デメルングリーダーのアルフォンスとの出会い
バチバチと何かが燃える音が耳に届く。頬にじりじりと熱を感じるが、それが何の音なのか、意識はまだ覚束ない。眼の前は漆黒の闇。だが、右の片隅に、微かな光が揺れているのが感じる。なぜ、こんなにも何も見えないのだろうか。
あ、目を閉じてるのか。
私は、確か……崖から飛び降りたんだ……。
あの崖から飛び降りたのなら、さすがに助からない。
ということは、私は死んでいるのか。
私は天国の景色を見るために、ゆっくりと目を開けた。
空だ。
満天の星空。
「目が覚めたか」
男の声の方へと顔を向けると、青年が焚き火を挟んで座っていた。ブルーシルバーの髪と瞳を持つ物静かな雰囲気を持った端正な顔立ち。
先ほど感じたパチパチという音も光もこの焚き火だったのか。
「あっ……」
私は思わず声を上げた。
彼こそが悪の組織デメルングのリーダーのアルフォンスだからだ。誰もが振り向くようなクールで美しい顔立ちからは想像がつかないくらい冷酷非道な男。
私は原作の乙女ゲームでは、こいつに誘拐と洗脳され、マーヤたちを襲うのだ。
私は急いで起き上がると、身構えた。
洗脳されてはたまらない。
アルフォンスは静かに言った。
「初対面だから仕方ないが、そんなに警戒をしなくてもいい。何もしない。するのなら、もうとっくにしている」
「そ、そうなのですか?」
「まぁな。君くらい一捻りだ」
彼は拳を握って表現する。
でも、彼は私をこうして助けてくれた。
私は改めて彼を見た。
「……あなたが私を助けてくださったのですか? でも、私は崖から確か飛び降りて……。助かるとは思えません」
「俺が魔法で助けた」
「そう……だったのですか。感謝いたします」
私は素直に礼を言って、座り直した。
アルフォンスは私が落ち着いたのを確認してから、
「俺はアルフォンスだ」
「私は……」
「リーゼロッテ・アンブロス・フューラー」
「!」
「スタンジェル学園でこの髪と同じ色の鳥を見なかったか」
「……そういえば……」
「その鳥は俺が変身した姿だ。ずっと君を見ていた」
「ま、まぁ」
アルフォンスは言葉を続けた。
「本当は君を魔法で洗脳するつもりだったが」
やっぱり……。
「悔しくはないか? 些細なことで王太子に難癖をつけられ、貴族を除籍され、学園を追放されたことを」
「悔しい……?」
「そうだ」
私は押し黙った。
除籍されてからの展開が急すぎて、そんなこと考えたことなかった。馬車の中では、乙女ゲームとこの世界の違いばかりを考えて、感慨にふけっていた。
アルフォンスは再び、
「悔しくはないのか?」
と問うた。
私は俯いて少し考えた。
義母は可愛い弟を領主にしたくて仕方なかったのだ。親なら当然ではないだろうか。
王太子は私のマーヤへの態度を改めさせ、私の王太子への恋心を諦めさせるためにちょっと恥をかかせたかっただけなのだ。
いつまでも好意がない女の子に付きまとわれるのはうざいだけじゃないか。
私は前世の記憶を思い出していた。
この魔法あふれるファンタジー世界よりも魔法がない地球のほうがヘヴィーな体験の目白押しだった。
舞台当日に、急にお腹が痛くなってトイレから出られなかったときのほうが辛かった。舞台前に私に水をくれた女の子がニヤニヤと「可哀想ね」と言いながら、代役として舞台に上がった時のほうが悔しかった。
お前、絶対、下剤盛っただろ。
一番ヘヴィーだったのは、子どもの頃に参加した撮影会である。
スケベな水着を着せられ、知らないロリコン親父に何人も抱きつかれながら、何枚も写真を撮らされたのだ。
子どもながらに、どうしてこんな嫌な思いをしないといけないのかと、悔しさで胸がかき乱された。
私はゆっくりと顔を上げ、アルフォンスにキッパリと告げた。
「全然。全く。微塵も」
芽衣子時代の恥辱に満ちた経験があるからか、家と縁を切られたくらい、学園を追放されたくらいなんともない。
アルフォンスは驚いて、信じられないようなものを見るような目を向けた。
彼の戸惑う気持ちもわかる。
普通なら、悔しさや怒りの感情があるものだろう。
それが普通のことなのもわかる。
わかるが、私の経験が普通ではなかった。
アルフォンスは強い口調で、
「理不尽に追いやられ、復讐したいと思わないのか?」
「復讐?」
「君の地位や身分を奪った王太子や義理の弟に」
「いいえ」
むしろ、私を自由にしてくれたのだ。感謝するべきだろう。
リーゼロッテとして家にいたら、私はどこかの貴族の次男か三男と結婚して家をついで、領地経営をしないといけない。
魔物が出たら、どっかの国や貴族に攻められたら戦わないといけない。
庶民としての生活は大変だろうが、本当にやってみたいことができるのではないだろうか。
アルフォンスは困ったように頭を抱えている。
私が冷めた瞳で、
「もしかして、復讐仲間に勧誘するつもりでしたの?」
「そのとおりだ」
「残念でしたね」
洗脳すれば楽だったのにね。
あんた、実はお人好し?
「俺や俺の仲間も王国や教会に虐げられ、復讐と正義のために王国を打倒することを目標としている」
「そうですの」
知ってますわ。ゲームでさんざん思い知らされましたわ。
私は焚き火を見つめながら、
「たとえ、私が復讐心に囚われたとしても復讐はしません。あなたとお仲間は確かに王国からひどい目を受けたのでしょう。でも、この国の政治は安定していて、魔物以外の事柄では平和。王国を打倒しようと思えば、必ず戦争が起こります。戦争が起これば、多くの人々があなたのような理不尽な目に遭ってしまいます。そんなことに私は手を貸せませんわ」
アルフォンスは唇を噛んだ。
彼も自分の私情で動いていることをきっとわかっているのだろう。
「それじゃ、君はこれからどうするんだ? 世間知らずの令嬢が一人で生きていけるとは思わないほうがいいぞ」
アルフォンスが冷たく厳しい眼差しを私に向ける。
私情で王国打倒という絵空事のような夢を抱くあなたがそれを言いますの?
私は満天の星空を見上げた。
そっちが夢追い人なら、私はデマカセのペテン師だ。
「なら、英雄にでもなろうかしら。世界を旅し、悪を挫き、弱気を助ける。素敵でしょう?」
「そんな夢物語よく言えたな。自分の実力を見つめ直したほうがいい」
「その通りですわね。私は英雄になれるような実力はありません。でも、王国の打倒を目指して奮闘する夢追い人よりマシですわ」
芽衣子だった時代はオーディションがあるからと修学旅行も行かせてもらえず、家族旅行に行くことすらできなかった。
金曜の深夜に、SNSで見た背徳飯を作って、旅行動画を観ながら、見たことのない町へ行ってみたいと願いながら食べて、寝落ちするまで乙女ゲームをするのがルーティンだった。
今なら、旅をしたいという願いを叶えることができるに違いない。
「悪巧みの誘いのために私を助けてくださったの? だとしても、本当にありがとう。感謝しています」
私は立ち上がり、そそくさと歩き出そうとした。
「どこに行くつもりだ」
「レーヌの町へ。あなたの力になれないのですから、これ以上、ご迷惑をかけるつもりはございません」
「待て! 危険だ! そんなつもりはなかった!」
私は言葉を無視して歩きだすが、アルフォンスに腕を掴まれる。すごい力だ。
「痛い!」
「当たり前だ! 君がデメルングに参加しないのならそれでもいい!」
「わかったから、離して! 本当に痛いのです」
「す、すまない」
私たち二人はその場に立ち尽くした。
気まずい空気が広がる。
そんな空気を破ったのは明るい少年の声だった。
「おーい、戻ったよ」
声の方に目を向けると、少年と大男とフードをすっぽりと被った人間の3人が歩いてきていた。
「俺の仲間だ」
アルフォンスの言葉に私は頷いた。
3人は見覚えがある。もちろんゲームの中で。
「危険はない」
国家転覆を目指すあなたたち全員が危険人物じゃないのよと口には出さなかった。