新しい名前をつけましょう
3月9日に投稿した物の再推敲版になります
「葉隠首相は何を考えてるんだかねぇ!!」
金曜日の夜。居酒屋で上司の浜田さんが、並々注がれたビールをジョッキが空になるまで飲み干し、頬を赤らめながら俺に向かって話し始める。
「なんの為にこんな事をするのか分かったもんじゃ無いよぉ!!」
浜田さんが怒っているのは、今年の3月12日、つまり来月から施行される新しい法政策に対してだ。
『ニューネーム制度』
年収が1000万以上の成人には、今ある戸籍に加えてもう一つの戸籍が政府より与えられる。そして、その戸籍を使い2世帯目の家庭を築く義務を課される。
「一夫多妻制度を導入とかならね?百歩譲って分かるよ……けどねぇ。無理やり二つの家庭をやりくりする父親になるだなんて、まず倫理的におかしいだろう!」
その通りである。浜田さんは不動産業界で十年活躍するベテランだ。年収1000万はゆうに越えている。俺は入って一年、年収800万なので制度の対象にはならないが、何年かすればそうなる可能性はありえる。
「1週間後だって言うのに手続き諸々の詳細も聞かされて無いからね。参っちゃうよ」
この日の飲みはこんな会話がループした。他の話を切り出して明るい雰囲気にしたいとも思ったが、浜田さんは俺にとっての恩人だし、日頃のストレスを晴らしてあげるつもりで、彼の思いを肯定しつつ美味しく酒を飲んだ。
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土日は休日だ。大学時代の友人とロックバンド「MANJI OF HAM」通称「マンハム」のライブに行った。そこでまさかの新曲発表。「もう一人の赤子」という曲だった。ライブの後、友人とカフェで休み、新曲について考察談義を行った。タイトルからほとんど確信していたが、歌詞はニューネーム制度に対するメッセージだろう。マンハムは、ワールドツアーを行う程の人気バンドだ。このメンバー全員も例外無く制度の対象者である。
「昔のマンハムなら、制度に中指立てるようなスタンスだったろうに、どちらかと言うと優しく受け入れるような歌詞だよな。変わっちまったな」
「優しい歌詞に見せ掛けて、皮肉かもしれんよ?」
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休日は明け、仕事が始まる。激務に終われ、あっという間の5日間だった。制度執行の金曜日がやってくる。その日、浜田さんは仕事を休んでいた。浜田さんだけじゃない。制度の対象になる人間のほとんどが、全国で国の命令にて休みを取る事になったと、2日前からニュースで流れていた。
いつも、金曜の夜は浜田さんに飲みに誘われ居酒屋に行くのだが、その浜田さんもお休みなのでそのまま真っ直ぐ家に帰った。俺は一人暮らしだ。家に帰ってテレビを付けると、ほとんどのチャンネルが著名人の結婚と新しい戸籍の発表で埋め尽くされていた。交際発表などでは無い、結婚だ。制度開始当日にあらゆる著名人が結婚を発表したのだ。独り身だった者は、新しい名前とパートナーとなる二人を同時に発表した。
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そこからまた休日。この二日間もテレビやスマホのニュースSNSはニューネーム制度の事で持ちきりだった。そして月曜日、会社に浜田さんがやって来る。俺はすぐさま声をかけた。
「浜田さん!!」
「やぁ井上くん」
「あの、どうですか?ニューネーム制度というか、諸々」
「思ったより悪くないよ」
「そうなんですか!浜田さん、飲みの時に不満そうだったので心配でしたが、良かったです」
「因みに、俺のニューネームは『センチュリオン』ね」
「センチュリオン!?」
思わず大声を上げてしまった。外国籍を与えられたのだろうか。テレビで報道されていた人たちのニューネームは皆、一度は聞いた事があるような、日本の苗字だった。俺が疑問を投げかけようとしたその手前、それを察した浜田さんが先に話し始める。
「もう一つの家庭はラスベガスにを持つ事になってね。こういう名前になったんだ。マグナス・センチュリオンとしてね。因みに新しい奥さんのモレナはベガスのカジノのオーナーをやっているんだ」
ニューネーム制度の対象者同士が結婚するというパターンは多いと聞いたが、濱田さんもそうだったみたいだ。ニューネーム制度は貧困層の人間と富裕層の人間を結婚させ、その扶養によって貧富の差を縮める政策だと、過去にワイドショーにて語っていた評論家がいたが、それは違う事がこの現状で証明されてしまった。だったら、少子高齢化対策なのか?
「来週には完全に復活するから、また頑張ろうね。井上君!!」
ニューネーム制度開始から一週間は休暇や早退をしていた浜田さんだったが、それ以降は政策前と同じように出勤し、いつもの調子でタスクをこなし、俺への教育をしてくれた。
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それから1年後、再び「マンハム」のライブに大学時代友人と行った。この友人との毎年の恒例行事になりつつある。気持ち的には毎月行きたいくらいなのだが、チケットの抽選が当たらず結局いつも大体年1回くらいでしか行けない。
他の客と一緒に会場内へと入っていく。会場のルールに関するアナウンスが流れてくる。もう少しだ、もう少しで始まる。会場の照明がゆっくり消え、ファン達も少しづつ静まり返る。さぁ、この後、ステージの幕が開きメンバーの登場だ。
「来るぞ!」
スピーカーから音楽が流れてくる。聴いた事の無い伴奏だ、サプライズで新曲の発表か?ゆっくりと幕が開く。
「サーザーエー、サーザーエー、サーザーエー、イーンーバー、イーンーバー、イーンーバー、サーザーエー、イーンーバー、ヌッ!!」
なんだ!?それは確かにギターボーカルの鷹原君の歌声ではあったが、何かがおかしい。伴奏も控えめなベースギターの音と、おそらくトライアングルだと思われる、金属が叩かれるような音のみ。この伴奏が流れたまま鷹原君は歌うのをやめ、語り始める。
「ニューネーム制度で出来た、俺の新しいパートナーはユグヌム星人のエタノール・センチュリオン。これは、彼女に捧げる歌だ」
何を言っている?ユグヌム星人?そんなの都市伝説でしか聞いた事が無い。俺は友人の方に顔を向けると、友人の頭が、ドロドロと溶け始めていた。鷹原君が再び歌い始める。
「サーザーエー、サーザーエー、サーザーエー、イーンーバー、イーンーバー、イーンーバー、サーザーエー、イーンーバー、ヌッ!!」
意識が朦朧としてくる……俺は何をしていたんだっけ?俺も溶けている?死ぬのか?いや、これは死では無い。生まれ変わるのだと直感を抱いた。人では無い何者かとして。今の俺とはさようならだ。そして俺は「新しい姿」に生まれ変わり、きっと「新しい名前」を付けられるのだ。
「ユリェ……」