リーゼロッテの決断
この小説を初めて読む方は第1話もぜひどうぞ。
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今回のお話は以下のお話も読むと、事情がわかりやすくなります。
32話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/32
私とデメルングの面々はアール王国唯一の港町へと来ていた。港も市場も船乗りや商人たちで賑わっている。別大陸の玄関口ということもあり、異国の雰囲気がある。
私は午後の船で、見ず知らずの大陸へと向かうことになっている。
一方、アルフォンスたちはグランツ王国のアンブロス領行きの船に乗る。
「本当に、リーゼロッテだけで大丈夫なの?」
ヒルデベルトの言葉に、アルフォンスが寂しそうに、
「彼女には戦女神もついている。庶民の常識も身についたし、とりあえず、大丈夫だろう」
「その通りですわ」
私は自信満々に微笑んだ。
私は鞄から今朝書いた手紙を取り出し、アルフォンスに差し出した。
「この手紙をフーリャ市長へ届けてくださいな」
「市長にか?」
「えぇ。アンブロス領は現在、私の貴族籍及びと次期領主復帰を求めて、民たちが大荒れだそうです。私はセバスチャンと喧嘩をするつもりはないので、アンブロス領へ行くわけには参りませんわ」
地理的な事情から、現在のアンブロス領の詳細は詳しくはよくわからないのだが、混乱していることだけはしっかりと伝わっている。
フーリャでは私兵を持っている商会も多いし、各商会ともに傭兵を雇える財力もある。
万が一、武装蜂起が起こらないとも限らない。
領主側と市民側の双方が本気を出したら、泥沼の内戦になってしまう。そうなれば、海賊につけこまれ、大切な領地が失われるかもしれない。
私自身が争いの種になるつもりはない。
だから、市長に、私が外国に行くことと、新たに領主となるフューラー家の方々を支えるようにと、お願いをする手紙を書いたのだ。
私が外国に行ってしまえば、アンブロス家の領主復帰という彼らの希望は潰えて、セバスチャンを支えてくれるだろう。
私は、私に憑依中のヴェンデルガルトに話しかけた。
『世界にある全ての大陸に行ったことある?』
『あるかもしれぬな』
『私も行ければいいなー』
『妾は嫌じゃ。人がおらぬ大陸もあるから、そういう所に行っても魔物しかいないから楽しくないぞ』
『そういうものなんだ』
地球でいうところの北極みたいなところなのだろうか。
私が港へと向かって歩いていると、とある商会の前を通りかかった。
商会の名前を見ると、ホーザとなっている。アンブロス領にある有名な商会の名と一緒だ。
同名か支店かのどちらかだろう。
窓際でタバコを吸っていたM字ハゲのおじさんと私の目があった。
おじさんは驚きながら、慌てた様子で窓を開け、
「リーゼロッテ様! フーリャをお救いください!」
えぇ!?
私は驚いて、一歩後退った。
に、逃げ出したい。
ニヤリと笑ったアルフォンスが、私の肩をがっしりと掴んで、
「話を聞きに行こうじゃないか」
先程のしんみりとした彼の雰囲気は一変した。いつものように、クールで頼もしい魔術師がそこにいた。
同名ではなくて、アンブロス領に拠点を置くホーザ商会の支店だったのだ。
ハゲのおじさんは商会の支店長だった。
彼の話によると、現在のアンブロス領は私が想像していたよりも酷かった。
議長が魔物化して死亡後、度々、領内の人間が魔物化する事件が発生しているという。
ヴェンデルガルトが険しい表情をした。
『どうしたの?』
『いや……、なんともない。昔のことを思い出していただけじゃ』
だが、憂いの表情は消えない。
けれど、それよりも、今は支店長との会話のほうが大事か。
そして、魔物化の次に起きたのは、セバスチャンと私の義母にして、彼の母の暴走だった。
支店長は悲しそうに、
「税がいきなり二倍になり、海賊の襲撃時には兵士を出さない。その上、リーゼロッテ様と同名の女子は強制改名させているのです」
そんな馬鹿なことが行われているとは。
私は驚いて言葉が出てこない。
だが、暴挙はこれだけではなかった。
「リーゼロッテ様の名前を言っただけで、投獄です。歯向かうと、その場で兵士に斬られてしまうのですよ」
「まさか……。領主代行や兵士がそのようなことを……」
私は思わず、口元を抑えていた。
支店長は私をまっすぐに見つめた。
「兵と言っても、フューラー家が雇ったのは、ごろつき同然傭兵です。正規の兵はほとんどが信用ならないと遠ざけられ、今では素性の知れぬ輩がアンブロス家を守っているのです」
「そ、そんな」
私はようやくのことで、なんとか言葉を絞り出せた。
ごろつきに伯爵家を、フーリャという素晴らしい町を、アンブロス領の持つ豊饒の海を守らせているのか?
支店長は、
「我々、商会側は、市民たちと共に武装蜂起を計画しているのです」
「な、なんとか思いとどまれませんの? 私はもう貴族籍から除籍された者。あなたがたが忠誠を誓うのに、相応しい一族の者ではなくなったのです」
「貴族籍がなんだというのです! そんなのは、王国が決めた戸籍に過ぎない!」
支店長は声を荒げた。
私は思わず、肩がビクッとはねた。
支店長は切々と訴えた。
「我々が忠誠を誓うのは、アンブロス一族だけです」
彼らにとって、アンブロスとはそれだけの重みがあるとは思わなかった。
支店長は、私に言い聞かせるように、
「長い間、我々とアンブロス一族は共に土地と富を守ってきたのです。常に海賊とともに戦ってきたのです。そして、グランツの悲劇では、あなたのお祖父様が率先して魔石を破壊し、命と引換えに、我々と豊かな大地を救ってくれました。これからも、我々は共にアンブロス一族と歩みたいのです」
私は素直に頷けなかった。
「私は、……争いは……望んではいません。アンブロス家がなくなってしまったことは、私に責任があり、申し訳なく思いますが」
「君は何を言ってるんだ?」
私の言葉を制したのは、アルフォンスだった。
「え?」
アルフォンスは続けた。
「君らしくないじゃないか。助けを求められているんだぞ。見捨てるのか」
「しかし、領地はもう……セバスチャンたちのものですし、私が行って、内乱に発展したら、多くの人々が犠牲に」
幼い頃から、私を支えてくれた領民たちだ。見捨てたくはない。しかし、彼らの血も見たくはない。
なんともどかしいのだろう。
私の気持ちを察したアルフォンスが肩を竦めながら、
「君は相変わらず、お行儀がいいな。奪われたものをちょっと取り返しに行くだけだ。泥棒とはわけが違うから、大丈夫だ」
「取り返す?」
「市民は武装蜂起をやろうとするほど追い詰められてるんだ。そんな連中なんだから、多少、血が流れるくらい想定の範囲内だろ」
アルフォンスは支店長を一瞥してから、私を見据え、
「彼らはもう覚悟を決めてるんだ。今の彼らに必要なのは、彼らをまとめて、率いるリーダーだ」
「リーダー……」
「君の祖父と母は、民と豊かな大地を守るために、率先して魔石を破壊しに行ったんだろ? そんな誇り高い一族に、君も生まれてしまったんだろ?」
私は頷いた。
リーダーの家系の跡取りとして生まれたのが、私だ。
アルフォンスが、
「それに、市民たちは魔物化の恐怖にも怯えているはずだ。君以外に、この事件に対応できる適任者がいるとでも?」
私は心の中で苦笑した。
ヴェンデルガルトに、
『すっかり見抜かれちゃってるね。私の神力で魔物化した人々を救えるかな』
『原因がわからぬから救えるとは断言できぬ。じゃが、妾も気になる』
彼女は私の気持ちを察し、私を尊重して、アンブロスへの帰還をあえて口に出さなかったのだろう。
祖父と母は自分の命を犠牲にして、グランツの悲劇で魔石を破壊した。
「アンブロスの一族は人々の苦しみを横目に、……逃げ出す人たちではありませんわ」
それなら、リーゼロッテ・アンブロス・フューラーとして生まれた私も、そういう人間であるべきなのだ。
私は拳をぎゅっと握った。
行くしかない。
アルフォンスが安心したように笑った。
「良かった。これで堂々と乗り込んで、堂々と暴れることができる。君がいないと、裏でコソコソするしかないからな」
「え? 私がいなくても暴れるつもりなんですの?」
私は驚いて、アルフォンスを見た。
「俺は君の義弟に怒ってるんだぞ。リーゼロッテの名前を改名させたり、名前を言うだけで斬ったりしてるんだろ。まるで、君を悪魔か何かのように扱っているんだ。許せるわけがない」
「で、でも、それで、あなたが怒るのはおかしくありませんこと?」
「当然だろ。君を蔑ろにする奴を、黙ってスルーほど俺の行儀はよくないぞ」
私はアルフォンスに説明した。
「領主復帰後のリスクもないわけではありませんの。私が領主に復帰しても、グランツ王国がそれを認めるとは限りません。最悪、王国と戦争になるかもしれません。そうなると、勝てない可能性が出てくるのですわ」
王国と海賊の二つを相手にするほどの余力はない。商会も金銭的に深手を追うだろう。
領内が寂れてしまっては元も子もない。
アルフォンスは軽い調子で、
「認められなかったら、独立すればいいだろ」
「え?」
「難しいことじゃない。国とは得てしてそうやってできてきたんだ」
よく歴史も勉強しているようで、私は空いた口が塞がらなかった。
アルフォンスは得意げに、
「グランツ王国との戦争については任せろ。俺たちは長い間、裏工作をして、貴族たちに色々なくさびは打ち込んできてるんだ。多少は効果を発揮して、内輪揉めくらいしてくれるだろう」
「そんなことまでしてるんですの」
私の驚きは止まらない。
「当然だ。俺は王位簒奪を目指す悪党なんだ。貴族同士で揉めれば、奴らだってアンブロスの相手どころじゃないから、交渉で落とし所も見つかるはずだ」
アルフォンスが胸を張って答えた。
さすが、悪党だ。感心するしかない。
「さぁ、行こう。君の弟をボコボコにしに」
笑顔のアルフォンスが差し出した手を、私はしっかりと掴んだ。




