おやすみ、悪夢(注・テオバルト視点)
この小説を初めて読む方は第1話もぜひどうぞ。
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今回のお話は以下のお話も読むと、事情がわかりやすくなります。
38話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/38/
39話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/39/
テオバルト登場回
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14話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/14/
31話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/31
32話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/32
37話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/37
38話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/38
城にやってきたマーヤはボロボロで、息をするのもやっとの有り様だった。
彼女は震える右手で、腰に刺している小剣を大切そうに握っている。
まるで、それだけは何があっても離すまいとするように。
マーヤの服は大量の血液にまみれ、乾いた布地は褐色に染まりきっている。ずたずたに切り裂かれ、素肌もところどころ見えていた。
弱りきっていても、笑顔だけは絶やさない。
「……テオバルト様、……ただいま、……戻りました」
彼女はよろめいた。
あぁ。
君は、俺との約束を、ちゃんと守ってくれたんだ。
力なく倒れた彼女を、俺はしっかりと抱きとめた。
彼女の体が、とても軽く感じられた。
知らずに、視界が滲んでいく。
涙が、止まらない。
彼女は、俺のためだけに、俺のもとに、真っ先に、戻ってきてくれたんだ。
母上が俺の涙を見て、
「みっともない! 女一人で。女なんてたくさん見繕ってあげるわよ。そんな娘よりももっと身分も地位も高くて美人の上玉をね」
それなら、なぜ、あなたは父上以外の男の愛で満足できないのだろう。
マーヤは俺を慰めるように、口角を上げた。
「必ず……守ります……、テオバルト様も……皆も……。そして……、絶対、一人に……させません」
マーヤはそう言って、笑みを浮かべたまま、動かなくなった。
まるで、時間だけが止まったかのようだ。
それでも、彼女の瞳は俺を見つめ続けてくれる。
息をしているのか、していないのか。
俺には、もう、……わからなかった。
彼女との思い出が胸から溢れ出してくる。
両親が殺された時のことを震えながら語った君。
いつも笑顔の彼女に、こんなトラウマがあったなんて驚いたことを覚えている。
君が育った孤児院に一緒に行った時、俺は環境の劣悪さに驚いた。
食べ物が足りなくて、いつも皆餓えていた。早く食べられない子どもは、他の子どもにすぐに横取りされていた。
大人に呼ばれたら、すぐに走って行かないとムチで叩かれ、土下座をさせられるような場所だった。
リーゼロッテはマーヤに対して、マナーの悪さをいつも指摘していたな。
そして、最後には、「王太子ともあろう方が、もう少し身分と品のある女性とともに行動すべきです」と言っていたな。
彼女の言う通りだろう。
彼女のような女性をそばに置くのが王太子らしいに違いない。
それでも、俺は君のそばにいたな。
君は明るくて、太陽みたいで、一緒にいると楽しかったんだ。
君のひたむきな笑顔に、癒やされていたんだ。
ある日、君は夜市があることを教えてくれた。俺が、「行ってみたいが王太子だから行けない」と言った時、君は首を横に振った。
悪戯な笑みを浮かべて、
「こっそり寄宿舎を抜け出しましょう! 大丈夫です! 全部、私が悪いことにすればいいんだから!」
「でも……」
「行きたいんでしょう! テオバルト様!」
そう言って、君は戸惑う俺を外に連れ出してくれた。
楽しかったな、寄宿舎を抜け出して、二人で夜市の屋台に行ったのが。
俺はある日、君に夢を語ったことがあったな。
「俺は立派な王になって、孤児院の待遇を改善しよう」
「ありがとうございます」
その時の、君の輝くような笑顔が、今も胸に張りついている。
俺は、そして、君のような子と結婚したいと言おうとしたが、先に君が口を開いた。
夢見るように、
「私は、素敵な旦那さんと子どもたちと一緒に、小さな家に住みたいです。それで、一緒に野菜とか果樹を育てて、子どもたちに、夏にはプラムのタルトを、秋にはりんごのパイを作ってあげたいな」
その時の俺はそっと、口をつぐんだ。
その願いを、俺は叶えることができないから。
俺はマーヤの開いたままのまぶたを、そっと閉じた。
彼女は穏やかな表情を浮かべている。
もう、誰も彼女の、ささやかな願いを、叶えることは出来ないのだろうか。
結局、俺を王太子としてではなく、テオバルトとして見てくれたのは、マーヤ一人だけだった。
最後まで、俺という人間の意思を、気持ちを、尊重してくれたのは君だけだったよ。
ありがとう。
俺を人として、見てくれて。
俺を人として、扱ってくれて。
でも、マーヤ。
君が思ってるほど、実は俺は寂しくはないんだ。
俺は、単なる道具でしかないから。
寂しいという気持ちは、もう消えてしまったんだ。
おやすみ。
それでも、俺にも気持ちが、少しだけ残っているんだよ。
君はもう、聖女という誰かのための道具ではなくて、一人の笑顔が可愛い女の子に戻ったんだ。
ようやく悪夢は終わったんだよ。
だから、君が休めることに、心から安堵している。
涙は止まっていた。
だけど、やっぱり悲しいよ。
読んでくれてありがとうございました。




