王子は焦り、私は嘲笑う
顔を真っ赤にしたロヴィナが必死の形相で、
「ニア! すっこめ! 殺されるぞ! リーゼロッテ様は山の犬っころを父ちゃんと殺すのが関の山だったのに、俺が教えた途端、オーガロードぶっ殺すまでになったんだぞ!」
「犬を殺めたことはありませんわよ!」私はすかさず訂正する。
ニアもロヴィナ並みに顔を真っ赤にし、剣を力強くブンブン振り回して叫んだ。
「私だって歌舞魔術師団の一員です! 必ず、ロヴィナ王子を籠絡した悪役面女をぶっ殺してみせます! ご覧ください」
「だから、お前! 髪の毛一本たりとも残らねぇっつってんだろ!」
ロヴィナは席から立ち上がり、ニアの元に行こうとしたが、クララ王妃に、
「ロヴィナ! はしたないですよ! 彼女とて我が王国が誇る歌舞魔術師団の一員なのですよ! あなたの言動といい、全く。王族ならば王族らしく振る舞い座りなさい」
「母ちゃんそれどころじゃねーだろ!」
「座りなさい! 命令です」
ロヴィナは渋々席に座ったが、周りの騎士たちに、
「なぁ、なんでスタンバってんのがニアだけなんだよ! あんたたち、俺の護衛騎士じゃないか。なぁ、ニアの代わりに戦ってくれよ! 頼むよ! あとで酒奢るし、可愛い女の子も紹介するからさ!」
アルフォンスがロヴィナに向かって、
「安心しろ。リーゼロッテは急所を外さないが……」
「おい! ニア! 苦しまずに殺してくれるってよ! だから、早く逃げろ!」
人をなんだと思ってるの……?
アルフォンスが必死に、
「ち、違う、俺はそんなことを言いたかったわけじゃないだ!」
その弁解はロヴィナには聞こえてないよ。
それにしても、どうして兵士や騎士が来ないのだろう。
私の疑問にヴェンデルガルトが、
『リーゼロッテの思考で考えよ。お主ならすぐに答えが出よう』
『……私に負けて名誉を失うことを恐れている。つまり、ここにいる全員が、オットー派の貴族ですら、ロヴィナの言葉は真実であると信じているわけだ』
『違いない』
よく見たら、ニアの足も震えている。
私は兵士や騎士、貴族たちをぐるりと見回した。
騎士や貴族たちは身震いする者もいれば、後ずさった者もいる。
ロヴィナはちゃらんぽらんにしか見えないが、実のところ、随分と人望があるみたいだ。
ニア一人をこてんぱんにしたところで、私の力も女神の力も示せない。
本来の私は聖女を小突き回し、修道院に送られる悪役なのだ。貴族や騎士たちをもう一度、一瞥し、高笑いをした。
「ホホホッ! アール王国の精鋭が私と似たりよったりの年代の小娘一人だけだとは随分とご立派な国ですこと! それとも、女神を降ろす私に恐れをなしましたか? 小娘以外の騎士や貴族様方は私と戦えませんの?」
貴族たちから怒号が起きるが、誰も前には出てこない。
口だけではなんとも言えるよね。
「よろしいんですのよ、ここにいる皆様全員を倒しても」
この言葉に全員がピタッと黙った。
私は手にしていた木剣を、床にぞんざいに投げ捨てた。
「腰抜けで腑抜けの皆さんのために、特別に徒手で戦ってさしあげますわ」
どよめきが起こるが、どよめくだけだ。
私は不敵に微笑み、
「何戦も続けてするのも億劫ですから、かかれるものは全員一度にかかってらっしゃいな。それとも、この国の戦士は、そこの小娘しかいないのですか?」
クララ王妃が唇を噛みながら、
「リーゼロッテよ。こちら側の準備ができていないだけですよ。そうお急ぎなさるな。1対多数で戦うと豪語したこと後悔するであろう。我が国の精鋭部隊の力とくとご覧入れようぞ。さぁ、近衛騎士隊! リーゼロッテ殿にいざかかれ!」
クララ王妃の号令を受けて、近衛騎士隊が恐る恐るだが動き出す。
これを受けて、王妃の近くにいた壮年男性が、
「歌舞魔術師団! 相手は小娘一人だけだぞ! 行くぞ!」
これによって、歌舞魔術師団と呼ばれた人たちも動き出した。
私は腕を高く掲げ、踊り始めた。
私の意識の半分がどこか遠くに行き、私を見ている。
私の体の中にヴェンデルガルトが入った。
私が神人となったからなのか踊りだすと、不思議な黄金色の光が現れる。
『リーゼロッテ。皆がお主のことを驚いて見ておるぞ』
ヴェンデルガルトは面白そうに言うのだが、今の私にとっては皆の反応なんてどうでもいいことだ。
『そうじゃったな。今のお主の半分は妾の器じゃ』
私の口が勝手に動く。
「我こそは歌い舞う戦女神ヴェンデルガルトなり。リーゼロッテの練習相手に丁度よい。早くかかってまいれ」
彼らがかかってこなくても私から行くけどね。
私が素早く騎士の一人に近づき、最近、ずっと練習していた神力と魔力の混ざった波動を騎士に放つ。騎士は勢いよく吹き飛び、壁にめり込んだ。
あれ? ちょっと強かったな。予定だと怯むくらいだったんだけど、魔物相手ならこれくらいでも吹き飛ばなかったのに。
『死んではおらぬようじゃ。ふぅ、助かった。こら、殺すつもりでないのなら、まだ人に放ってはならぬぞ。お主はまだコントロールがきちんとできておらぬのじゃから……』
『ごめんごめん』
私は軽く言う。
男の人たちが恐怖で蒼白になりながらも襲いかかってきた。
誰の刃も私の体には当たらない。当たらせない。
『妾がコントロールしてやるからもう一度放て』
言われたとおりに放つ。
今度はうまくいって、後ろに振らめかせることに成功した。
こんな調子で、私は訓練場を歌い踊った。体を動かす度に神力が溢れる。意識もますます離れていく。
ヴェンデルガルトが一人の男の懐に入り、魔力を込めながら掌底を見舞った。男は転がる。気絶したようだ。
「リーゼロッテよ。良い機会じゃ、徒手にて人間を殺さぬように勝つための戦い方を教えてやる。お主ら、もっと獣のように本気でかかって来ぬか。教えられぬじゃろ」
ヴェンデルガルトの叱咤により、人間たちが襲いかかってきた。
『実際はヤケクソじゃぞ。トランス状態が深くなってきたか』
私はヴェンデルガルトに教えてもらいながら、人間たちを吹き飛ばしていく。
吹き飛ばされた彼らはふぐぅなどの悲鳴を上げながら地面に転がる。
私の体は羽が生えたように軽く、どんどん動ける。
『トランス状態が深くなったせいで、動きも良くなり、威力も上がっておる。まずいな。人間たちの息の根が……。もう少しコントロールせぬか。ここは戦場ではないぞ』
コントロールってなんだろう。
『あと一人……』
立っていたのは、緑の髪をした女の子だ。
『ニアじゃ、ニア! 金にだらしがない浮浪者系王子ロヴィナに、恋い焦がれておる娘じゃ』
そんな子は知らない。
『トランス状態が深くなると記憶が飛ぶのか。トランス状態の深さのコントロールも今後の課題じゃな』
女の子は怯えている。震えている。
大丈夫、今、楽にしてあげる。
『殺すでないぞ』
『楽にするだけ』
私は思いっきりよく力を放出しようと準備する。
『それがいけぬのじゃ!』
私が動き出した瞬間、「うわー、姉ちゃんに手を出すなー!」という男の子の叫びが聞こえた。気配がこちらに向かってくる。
大丈夫、今、楽にしてあげる。
瞬間、ヴェンデルガルトが完全に私の体を奪った。
こちらに向かってきたのは小さな男の子で、ナイフを向けている。
「テオ! ダメ!」
怯えていた女の子が叫ぶ。
ヴェンデルガルトはナイフをひゅいっと避けると少年を抱き上げた。
「かわいいのう。主、テオというのか」
「は、離せ! 怖いよー」
「ホホホ。元気があってよろしいのう。この城で一番勇敢でかっこよい男子じゃのう」
テオは泣きながら、ジタバタと暴れる。
私の体にナイフが当たっているが、刺すことはできない。ヴェンデルガルトが神力で刃を弾いているのだ。
『刺されたところで、痛くはないよ』
『今のお主はトランス状態が深いから、痛くないのは知っておる。じゃが、元に戻ったら痛いぞ。どんな状態でも刺されないほうがよいのじゃぞ』
少女が前に出て、頭を下げた。
「申し訳ありません! どうか弟をお助けください!」
「よいぞ、ほれ。テオよ、姉を大事にするのじゃぞ」
テオを地面におろしてあげた。
私はニアとテオを怪訝そうに見る。
『ヴェンデルガルトの知り合い?』
私の問いに、彼女は口に出して答えた。
「知り合いではない」
ニアという女の子は不思議そうに私たちを見て、
「誰と話をされたのですか?」
「リーゼロッテじゃ。意識の中にいるリーゼロッテに話しかけただけじゃ」
「?」
「今、リーゼロッテの意識と体は彼女のものでもあり、妾のものでもある。二人で一つなのじゃ」
「私にも神を降ろせるでしょうか」
「無理じゃ。リーゼロッテを始め神を下ろす娘は特殊なのじゃ。自我や感情、意思が人よりも希薄じゃ。故に、様々なものを演じるし、神が入り込む余白もある」
ニアはショックを受けながら、
「そんな」
「お主は強き意思を持つニアとして、誰からも邪魔をされずに生きられるということじゃ。ニアという人間としての生を全うするがよい。リーゼロッテは余白が人よりも多いゆえ、ヴェンデルガルトとして、リーゼロッテとして、生きることができるのじゃ」
『もちろん、芽衣子としても』ヴェンデルガルドは私の心の中で言った。
遠くで何か音が聞こえる。
黒髪の女性が何か指示を出していて、それを受けて、動いている人たちがいる。
「リーゼロッテ! どうやら終わったようじゃぞ! 妾は一度帰る。お主も戻れ」
彼女は宣言通り、私に神力を込めて、正気に戻して帰っていった。
遠くで聞こえていた音は、この訓練場のざわめきだった。決して遠くから聞こえるような物音ではなかった。
トランス状態になると、私の意識は半分は違う世界に行ってしまう。だからか、音などの感じ方がいつもとは多少違うのだ。
訓練場は意識を失い倒れている騎士や兵たちがたくさん転がっている。わぁ、すごいな。
「まぁ、皆さん、こんなに寝そべって! なんて行儀が悪いのでしょう。足の踏み場もありませんわね。これじゃ、歩けませんわ」
「あんたがやったんじゃないのよ!」
ニアの叫びに、私は数秒考え込んでから頷いた。
「そういえば、そうですわね。トランス状態の時は感覚や状態が違うのでわからないことも多いのです」
「都合がいいわね」
私はニアに、
「さすがに、力を使って疲れたので、休みたいですわ。ニア、歩けないのでこの男たちを片づけてちょうだい」
「あんた、何様よ!」
「失礼。つい令嬢時代の感覚に戻ってしまいましたわ」
「私はあんたの侍女じゃないわよ!」
私は頷いた。
「もっともですわね」
私の実家に、彼女のような侍女が一人だけいた。だから、つい命令したくなってしまうのだ。
カスパーが乱暴に兵士たちを横に片付け、道を作ってくれた。
「感謝いたしますわ。人を踏みながら歩くわけにはいきませんから」
「君はそのうち、飛びながら移動するんじゃないか。それくらい軽い身のこなしだったぞ」
アルフォンスの軽口に私は、「まさか」と笑い返した。
試合に参加しなかった貴族たちや王妃は畏怖や尊敬をこめた瞳で、私を見つめている。
こういう視線は侯爵家の令嬢だったから慣れている。
ロヴィナだけが自慢げに、
「なぁ、すげーだろ!」
まるで子どもみたいだ。
部屋に戻り、私は横になって目を閉じて、夕食まで眠った。
夕食は茹でた芋に、山羊のチーズのソースをかけたもの。山羊のチーズは牛で作ったものよりも酸味や独特の風味がある。私は少し苦手だ。
アール王国は冷涼な気候で、小麦や米の収穫が少ないから、主食の中心は芋になる。
山が多いため、牛より山羊の飼育が盛んで、乳製品の多くも山羊乳を加工したものになってしまう。
他は、魚と野菜のシンプルな煮込み料理だ。味付けはシンプルに塩だけ。にんにくの刺激的な香りが鼻から抜けていく。
夕食後、私だけがクララ王妃に王族専用の居間へと呼ばれた。




