないか。
なんなんだコイツは!!
──ここで私は、最近耳にした噂話を思い出した。
日頃から公私ともども理不尽がないように心がける私だが、コイツを相手にするときだけは不思議と嗜虐的な衝動に駆られる。あまり褒められた話ではないが、……少しからかってやるか。
「ところでノエル、……縁談の話がきているようだな」
私は唇の左端が釣り上がりそうになり、どうにか抑えこむ。
「ああ、ご存知でしたか」
ノエルは笑みを絶やさず、動揺の素振りもない。照れでもすれば、もう少しは可愛げもあろうに。
「祝言はいつだ?知らぬ仲ではない、祝い金くらいは届けさせよう」
「お断りしました」
どういうことだ!?有力貴族の派閥から婿養子の打診が来ていたはずだが…
「──なぜだ、……悪い話ではなかっただろう」
「エリーザさま」
ノエルがいつになく鋭い眼差しで私を見つめた。
「……なんだ?」
「ずっとお慕いしておりました」
「……っ…からかっているのか!?もう27、貴族社会では行き遅れ扱いされる年齢だ……さすがの私も傷つくぞ!」
「40代50代の貴族当主が20歳そこらの後妻を娶るなど、わりとよく聞く話では?」
ノエルは鼻で嗤う。
「それを思えば7歳の差など、誤差のようなものです」
「…っ」
───息ができなくなった。
何も言い返せないでいる私の左手を取ったかと思うと、奴はとつぜん片膝をつき、そして手の甲に口づけを落とした。
頭の中が沸騰する。
いつだ、いつからだ。
いつもニコニコヘラヘラした平民上がりの鼻持ちならないこの男は一体いつ私のことを…
「覚えておいででしょうか、アーサーブリッジの撤退戦」
「……ああ、忘れもしない。10年前、騎士学校を卒業したばかりの私が初陣を飾った戦いだ」
その年は日照りがひどく、作物の育ちがとても酷かった。
たしか山の幸も乏しかったと記憶している。そのせいで腹をすかせた魔獣の大規模暴走が発生し、いくつかの集落はすでに陥落。近隣の街や村の住人を王都にほど近いアーサブリッジの手前まで避難させた。
我々騎士団は橋の向こう側に陣を張り、2ヶ月弱にわたって死闘を繰り広げた。
しかし、その撤退戦の話をなぜ今?
「無理もありません。ずいぶん背も伸びましたから……エリィお姉ちゃん?」
「…っ!?」
そういえば物資の補給でたまに顔を合わせる少年がいたな。子どもながらテキパキと指示を出して大人たちをまとめあげる様は大したものだと思っていたが…
「まさか貴様……倉庫番の少年か!?」
「思い出していただけましたか!!」
彼は王城内で一度も目にした覚えのない、とびっきりの笑顔をみせた。
だめだ、心臓がうるさい。まわりの音が、もう聞こえない
「…わ、わたしとしてはな、貴様の提案を受け入れてやる事もやぶさかではないぞ?ただ、な、ただ…」
「ただ?」
「私はこれでも男爵令嬢、つまり貴族だ」
「それが何か?」
「いくら優秀であろうと私に懸想しようと、貴様は平民ということだ」
「つい先ほど宰相殿に呼ばれましてね」
「うん?」
「法衣貴族ではありますが、子爵への叙任が内定いたしました」
「…な、なにを言っている?平民から貴族上がりなんぞ、30年に1度あるかないかの」
ノエルは肩をすくめて言う。
「過去の事例を圧倒的に上回る実績を作ればいい…簡単なことです」
* * *
───1週間後、宰相執務室
麒麟児はぶじ叙爵式を終えると、私のところへ挨拶に来た。
平民出身の成り上がり貴族、思わぬ妬みや恨みを買うこともあろう。
後ろ盾になるから安心して政務に邁進するよう伝えた。
「ところで宰相、ひとつご報告がありまして…」
そいういえば財務大臣が自身の派閥から婚約者の紹介を申し出ていたな。
貴族になった以上、くだんの町娘とはもうやっていけまい。受け入れたか。
「なんだ、他の派閥から妻でも娶ることになったか?安心しろ、財務大臣は学院時代からの付き合いでな。たまに授業をすっぽかしてはポーカーに興じた仲よ」
「……そうではないのです。あちらのご紹介はすぐにお断りしました」
「なに、どういうことだ?気持ちは分かるが市井から妻を娶る、少なくとも正妻にするのは茨の道だぞ?悪いことは言わん、白い結婚でも良い。町娘は妾にとどめておけ」
「……宰相殿、町娘とは何のお話でしょう?」
「以前、他ならぬお主自身が話してくれたではないか。意中の相手がいるとか、まだ恋仲ではないだとか……違うのか?」
「いえ、まさしくそのお相手なのですが…」
「どういうことだ?平民の頃から貴族令嬢に懸想していたと?」
「ええ、まさしくそのとおりです。つい先日、婚約の申し出を受け入れていただきました」
「……すまない、全く話が見えんのだが。私は君が社交場に出入りするタイプではなかったと記憶している。だとしたら一体どこでそんなきっかけが?ああ、後ろ盾として派閥も確認しておきたい。家名をお聞かせ願えるかね?」
「ヴァルトライヒ男爵家です」
「ヴァルトライヒ?確かあの家は伝統派、つまり王家寄りの保守派閥であるし、ウチとも繋がりがあるから問題はないが…妙齢の御婦人など」
「エリーザ・フォン・ヴァルトライヒ騎士団長、あれほど誇り高く美しい女性を私は他に知りません」
ノエルは、普段の冷静沈着な様子から想像できないほど感情をあらわにする。
そして「詳しい進捗については追って知らせますので!」と言い残し、飛び跳ねるように去っていった。
…
……
………なぜだ、なぜこうなった!?
エリーザ・フォン・ヴァルトライヒ男爵令嬢。
ああ、美女ではある。
そこらの令嬢が束になっても敵わんほど飛び抜けた美女であることは認めよう。
だが、だが、だが、よりによってあの氷刃の令嬢はないだろうに!!
剣の腕は超一流、部下の信任も厚く、公明正大。
ただし、冗談ひとつ通じぬ冷血鉄壁のあの堅物と何がどうなれば恋仲になるというのだ。
わからん!まったくもってわからん!!
……まぁ幸いにも団長は実家も含めて王家への忠誠が篤い。
むしろ麒麟児が手綱を引いてくれると思えば、これ以上の采配がないようにも思える。
悪いようにはならんだろう。
ご覧いただきありがとうございました!
鉄壁の騎士団長と、飄々とすり抜ける文官。
今回は、ほんの少しだけ“恋の輪郭”が見えたお話でした。
本作単体でも読める構成になっていますが、
もしお楽しみいただけたなら、ぜひ前作『騎士団長エリーザの憂鬱』もお読みいただけると嬉しいです。
ふたりの関係性がより楽しめると思います。
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あなたの一声が、ふたりの“続きを紡ぐ鍵”になりますように――