クララ王妃とリーゼロッテ
私が王室専用の居間へ行くと、クララ王妃がソファに座って、なにか薬のようなものを飲んでいた。
慌てた様子で王妃と同年代の侍女がササッと薬を包んでいた紙を隠す。きっと王妃は病気なのだ。しかも、あまり気づかれたくないタイプの。
貴族やロヴィナたちの様子やデメルングの調査を考えると、公表していませんわね。
もう少し侍女も自然な様子で薬を片づけて、「滋養強壮のお薬なんですよ」なんていえば、私もそうかで終わったでしょうに。
私に気づくと、
「どうぞ、リーゼロッテさんもお座りになってください」
昼間とは違う優しい口調と声色で言った。
「感謝いたします」
私は王妃と向かいのソファに座った。
「昼間は息子も城の者たちもあなたに失礼をいたしました。公式の場では立場上謝れませんが……」
「とんでもございません。謝罪されるようなことは何もありません」
「良かった」
クララ王妃はほっと胸をなでおろした。
レーヌの町でのことを聞かれ、私は答えた。
「ロヴィナは迷惑をかけませんでしたか? あの子は戦いの訓練が嫌で嫌でいつも逃げ出していて。今も満足に剣を扱えないのです。はぁ。だから、レーヌでの戦いでも役に立つどころかご迷惑をかけたのではないかと」
「今度、王子の指先を見てください。傷こそありませんが、指の腹の皮はとても厚くなっています。魔物との戦闘の度にハープを演奏し、バフをかけ続けた結果です。アール王国へ向かう道中の戦闘でも彼は休むことなく仲間たちを援護し続けました。それにレーヌではハープを弾きすぎて、指の皮がめくれ、血まみれになりながらもそのことを誰にも言わずに演奏を続けたのです。かなりの激痛だったはずでも彼は演奏を止めなかったのです。そのおかげで、私たちの損害は最低限に済みました」
レーヌでの犠牲者の数は少なくないけれど、ロヴィナの活躍で損害が抑えられたのは事実だ。
クララ王妃は本当に驚いて、その拍子に少し咳き込んだ。
「ロヴィナが本当に? あの子が? 騎士との魔物討伐に出しても魔物を見たらすぐに逃げ出していたとの報告しかない子なのですよ? 別人ではありませんか?」
「いいえ、違います。ロヴィナ王子です。一国の王子らしい立派なご活躍でございました」
クララ王妃は私の言葉を聞き、目に涙をためている。
よほど嬉しかったのだろう。
「良かった。でも、ロヴィナは強引にあなたをこの国につれてきたのだと思います。そのせいで嫌な思いもさせてしまいましたね。あの子は根は優しいのですが……」
私は微笑むだけに留めた。
王妃は言葉を続けた。
「今でもあの子はあなたに明日にでも豊穣の舞を踊ってもらうのだと息巻いていまして」
「その話ですが、懸念があります」
「懸念?」
王妃は眉をひそめながら私の顔を見た。
私は続けた。
「私と仲間たちはこの国の不作の原因は何者かによる呪いによるものだと判断しております。女神は言いました。私が豊穣神を呼ぶのは豊穣神の機嫌が良ければ可能だと。しかし、土地に何かされていると神ですら手出しできぬと」
「そんな」
「私たちはアール王国側も何者かによる呪いのせいだくらいのことは調べがついているだろうと推察しています」
クララ王妃は唇を難く結んで答えない。
私はさらに、
「私たちは状況や資金力的に見てもオットー侯爵が犯人だろうと睨んでいます。しかし、尻尾はまだ掴めていません」
クララ王妃は呻いた。
「はぁ。皆さんはすごいのですね。我が国の諜報機関も動員していますが、オットー侯爵は足を掴ませません」
長年を王妃と苦楽をともにしてきたと思われる傍らの侍女が、
「陛下!」
「良いのです。ロヴィナが連れてきた者たちですし、女神を呼んだ方です」
「しかし」
侍女の心配は当然のことだ。
私は、
「女神は私に言いました。ロヴィナの心は水のように澄んでいる。ゆえに手助けせよ、と」
「リーゼロッテ殿。それは真ですか」
「嘘は言いません。女神は怖い方ですから、女神の名を語って嘘をついたら、どんな罰を受けるか」
生きちゃいないだろうな。
「感謝いたします」
クララ王妃はとうとう泣き出した。
放蕩息子に、国内不安、オットー侯爵……。王妃にとっては難題が山積みだ。
「王妃。私たちはオットー侯爵が呪いをかけるための魔術師をどのように確保しているかも興味があるのです。かなりの人員を何年もわたって動員しなければいけませんから」
「……公にはしていませんが、最初の不作が発生した前年頃から、時々、各領地で将来有望とされる魔術師たちが失踪することがあるのです。冒険者ギルドに所属している他国の魔術師の失踪報告もあります」
「そうでしたか」
アール王国側だって、犯人がオットー侯爵なのは掴んでいるし、優秀な魔術師たちの失踪は大きな損失だろう。
だが、尻尾を決して掴ませない。随分と厄介だ。
私は元貴族としての疑問を王妃にぶつけた。
「なぜオットー侯爵に王位を渡さないのです? あなたはロヴィナ王子に王位を譲ることに不安を感じているように思えますし、ロヴィナ王子も積極的に王位は望んでいないように思えます」
クララ王妃は頷いた。
私は続けた。
「貴族たちもオットー侯爵を支持する者が多い。ならば、国を安定させるためにもオットー侯爵に譲るのが無難な選択肢です。あなたは権力を掌握したいという野望がある方には見えません。侍女の方の薬の片付け方があまりにも不自然でしたから、時間もあまり残されていないのではありませんか?」
クララ王妃は絞り出すように、
「……おっしゃる通りです。しかし、私はオットー侯爵には王位を譲りたくありません。せめて、ロヴィナが王らしくなり、貴族たちに支持されるまでは……」
クララ王妃はオットー侯爵との思い出を語った。
二人と亡くなった王は幼馴染なのだと言う。
幼い頃に、国中に疫病が蔓延し、多くの人々が亡くなった。
それを見たオットーは涙を流しながら、人々の死を悲しみ、いつか人々を救ってみせると誓っていた。
クララ王妃はその真摯な姿に心を打たれ、亡くなった王も人々のために将来力になろうと誓った。
時は流れ、ロヴィナの祖母である王とオットーの母が死んだ時、オットーは泣いて喜んで言ったのだそうだ。
「死こそこの不完全なる世界から脱出する唯一の方法で、母上は無事に救われたのだ」
クララ王妃は気味が悪いと思ったが、貴族の娘ゆえ王族にそんなことは言えなかった。
その後、病で苦しむ貧しい人のために治療院を設立しようとした王に向かって、オットーは怒った。
「なぜ人々の苦しみを長引かせるんだ! 病や飢餓で人々が苦しむのはこの世界が不完全だからだ。人々を救うには死しかないんだぞ! 治療院よりも安心して死ねる場所を作るべきだ! どんどん殺してあげるべきだ! 兄上はなんてひどいことをするんだ」
王もクララもオットーの思想に恐れを感じたが、実際にオットーが人々を殺し歩いているわけではないので、手出しができない。
できたのは、人の生死が関係しないような大臣職につかせてそばに置き、人を殺し歩かないようにするだけだった。
王は死の直前、「オットーにだけは王位を譲らないでくれ」と懇願した。
クララは涙ながらに、
「そんな危険な人に私も王位を譲りたくはないのです。でも、ロヴィナも頼りないですし、だらしない生活のせいで貴族たちの支持もなく……」
そうだろうなー。
「ロヴィナは根はいいんですけれど、誤解されやすくて……。あの子も王になるという自覚さえ持ってくれれば……」
そうだよね……。
「リーゼロッテ様。どうか、私の体調のことは誰にも言わないでください」
もちろんですわ。
このことが知られたら、オットー派も国民も勢いづいて、オットーの即位を早めてしまうだろう。
現在、国民から信頼がないロヴィナはクララ王妃という後ろ盾がほぼないに等しくなり、王位から遠のいてしまう。




