アンブロス領(注・テオバルト視点)
この小説を初めて読む方は第1話もぜひどうぞ。
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今回のお話は以下のお話も読むと、事情がわかりやすくなります。
6話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/6
テオバルト登場回
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14話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/14/
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俺とマーヤ、セバスチャンは馬車に揺られて、アンブロス領へと視察に向かっていた。
名目は視察だが、実際は王家と教会の威光を示し、世情が不安定となってしまった領内を鎮めるためのものだ。
アンブロス領の領主代行であるセバスチャンは、ずっと満面の笑みを浮かべていた。
それが逆に、民たちの反発の深さと、この領地の厳しさを物語っているようだった。
マーヤは不安そうに、
「あの、具体的に聖女としては何をすればいいのでしょう?」
「そう不安がるな。ただ、領内を歩けばいいだけだ。そこで、多少、病人やけが人を魔法で治療すれば、誰もがひれ伏すだろう」
「はい。セバスチャン君のためにも頑張ります」
「ありがとうございます。マーヤ先輩の力があれば、きっと領民たちも僕が領主になることを認めてくれます」
領内が不安定になった発端はセバスチャンの母が、義理の娘にして正当なる唯一のアンブロス家の血筋のリーゼロッテを貴族籍から外し、追放したことにある。
グランツ王国では両親の姓を名乗るのが習わしだ。リーゼロッテはアンブロス・フューラー。セバスチャンはフューラー・マッカンである。
フューラーが父方の姓だ。
彼女が追放されたことで、アンブロス領はアンブロス家とは縁もゆかりも無い他家のものとなったことが、領民たちの気に触れたらしい。
馬車の外には広大な麦畑が広がっていて、その光景は美しい。
「すっごい。畑がずっと続いてますね」
セバスチャンが自慢げに言った。
「アンブロス領は豊饒の海といわれるくらいに農作物にも海産物にも恵まれているんです。国内屈指の麦の生産地なんですよ。だから、国内の貴族の中でもかなりのお金持ちなんです」
いくら豊かだとはいえ、ダイヤモンド鉱脈を保有しているデーべライナーほどではない。それに、豊かになりきれない事情もある。
広大な穀倉地帯を抜けた先にある巨大な港町が、アンブロス領の領都フーリャである。
山から流れる川の水により、海も豊かで魚は味がいいと評判だ。
馬車から降りたマーヤは街の建物を見て、
「各窓に鉄格子がはめられていたりして、なんだか物々しいですね。どの建物も頑丈そうで」
「フーリャは戦争の町でもあるんだ」
「え?」
「海賊が頻繁に襲来し、破壊と略奪を行うんだ」
「そうだったんですね。海賊が来たら怖いですね」
マーヤは不安げにしたが、セバスチャンが言った。
「大丈夫です! 自慢の精鋭たちが守りますから!」
町で俺たちを出迎えたのは、セバスチャンの母メーテと彼女に仕える魔術師のミリアムだった。彼女たちは丁寧に礼をしてから、
「王太子殿下と聖女様にお越しいただき恐悦至極でございます。お二方がいれば、民たちも頭を垂れるでしょう。ホホホ」
この日はアンブロス家が住まうフーリャ城での滞在となった。
外装も内装も質実剛健そのものでシンプル。戦いに際した時に使われるであろう仕掛けが豊富にあり、戦いに特化した城だということを思わせた。
夜になり、ベッドに入ったが、眠れなかった。暇つぶしに城の中を歩いてみた。一つだけ開いていた扉があった。
そこから、セバスチャンの母の声が聞こえてきた。
「私はリーゼロッテに辛く当たっていたでしょう? だから、あの子が領主になったらきっと追い出されてしまうわ。だから、こっちから先に追い出してやったのよ。キャハハ」
俺はこの言葉を聞いて、ぎゅっと胸を締めつけられた。そして、リーゼロッテを壇上に呼び出す前日のことを思い出していた。
いつものように無邪気な笑顔を向けるセバスチャンが、
「姉上を壇上に呼びつけて、マーヤ先輩に謝罪させたらどうでしょう。あのプライドが高い姉のことですからきっと反省します」
俺はいいアイデアと二つ返事で頷いた。
……結局、俺はセバスチャンと彼の母親に利用されたのだろうか。
俺はリーゼロッテへ申し訳ない気持ちを抱きながら、部屋へと静かに戻った。
翌日、俺たち三人は視察のため、護衛を伴って市場へと向かった。向かったのだが、道中の馬車の中は散々だった。
外からは、「リーゼロッテ様万歳!」や「アンブロス家を王家の二の舞いにするな!」という民たちの声が延々と聞こえるのだ。
だが、王家の二の舞いとはなんだ?
市場に着いたが、店は全て閉まっていた。俺たちへの抗議の意味だろう。
予定通り、ガランとした誰もいない市場を歩き、港へと向かった。
港に近づくに連れ、建物は堅牢になり、道も狭く複雑になっていた。海から侵入してきた海賊との戦いを想定して、このような入り組んだ道にわざとしているのだろう。
そして、港では大量の積み荷が運ばれ、船が引っ切り無しに出入りしている。そして、武装した者たちも多い。
マーヤが武装した手段に驚いて、目を丸くした。
「すごい怖い人たちがいっぱい」
「この街と港を守っている者たちだろう。アンブロスや商会お抱えの兵士や傭兵たちのはずだ。今でもアンブロス家は海賊たちとの防衛費にかなりの予算を割いているはずだ。そうだろう、セバスチャン」
アンブロス家は豊かだが、デーべライナー家のように潤沢な余剰を持つわけではない。
俺の問に、セバスチャンは困ったように、
「ど、どうなんでしょう……。僕、そういう難しいことはわからないですぅ」
「困るぞ、それじゃ。領主代行だろう」
「だって、僕、普段は学校にいるし……」
「……領主代行を任されている自覚は、本当にあるのか?」
俺は呆れと苛立ちをこらえながら、問いかけた。
最後は議会で議員たちの前での演説である。
議会に行っても議員たちは誰もいない。議長がいるだけだ。
フーリャの町総出で徹底的に俺たちのことを拒絶しているんだな。
俺は単刀直入に議長に問いかけた。
「随分と俺たちのことを嫌っているようだな」
「我々が忠誠を誓っているのは、グランツ王家でもデーべライナー家でもフューラー家でもありませんので」
セバスチャンはムッとした。
そして、議長は続けた。
「我々はアンブロスの一族に忠誠を誓っているのです。我々がアンブロス家をグランツ王家の二の舞いにしない」
「さっきから、王家の二の舞いとは一体なんだ?」
俺は困惑しながら尋ねた。
議長はせせら笑うように、
「王太子のあなたは自覚がないようだ。今の王国を治めているのは王家ではなく、デーべライナー家だということに。今の王はデーべライナー家の単なる傀儡で、実質乗っ取られてしまった」
「そ、それは……王家が金を借りたからで」
「貸した上で、あなたの母親を王の妻として迎えさせた。王の側近たちはその後も謎の死を遂げ、姿を消していった」
デーべライナーといえども、そこまでするはずがないだろ……。だが、俺の脳裏に父の姿がよぎったら、口に出して、反論ができなかった。
議長は言葉に力を込めて言った。
「まるで、エレオノーラ妃のように!」
俺は議長を見た。
議長は続ける。
「そして、いつしかデーべライナー一族と彼らに従う者たちだけが、国の重職につくようになった」
議長は告げた。
「我々は長い間、アンブロス一族と共に、この土地の富と我々の命を守ってきた。アンブロス家は市民も武器を持って戦うことを義務づける代わりに、他領よりも安い税を課してきた」
セバスチャンを見て、
「しかし、領主代行殿は義務はそのままで、税を二倍に跳ね上げた。そして、海賊や魔物が来たら、兵は出さず、自分たちで全て追い払えときたもんだ」
「だって、皆、戦えるはずでしょ?」
セバスチャンの反論に、
「本来なら、土地と民を守るのは貴族と騎士の務めです。しかし、この土地ではそれが追いつかないくらいに争いが苛烈だった。ゆえに、アンブロス家は市民とともに戦う選択をしたのです。だからこそ、見返りとして税を安くしてきたのです」
議長の瞳は弓矢のように、セバスチャンを見据え告げた。
「今のあなたのように、市民に全てを押しつけるためではない。アンブロス家は決して土地と民を護る責任を放棄していない。ゆえに、率先してグランツの悲劇では当時の領主とそのご息女が魔石を破壊しに行き、犠牲になったのです」
議長に促され、俺たちは市庁舎を出た。
議長は最後に誇り高い表情で、
「我々のアンブロス家への忠誠をおわかりいただけたかと思います。我々は必ずリーゼロッテ様を、我らが主人としてお迎えいたします。それがどのような形であれ」
俺は議長に対して、言葉を言おうとした矢先、彼の目が泳いで、体が揺れた。
「いかがした?」
議長は俺の言葉にうめき返すだけだ。
「うぅ。うあ」
何かを察知したマーヤが俺の前にサッと出た。
「こ、この気配は……」
議長の体が膨れ上がり、突然、魔物に変化した。
セバスチャンはあまりの光景に、
「うわー!」と叫んだ。
マーヤは議長に浄化の光を浴びせる。
俺は剣を抜き、襲いかかってくる議長を制する。
「お願い! 人に戻って!」」
マーヤが懇願するように力を振るう。
だが、議長が人に戻ることはなく、結局、俺に斬り伏せられた。
マーヤは元議長の亡骸の魔物の前に跪き、涙を流しながら、「ごめんなさい」と言い続けた。
かつて恐怖で震えていた少女とはまるで別人のような変わりようだ。
魔物の襲撃事件が起きたレーヌの町へ向かう途中、彼女は青い顔で震えながら、
「わ、……私の両親は……、魔物に……殺されたんです。それで、食べられちゃったんです」
恐怖に勝てなかった彼女は、夜中に馬車の車輪を壊してしまった。
それを物陰から見ていた俺は、レーヌへ行かなくてもいい口実ができたとホッとした。
正直、俺も怖かったんだ。
俺は、完全で完璧な王太子でなければいけない。そんな俺が、もし魔物を駆逐できなかったら、周囲から失望されてしまうのではないか? と。
だが、その後の俺たちは俺たちなりに反省をし、魔物も倒したりと鍛錬を重ねてきた。おかげで、市民に被害が出る前に、魔物化した議長を止めることができた。
アンブロス領のフーリャでは領民たちの説得に失敗し、魔物化した議長の殺害という苦い結果に終わって……。いや、違う。
魔物化は誰も予想できなかったことだ。
俺は、完全に、完璧に、振る舞えた。
無理やり、唇の端を上げた。鏡の中の俺は微笑んでいた。




