嗤う王(注・テオバルト視点)
この小説を初めて読む方は第1話もぜひどうぞ。
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今回のお話は以下のお話も読むと、事情がわかりやすくなります。
6話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/6
テオバルト登場回
1話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/1/
14話https://ncode.syosetu.com/n5049kc/14/
レーヌの町からグランツ王国に帰還してから、しばらく後、俺は王に呼ばれた。
父に呼ばれるなんて、初めてで緊張するが、嬉しさもある。
俺は父に認められたいと学業も努力してきた。そのおかげか先日の試験では学年成績が一位になったのだ。
急いで身支度を整えた。マーヤに見送られ、学園の寮から王室の馬車に乗って王宮へと向かう。
俺は期待で胸を膨らませた。
レーヌでは多少の失態はあったが、その後はマーヤやセバスチャンと一緒に、炭鉱に出た魔物を狩ったりとそれなりの働きもした。
今度こそ、父上に認めてもらえるかもしれない。
そう思ったら、自然と、頬も緩んだ。だが、同時に、城が近づくにつれて、鼓動の音が大きくなっていく気がする。
俺は緊張を握りつぶすかのように、右の拳をぎゅっと力を込めた。
久しぶりの王宮だが特に変わりはなかった。
いつものように、母の実家であるデーべライナー家の方々が、王室の庭で盛大なパーティを開いていた。きれいな花が咲き乱れる庭は大げさな笑い声で溢れている。
庭は女性たちの香水、酒、異国の香辛料の香りで満たされていた。
パーティの輪の中には母のヘートヴィッヒも混じって、愛人たちを囲って、上機嫌で談笑をしている。
王族専用の居間は酒の匂いで充満していて、パーティで酒を飲みすぎたデーべライナー一族の多くが休んでいる。中には床に伏せる者や吐瀉している者もいたが、これもいつも通りだ。
俺は彼らに軽い挨拶を済ませると、父の部屋へと急いだ。
父を一秒でも長く待たせたくなかった。
一瞬でも待たせたら、失望されてしまうのではないかという不安があったのだ。
ノックをして、ドアを開けた。
父は人差し指で机を小刻みに叩いていた。こんなことは絶対にやらない人だ。
父の書斎には調度品はほとんどなく、とてもシンプルで簡素だ。本棚にも本はさほど入っておらず、空きが目立つ。
一方で、机の上には資料が山積みだ。文字をちらりと見ると、グランツの悲劇と読めた。三十年前の出来事の資料を今更読んでいるのか?
普段の父は大人しく、滅多に口を開かない。
しかし、今日に限っては全く違った。
父は革張りの椅子から勢い良く立ち上がり、俺に詰め寄るように、
「レーヌの町で、アルフォンスに会ったんだな! どのような髪の色と目をしていた!」
「……ア、アルフォンス?」
まるで、今まで溜め込んでいたエネルギーを放出するかのような、豹変ぶりだ。
俺は驚くと同時に、アルフォンスとは誰なのかと困惑する。
父は苛立ちをあらわに、眉間にシワを寄せ、
「レーヌの町を救った英雄の一人だ! そんなこともわからんのか! ブルーシルバーの髪と瞳をしていなかったか!」
「そ、そういえば、そのような者がおりました……」
俺は記憶の引き出しを漁りながら、辛うじて答える。
父の顔と瞳がパァッと明るく、輝いた。
「そ、そうか! いたのだな! まことにブルーシルバーの髪と瞳をしていたか!」
「しておりました」
「どのような顔立ちであった? 背丈は? 服は?」
アルフォンスという者の特徴を執拗に尋ねてきた。ここで期待に答えられず、失望されたくない。
目を左右に動かし、必死に思い出しながら答える。
俺は最後に、
「ま、魔法の使い手だそうです」
「そうだろう! エレオノーラの息子ならば当然だ!」
エレオノーラ?
誰だ、それは?
「父上。エレオノーラとは誰ですか? アルフォンスとはどのような関係なのですか?」
俺は思わず尋ねていた。
父がここまで興奮するのは生まれてこの方、見たことがない。
父は冷たい瞳で、
「お前に父親呼ばわりされる覚えはない。二人の名を呼び捨てるとは無礼だぞ、口を慎め。エレオノーラこそ我が真の妃」
真なる妃?
俺は呆然となった。
何を言っているんだ?
そして、父は誇らしげに、胸を張り、
「アルフォンスこそが我が真の息子にして、この国の真の王太子だ」
「何を言っておられるのです……。この国の王太子は私です。あなたの息子は、私だけです」
父の顔は更に険しく、瞳は冷たくなり、まるで氷のようだ。
俺は思わず、震え上がった。
人はこんなにも冷たい表情ができるものなのか?
俺たちの後ろで、部屋の扉が開く音がした。
父は俺に吐き捨てた。
「お前など、ヘートヴィッヒが産んだ単なる肉塊だ」
俺は思わず口が開いた。
何も、言葉が出ない。
心の何かが、崩れていく、音がする。
「なんですって!」
そう声を上げたのは、部屋の入口に立っていた母だった。
侍従から知らせを聞いて、部屋に駆けつけたのだろう。
酒が入っているから、少し顔が赤い。
息子を肉塊呼ばわりされた母は、さらに顔が赤くなり、怒り狂った。エメラルドグリーンのドレスをもつれさせながら、父に駆け寄ると詰め寄った。
二人はもみ合いになって、髪の毛を引っ張りあったり、叩きあう。
俺は二人のあまりの剣幕にどうすることもできず、ただ顔を青くして、立ち尽くしていた。
父が母の体を書斎机にぶつけるように押した。
机に倒れた母は、「あぁっ!」と悲鳴を上げながら、とっさに書斎机の上のペーパーナイフを手に取り、父に振り回しながら絶叫した。
「私を! 私を愛しなさいっ! お前が結婚したのは私でしょう!?」
「余とこの国とこの国の権力はデーべライナーに買われたのだ! 余は男娼と一緒だ!」
母は叫んだ。その表情は悲しみで満ちていた。
「それなら、私をなおさら愛してよ! 私に笑いかけてよ! エレオノーラに向けていたみたいに!」
彼女の顔からは、涙がどっと溢れ出す。
「私のほうがエレオノーラよりも美しい! 若い! 地位も高い! エレオノーラより私のほうがあなたに愛される価値がある! どうして私じゃいけないのよぉ!」
父を押し倒し、馬乗りになって顔を叩き出す。
父は無表情に近い表情で、声を上げた。
「愛します。ヘートヴィッヒ殿を愛します」
しかし、その声は投げやりに聞こえた。まるで空き瓶のように心なんて一切入っていないように思えた。
部屋に入ってきた侍従たちによって、母は無理やり引き剥がされる。
父は狂ったように、快哉を叫ぶように高笑いをした。
「ハハハハ! 俺の本当の息子アルフォンスが必ず、お前たちを殺す。そして、権力を王家に取り戻す!」
その笑い声は、不気味に部屋に反響し、俺の心にも冷たく刻まれた。
部屋の中は決して寒くないのに、なぜか、寒くて冷え冷えとしている。
「そいつの名前を叫ぶな!」
母が獣のように怒りをむき出しにして叫ぶ。
俺は恐怖で内心震えていたが、表に出さないように努力した。なぜなら、俺は誰が見ても完全で完璧な王太子でなければならないからだ。
俺も侍従に促され、部屋を出た。
エレオノーラやアルフォンスについて尋ねたが、誰もが口を閉ざし、俺の前から気まずそうに逃げていった。
酔いから覚めた母に尋ねると、母はニタリと笑って、
「王の戯言よ。あなたはデーべライナー家の長にして、この国の王となる人間よ。そんな細かいことを気にしちゃいけないわ。あなたは誰が見ても完全で、完璧な、王なのだから」
そうだ。
そうに違いない。
俺は誰が見ても完全で、完璧な、王になる人間だ。
「あなたがいるから、デーべライナー家はここで、国のために務めることができるのよ。多くの商人たちが、私たちのために、たくさんの貢物を持ってきてくれるのよ。普通の貴族ではできない暮らしができるのよ」
その時の母は、自分に従順な犬を可愛がる時と同じ笑みを浮かべていた。
だが、俺はどうしても気になった。
再度、周囲の侍従たちに聞いても答えるものはいない。書庫にもエレオノーラやアルフォンスに関するものはなかった。
アルフォンスとエレオノーラについて知りたい。
だが、どうしたものか?
セバスチャンに頼ろうとも、もし貴族たちの間でタブーな話題であれば、聞き出してくることは難しいだろう。
悩んでいると、マーヤが心配そうに俺の顔を覗きこんできた。
俺はハッとした思いで彼女の顔を見返した。
教会と深く関わっている彼女なら……。
「実は、知りたいことがあるんだ」
俺はマーヤにグランツの悲劇について、教会の資料や関係者から話を聞いてほしいと指示を出した。
「俺の名前は出さないでくれ」
「いいですけど、どうしてですか?」
彼女は不思議そうに尋ねた。
「王太子に言われて調べてると言うよりも、聖女として歴史の勉強をしたいと言ったほうが教会の皆も喜ぶからな」
「わかりました」
素直に俺の言葉を聞いたマーヤは、数日後に教会の関係者から話を聞き出してきた。
「なんでも、エレオノーラというすごい魔術師が魔物を一掃したんだそうです」
「……エレオノーラ」
「それで、王様に見初められたとのことです」
「そして、生まれたのが……アルフォンスか」
「やっぱりご存知でしたか」
マーヤの言葉に、俺は心にチクリと痛みが走ったが、
「まぁな。王家の……ゴシップは多少は、俺も知っている」
本当は知らないが。
マーヤが言いづらそうに、
「王宮や貴族の世界でエレオノーラやアルフォンスの話はタブーなのだそうです。でも、やっぱり自分のお家のことは知らず知らずでも耳に入ってきちゃいますよね」
「そう……だな。当然だな」
恐らく、庶民の世界ではそうなんだろう。だが、貴族の世界では完全に命令か脅し一つで口を閉ざさせることができる。
だから、俺は彼らについて一切知らなかったのか。
マーヤは俺の横で朗らかに笑っている。
純粋なまでの曇りのない心を持つ彼女の横で、俺の心は渦を巻く黒い煙で満たされたかのような複雑な気持ちになった。
アルフォンス。
どのような人間なのだろう。
長い間、父とは顔を合わせたことがないというのに、未だに父に深く愛されているのだ。
長い間、父のそばにいて、努力を重ねても愛されない俺との違いは一体なんなんだ?
読んでくださってありがとうございます。
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