さよなら、学園
私はエメリヒ先生と講堂を出た後、学園長室にある客用のソファに30分ほど座らされていた。
学園長も先生もいなくてずっと一人だ。
つまり、誘拐するのにも、されるのにも絶好のタイミングとチャンスだ。
しがない元貴族令嬢の私では、悪党相手にどうすることもできない。
外から聞こえる少しの物音ですら、悪党登場のテーマソングに聞こえてくる。しかし、私の緊張とは裏腹に悪の組織はありがたいことに一向に出てこない。
あいつらは物語を盛り上げるために必要だからという理由で、ゲームにのみ登場したのだろうか。だから、こちらの世界では実は存在していないのでは?
私の中に期待が生まれると、不安も抑えられた。
学園長とエメリヒ先生が学園長室に入ってきた。
学園長はそこそこ地位のある貴族で、本来なら大臣に収まっていてもおかしくない。しかし、穏健で公明正大な性格が災いし、謀略渦巻く宮廷ではうまくやっていけなかったらしい。
学園長が申し訳なさそうに、
「悪かったね。調査に多少時間がかかってね。確認したところ、本当に君は貴族籍から除籍されていたよ」
「そうでしょうね」
学園長は無言で眉を下げた。その辺の事情もすでに調査済みのようだ。短い時間で色々と調べるの大変だったろう。
「かわいそうだが、貴族籍がないのでは、この学園にはいられない」
「わかっています。今日中に出ていきます」
「いや、急かすことはしないが……。君も行き先を決める必要があるだろう」
学園長は心配そうに言った。
「そうですが、私には頼れる身内もいないですし、学園にご迷惑をかけたのは確かです。これ以上の迷惑をかけるわけには参りません」
学園長は困ったように、
「複数の生徒から、君がどのような暴言を、マーヤに言ったか聞き取りをしたよ」
「そうですか」
「廊下を走るマーヤに淑女なら走ってはいけない。食事中に音を立ててはいけない。早食いをしてはいけない。喋りながら食べてはいけない。猫背はよくない……。ほとんどマナーの注意だね。不敬罪にしたら、逆に王国が馬鹿にされるレベルのことで、君は実際はマーヤをいじめたりしていない」
そう言って、学園長は言葉を続けた。
「多くの生徒たちはテオバルト王太子に恐れをなして、マーヤに注意ができず、随分と気を使って接しているようだったからね。面と向かって、ハッキリと正しいことを言う君は嫌われたんだね」
私は二人の仲の良さを思い返しながら、つまらなそうに、
「マーヤさんとテオバルト様はとても仲が良く、相思相愛と言ってもいいと思っています。教会と王国との思惑が一致すれば、結婚も充分にありえるのではと思い、つい厳しく接してしまったのです。妃たる方がマナーで恥をかいてはいけませんから。考えすぎだったかもしれませんが……」
私の言葉に学園長が、
「いや、考えすぎではないだろう。教会は自分たちの勢力拡大のために、聖女マーヤを王太子の妃にしたいと考えるかもしれない。一方の王国も貴族の力を抑えるために、教会との関係を強化したほうがいいと考えるかもしれない。まぁ、僕としては政治的判断は全くわからないけど」
「私の行いは完全なる余計なお世話でしたけどね」
「身内が頼れないのなら、行くアテもないのだろう」心から心配をしてくれているようだ。
「ですから、町に出て住みこみの仕事を探そうと思います」
「そうはいっても貴族の令嬢にできる仕事なんて……」
エメリヒ先生はずっと何かをいいたげにモジモジしている。
しばしの沈黙が流れてから、先生は意を決したように、
「学園長! リーゼロッテさんは音楽の成績がずば抜けていいんですよ! 音楽教師の自分から見ても彼女には特大の才能と能力があります! レーヌ音楽院へ推薦状を書いてはいかがでしょう! レーヌ音楽院は身分差は関係なく、実力者を歓迎する校風ですし、全寮制です。卒業できれば、歌劇団からの引く手も数多。学園長が推薦をしてくれれば、臨時の試験を実施してくれる可能性があります」
「まぁ、僕が推薦文をかけば試験は実施してくれるだろうが……。あそこは並大抵の実力だと合格は難しいよ。この学園は貴族の子女を教育機関だから、生徒の音楽の成績は良かったとしてもレーヌ音楽院では不合格の可能性が高いだろう」
「でも、学園長よろしくお願いします」
「わかったよ」
エメリヒ先生は頭を下げた。
芽衣子時代に歌も踊りも楽器もやっていた。
その経験がリーゼロッテとなってからも生きているのだろう。
でも、私は歌も踊りも楽器ももう懲り懲りだ。
私の歌も踊りも楽器も誰にも響かないのだから。
エメリヒ先生は私の肩を掴んで、
「リーゼロッテさん! 音楽院に入学できれば、将来は女優や楽器奏者、踊り手などとりあえず安泰です」
「で、でも先生、私は合格は無理だと……思います。それに、レーヌは遠いでしょう?」
「馬車で2週間。リーゼロッテさんの故郷よりも近いですよ!」
「ぜひ、レーヌには行かず、この王都でなんとか仕事を……」
「何を言ってるんですか! 除籍された貴族の令嬢がつける仕事なんてそうそうありません。あったとしても辛くてきつくて大変です!」
私はなんとか断りたかったが、エメリヒ先生の押しの強さに断れなかった。
彼は、リーゼロッテさんなら絶対大丈夫だと言って譲らなかったのだ。
レーヌの都は原作の乙女ゲームでは魔物に襲われ、そこに王太子テオバルトや聖女マーヤがかけつけ救うという場所なのだ。
だが、プレイヤーの選択によっては壊滅してしまう。そんな街に行きたくないし、魔物になんて襲われたくない。
仕方ない。
ここで、身寄りのない世間知らずの元貴族令嬢が、頑なに拒絶するのも変だ。
大人の言うことを従順に聞く子どものように、私はお利口に頷いた。
レーヌに行ってから、魔物襲撃イベントが発生する前に、別の場所に行けばいいのだ。
学園長が推薦書を書き終わるのは昼過ぎとのことだった。時間があるので、私は自分の部屋へ戻り、荷物整理を始めた。
昼食の時間になり、私は最後の食事を食べるために食堂へと向かう。
すれ違う生徒たちは気まずそうにしていたり、可哀想なものを見る目でこちら見てくる。
今はその悪意のない純粋なまでの哀れみが、鋭くきらめく刃のように私の心をえぐってきて、痛い。
でも、仕方がない。
だって、ほら、今の私って特別にかわいそうでしょ?
私は自嘲気味に笑っていた。