頭のおかしい連中に有限の苦痛を与えましょう
私は走りながら宣言した。
「オットーとムスカは私を薬で拘束し、魔族と融合させようと人体実験まがいのことをしやがりましたわ! ぞんざいに扱われたせいで体のあちこちも地味に痛いですわ」
「大変だったな」
「だからこそ、オットーとムスカには最大限の苦痛を与えなければいけませんわ」
「もっともだな」
アルフォンスが妖しく笑った。
ヒルデベルトも不敵に笑みを浮かべ、カスパーは困ったように眉を下げた。
モーリッツが息を切らしながら、ヘロヘロといった様子で、
「……僕、もう走れない。背負って、おんぶぅー」
「休んでろ。今のお前は単なる足手まといだ」
「嫌だ、行くー。おんぶー」
そう言って、モーリッツは私の背中に勢いよく抱きついてきた。私が思わず転びそうになる。
「重いですわ! 離れなさい!」
仕方なく、カスパーが俵担ぎしながら走り出した。
私たちの通り道の炎はアルフォンスが魔法で消していく。
そして、門の外と飛び出した。
空は明るくなり、夜明けを迎えていた。遠くにオットーの陣地がはっきりと見える。
五百メートル先に布陣したオットーとムスカが、陣地の最前線に立っていた。
二人の周囲には兵士と、黒いローブに身を包んだ術者たちがいる。あの術者たちが魔族をけしかけているのだ。
いい場所にいるじゃないの。
私たちは一目散に、あの頭がイカれた連中へと向かっていく。
ムスカは驚いたようだが、すぐに魔族を私たちに差し向けてきた。
効かないわよ。
私は神力を放出して魔族を吹き飛ばす。近くに寄ってきた魔族は斬りつけ、魔を根こそぎ吸収し、神力へと変換していく。
魔を吸われた魔族は苦しさから悲鳴を上げた。
オットーとムスカは目を見開いている
兵士たちがオットーとムスカを守ろうと、盾になるように前へ出た。
カスパーがモーリッツを地面に放り出し、兵士たちを豪快に吹き飛ばしていく。
スヴェンが拘束魔法で兵士たちを縛りつけ、動きを封じる。
アルフォンスも風の魔法で兵士たちを容赦なく吹き飛ばしていく。
三人とも、兵士を殺そうとはしない。
私はオットーとムスカの前に踊りでた。
オットーも驚愕の表情を浮かべている。だが、その顔には恐怖も不安も、そして覚悟も見て取れない。
私が剣を突きつけても、彼は自分の剣を抜こうとしない。
本当にこの人たちは自分たちが殺されるかもしれない状況にも恐れを抱かず、死による救済を待っているのだ。
本当に、なんて歪んでいるのだろう。
本当に、なんて頭が狂っているのだろう。
ロヴィナがオットーに駆け寄り、叫んだ。
「叔父さん! 殺されるかもしれないんだぞ! なんで黙って突っ立てるんだよ! そんなにこの世界が嫌なのかよ! この世界に住んでる連中は、俺も含めて、叔父さんみたいに死んで救われたいって思いながら生きてる連中だけじゃないんだぞ! この世界は本当にどうしようもないけどさ、生きてればいいこともあるんだぜ!」
「お前に何がわかる! ワシはまだ頭から離れんのだぞ! 苦しみながら病で死んでいった人々の顔が! 町に転がるおびただしい数の死体たちの安らぎに満ちた表情が! 生きている間、苦しみ抜いて、死んでやっと安らかな表情となっていったんだぞ!」
「そうかもしれないけどさ! 生まれてきちゃったもんはしょうがないじゃないか。郷に入れば郷に従えって言うんだから、苦しい中でもなんとか楽しいことを見つけるべきだよ。頭から離れなくても楽しいことを探して見つけるべきだ。そりゃ、叔父さんは辛かっただろうけどさ、いつまでもそれにこだわるから余計苦しいんだよ!」
「黙れ! 黙れ! お前に何がわかる! 人々を救いたくても救えず、苦しみながら死んでいく人々を見るしかなかったんだぞ! ワシの初恋の少女も、ワシの親友も、ワシの悪友も、皆、苦しみながら死んでいった! 死に顔は穏やかだった! 残されたワシたちに残ったのは悲しみと、自分が病に倒れたら彼らと同じように苦しむのかという不安と恐怖だけだ。餓え、老い、病、あらゆる苦しみから人々は救われたがっている。この苦しみは生きてるからこそだ。ならば死ぬしかないだろう! だが、誰もが死ぬのも怖い! だからこそ、ベーゼ教がある。安らかな死へ、救済を人々に与え、救う。このことの何が悪い!」
「ごめん。叔父さんの話は俺には難しすぎてわからなくなったんだけどさ、死んだら、マリーちゃんやエミちゃんのおっぱいが触れなくなっちゃうんだぞ! それでもいいのかよ! 苦しいことばっかり見るなよ! 苦しくなるからさ! 気を逸らすんだよ、紛らわすんだよ。たとえばさ、俺が借金返済のために拉致られて、鉱山に運ばれて強制労働させられた時、重労働の合間の水は本当においしかったんだぜ! 俺はその水を飲むことだけを考えて頑張ったんだ。他にもさ、俺がバレないように神経使いながら、母ちゃんの財布から抜き取った金でギャンブルして、当たった時の快感は最高だったんだ。その金でキャバレーに行って、ボトルを次々と開けたら、店のNo.1の子のおっぱいとケツを触ってもその日は黒服もNo.1の子も怒らなかったんだぜ! なぁ、人生悪いことばかりじゃないだろ?」
よくそんなは恥ずかしい話を臆面もなく、語れますわね。
「ニアはあの男のどこがいいんですの?」
「ロヴィナの富・権力・名声だよ。純粋に恋してるように見えて、ニアって女は計算高いずる賢いやつだよ」
ヒルデベルトが教えてくれた。
アルフォンスが、
「だとしても、人を選ぶべきだぞ」
スヴェンが満面の怪しい笑みで高笑いしながら、
「準備完了ですよ。お話は聞き飽きたですよ。娘。ムスカとその一派の周囲にはびこる魔族を散らすですよ」
「わかりましたわ」
私はスヴェンの言葉に従い、ムスカとその手下にはびこる魔物を払ったり、魔を吸収したりした。
この時、初めてムスカとその一派は恐怖に顔を歪め、腰を抜かしたり逃げ出そうとしたけれど、カスパーとヒルデベルトが彼らの動きを封じた。
スヴェンは宙に指で文字を書く。
「?」
「あれはルーンという。スヴェンは俺以上に色々な魔法を知っていて使うことができる」
ルーンはムスカとその一派たちに降り注ぐと、彼らの額にルーンと同じ文様が刻まれた。
「魔力を完全に封印してやったですよ。これで、お前たちはもう二度と魔法を使えないですよ。つまり、魔族様も喚べないわけですよ。俺たちの完全勝利ですねー」
ムスカが、
「いっそ殺せ! 死んでやる」
懐のナイフを取り出して、自分を刺そうとしたけれど、カスパーがそれをさせない。
オットーが剣を抜いたけれど、ヒルデベルトが右手を切り落とした。
「ギャー!」
「必要なら後で魔法でくっつけてあげるよ。スヴェンならできるから」
オットーは痛みで地面をのたうつ。
ヒルデベルトは冷たい視線で、
「死んだら勝ちって思ってるやつを素直に死なせるわけないじゃんか。僕の仲間のリーゼロッテにも酷いことしたみたいだしさ。寿命が尽きるまで生きてもらうからな。アール王国がお前を殺そうとしても、僕たちデメルングがお前を生かすからな」
オットーにとっての最大の罰は生きることだ。
良かったじゃない。
その苦しみは有限なのだから。
寿命が来ればこの世界から自然と救済されるのだ。
ロヴィナはオットーに優しく語る。
「叔父さんは友達や初恋の女の子を失った悲しみの使い方を間違ったんだよ。これ以上人々が病で苦しまなくて済むように、自分のように大事な人を失わなくても済むように薬や病気を治す魔法を開発しよう。こんな風に悲しみを使ったほうが、この世界だと喜ぶ人が多いんだぜ。叔父さんの信念はあまりにもマイナーでニッチすぎるから、あまり人に押しつけないでくれよ。まぁ、そんなことは絶対に俺が王として二度とさせないけどさ」
悲しさで満ちた微笑みで締めくくった。
騎士たちがやって来て、オットーとムスカ一派は拘束され連れて行かれた。
ロヴィナが私たちに晴天のようなカラリとした笑顔で明るく言った。
「俺たちも城に戻ろうぜ。俺たちは勝ったんだ! パーッと祝い酒だ!」
市内は炎と煙が広がり、建物が燃える焦げた臭い、死体が焼ける生臭い匂いで満ちている。同士討ちで命を落とした市民兵たちの死体が所々に転がっている。その兵士たちを力なく運ぶ市民兵たちがいる。
それでも、ロヴィナは努めて明るい。
悲しみばかり見るのは簡単だ。この世界は悲しみで満ちているから。
苦しみばかり見るのは簡単だ。この世界は苦しみから逃げられないから。
だからこそ、悲しみや苦しみに目を背けて楽しいことや喜びを見るのだ。
都合の悪いものを見ないことはご都合主義かもしれない。
でも、私たちは生きているし、生き残った兵士たちもいる。
だからこそ、弔い酒ではなく祝杯を上げるのだ。




