アール王国到着
レーヌ市が用意した護衛部隊に付き添われ、私たちはアール王国へと進んでいた。
私は旅をしたいと言ったけれど、王国を救う旅をしたいわけじゃないんだけどな。
ロヴィナは毎晩のように兵士たちと酒を酌み交わし、ギャンブルに興じていた。そして最後は決まって、アルフォンスに、「金くれよ」と情けない声で土下座をするのが日課だ。
毎日、飽きずに頭を下げるロヴィナに、アルフォンスは心底呆れたように頭を抱えている。
そして、スヴェンには、「金を作る方法を教えてくれよ」と真剣な眼差しで教えを請うていた。
スヴェンもいつもの怪しい作り笑顔で、「偽金製造の道は険しいですよ」と余計なことを教えようとしていた。
あんた、怪しい薬以外にも偽金も作れるわけ?
金を乞うロヴィナに王子らしい雰囲気はまったくなく、親のすねをかじるニートの雰囲気しかない。
ヒルデベルトが、「アール王国ってどんなところだろう」と子供らしい好奇心でワクワクしていた。
カスパーが答えた。
「グランツ王国の半分以下の大きさしかない小国だよ。国の大部分が森や山に囲まれている」
さすが騎士出身のカスパーだけあり、隣国の基本情報は抑えている。
私はさらに付け加えた。
「ここ数年は不作に悩んでいるそうですわ」
「じゃぁ、食べるものないの? 僕、お腹減るの嫌だー」
「輸入して賄っていると思いますわよ」
私は呆れながら言った。
ちなみに、モーリッツは日がな一日寝ていて、カスパーに背負われての移動がほとんど。起きる時があるとすれば、食事と用を足す時くらいだ。寝てる間は意識が精霊界へと旅立っていて、修行をしているらしい。
だが、心配になるほど寝ている。
私のほうは夜な夜な抜け出して、魔物を狩っていた。
猿のような形をした紫色の魔物に向けて力を放つと、魔物が怯んで後退った。
「ヴェンデルガルト、これでいいの?」
『まだじゃな。足りぬ。まぁよい、とどめを刺せ。脳天を確実に刺すのじゃぞ』
私が放ったのは神力だ。
彼女に戦い方と神力の使い方を教わっていたのだ。それだけではなく、魔物の魔も吸収し、私自身の力として取り込んでいるのだ。
ふと後ろから気配がして、私は躊躇なく刃を向けた。
そこに立っていたのはアルフォンスで、私の刃は彼の首筋スレスレで止まった。
そんな目に遭いながらも彼は全く動揺していない。眉一つ動かすことなく平然と立っている上に、彼の手のひらの上には炎が揺らめいている。
ヴェンデルガルトは感心しながら、
『数々の死線をくぐり抜けてきたのじゃな』
私は驚きながら刃を降ろし、
「こんな夜に独り歩きだなんて、危ないですわよ」
「それはこっちのセリフだ。夜な夜な君が抜け出すから後をつけてみれば、殺されかけた。出かける前に一声かけてくれてもいいだろう」
アルフォンスが呆れたように、言った。
「あら、失礼。ヴェンデルガルトに戦い方を教えてもらっていました。それに、私は魔物から魔を吸収することで強くなれます。だから、夜な夜な抜け出して魔を吸収していましたの」
「そうだったか。だとしても、毎晩、こんなことをしていたら、昼は眠くて仕方ないだろう。体が持たないぞ」
「そうですわね」
私は神力を大量に注ぎ込まれ、人と神の中間である“神人”となった。だからか、あまり疲れも感じず、眠りたいという欲求もほとんどない。
でも、夜中に動いていれば、日中眠くなるのが普通か。昼間は不自然に思われないように寝るふりをしよう。
「もうこの辺りに魔物はいないだろうから戻ろう」
「そうですわね」
アルフォンスが私の手を引いて歩き出した。
「私、子どもではありませんわ」
「……それでも、こうでもしていないと、君がどこかに行ってしまいそうだ」
「行きませんわよ」
私は笑って答えたが、アルフォンスの表情はどこか憂いを含んでいた。
「レーヌの町を救ったあとの君は同じ人間ではあるが、まるで別の何かになってしまったかのような、遠い存在に感じるんだ」
『鋭いのう』
私も心の中で、『そうだね。何も言ってないのに、何かを感じてるんだね』
『唐突じゃが、妾は帰る。邪魔をするほど野暮ではないからな』
『邪魔? 何の?』
『さぁの。ホホホ』
変なの。
こんな感じの日々を過ごしながら、アール王国の国境まで送ってもらった。国境ではアール王国の貴族や兵士たちがロヴィナを待っていた。
レーヌ市からアール王国に連絡が行っているから、当然だろう。
ここで、私とデメルングの面々が入国拒否されてくれれば、すぐに帰れるんだけど、拒否されなかった。
ロヴィナを出迎えてくれた偉い人たちを差し置いて、一人の少女が前に飛び出してきた。緑色の長い髪を結い上げたスレンダーな体格の美少女だ。
「ロヴィナ王子! 戻るのを心からお待ちしておりました」
勢いそのままにロヴィナに抱きつく。
ロヴィナは困ったように、ニアを引き離そうとする。
「おいおい、ニア、よせよ! 勘違いされるだろ!」
「私は構いません! こんなにも王子をお慕いしているんですから、むしろ望むところです」
『熱いのう』
ヴェンデルガルトが二人を微笑ましく見つめる。
私たちの視線に気づいたロヴィナが慌てながら、
「あ、あ、違うんだ! 彼女は俺の幼馴染のニアっていうんだ!」
「誰ですか! 負け犬的悪役みたいな怖い顔つきのつり上がった目の女は!」
ニアは敵意剥き出しに、私を睨みつけながら言った。
ありがとう、私の顔をよく観察してくれて。
ヴェンデルガルトが感心しながら、
『お主、乙女ゲームではそういう役割じゃったな』
『うん。この子、鋭いよ』
ロヴィナがニアに向かって、怒鳴った。
「馬鹿野郎! この方はリーゼロッテ様だ! 戦女神ヴェンデルガルト様を地上に降ろした踊り手様だ! お前も皆も丁重に接しろよ! きっとこのお方が俺たちの国を救ってくださるんだから」
ニアは私をさらに強烈に睨みつけた。鬼すら逃げ出すんじゃないかってくらいの凶悪な顔だ。
大丈夫、あんたの男は取らないから。
私もヴェンデルガルトもギャンブルで全財産使ったり、金がないせいで路上で寝たり、草食うやつは恋愛対象外だから。
ロヴィナ付きと思われる白髪頭の細身の執事は驚いて、叫んだ。
「まさか他国の人間に我らの秘術を伝授したというのですか!」
「仕方なかったんだ! レーヌの町と俺の命を救うためにはさ! リーゼロッテ様がいなかったら俺は死んでたぞ! いいのか、俺が死んでも!」
「そ、それは困りますが……。王宮に急ぎ行き、大臣や王妃様に指示を仰がねば……」
私の身がやばくなりそうだと察知したアルフォンスが小声で言った。
「逃げるか……」
私も面倒はごめんだったが、私の内のヴェンデルガルトが首を振った。
『のう、リーゼロッテ。行ってみよう。面白そうじゃ』
『本気なの?』
私は驚いて尋ねた。
『本気じゃ。それに、あぁ、見えてロヴィナの心は水のように清らかに思える』
『ギャンブルに明け暮れ、酒をかっ食らい、金を無心する欲まみれの汚い心の持ち主にしか見えない』
『それはやつの本質ではない。あれほどの純粋な心を持つ人間は滅多におらぬから力になってやりたい。やつの心が欲か何かで濁ったら帰るがな』
ボロ雑巾のような心しかなさそうなロヴィナの心が、なぜ女神にはきれいに見えているのか興味が湧いてきた。
私はアルフォンスに告げた。
「帰りません。ヴェンデルガルトが行くと言っています」
「逆らえないのか」
アルフォンスは驚いたように尋ねてきた。
「逆らっても問題はないでしょうが、確かめたいことがあるので。私は多少辛い目に遭っても問題はないはずですわ」
自分でも神人がどういう存在かよくわかっていないが、体が頑丈で寿命が長いことだけはわかっている。おそらく少し酷い目にあってもなんとかなるだろう。
でも、アルフォンスたちは違う。
「貴方たちは厄介事に巻き込まれる前に帰ったほうがいいですわ」
アルフォンスは困ったように眉間を抑えた。
モーリッツが地面を歩く蟻を眺めながら、
「ぼく……たち、仲間。一緒に行く」
そう言いながら、蟻の歩く方向へ歩き出した。
いつからあんたは蟻の仲間になったのよ。
「そうだよ! 水臭いなー」
ヒルデベルトは言いながら、モーリッツの服を掴み、失踪を事前に阻止している。
仲間だなんて、やめてくれない?
犯罪者集団の構成員になるのはまっぴらなのよ。
ヴェンデルガルトが諭すように、
『ゲームの設定を引きずるのも良いが、こやつらは街を救った英雄集団じゃぞ。強いし、顔も悪くない。逆ハーじゃな、ホホホ』
そうだったね。
逆ハーって言葉はいいけど、汗臭い男の集団に女一人ってことだよ。
アール王国の人たちは私たちの扱いに露骨に困っていたせい。そのため、しばらく待たされたものの、首都ラインヴァイスには王子の客人として迎え入れられた。
そして、城にある客室での滞在となった。滞在と言えば聞こえはいいけれど、ほぼ軟禁状態だ。
ロヴィナが助けてくれと言ってくるくらいだから、王国に問題はあるのだろう。だが、アール王国にとって、私たちは王子の迷惑な友人でしかないのだ。
部屋の内装は質素でシンプルで、アンブロス家の城の客室のほうが豪華だ。
部屋からは出られないから何もすることがない。
ヴェンデルガルトが、
『暇じゃろ。妾は暇じゃ。神力の扱い方を教えてやる』
ということで、私は特訓の開始となった。
部屋の外から、乱暴な足音が聞こえる。
部屋にノックもせずにニアが入ってきた。
「あんたのせいで、ロヴィナ王子が謹慎処分になっちゃったじゃないのよ」
あ、ごめん。ですよね。
ロヴィナは自身の命と街を救うためとはいえ、私に歌舞魔術を伝授したのがよほど悪かったのね。アール王国の秘術ってくらいだから、隠して起きたいものだよね。
ニアはコロコロと表情を変えながら、
「ロヴィナ王子はお立場が不安定なのよ!」
「王位継承争いでもしてるんですの?」
ニアは頷いた。
「そうよ! オットー侯爵派と王子派で貴族たちは割れてるの! あんたのせいでロヴィナ王子に何かあったらどうするのよ!」
「邪魔なライバルを殺すのは古来からの伝統芸ですわよね」
「わーん! そんなことになったら、私、あんたのこと死んでも許さないから!」
私の言葉を聞いたニアは大声で泣き出した。
だから、この国では王位が長い間不在だったのか。
ヴェンデルガルトはニアを哀れみに満ちた表情で見つめながら、
『金にだらしのないという本性を知らぬのじゃろうな。おそらくだが、あいつは女にもだらしがないぞ。下半身もだいぶ緩かろう。この娘、哀れじゃな』
ニアの叫び声を聞いて、部屋にロヴィナ付きの執事が入ってきて、追い返してくれた。
この人は軟禁状態に突入した数日前から、私の世話を焼いてくれるうちの一人。優しい顔立ちの通りとても優しいご老人だ。
「誠に申し訳ありません」
本当に申し訳なさそうに言ってくれるが、私としてはいい暇つぶしになったから良かったくらいだ。
ふと、私の脳裏に父と商会の商人が話していた光景が蘇った。そういえば、アール王国のことを話していたっけ。
「先程の令嬢から聞きました。国内が大変だとか」
「いやぁ、お恥ずかしい限りで」
「そういえば、思い出しましたわ。かつて私の父と商会の方が、貴国について憂いていたことがありましたわね」
執事は目を丸くして、
「お父様が?」
「えぇ、父が。私は元は貴族だったんですよ」
私は目を丸くした執事に向かって、頷いた。
私の言葉に執事が恭しく、
「聞き及んでおります。ロヴィナ王子はあなたのことを、グランツ王国の超がつくほどの田舎の小貴族の出だと。身内とごたごたがあって、庶民に落とされたとおっしゃっていました」
「まぁ、失礼しますわね。アンブロス家は決して小貴族ではありませんわ」
「アンブロス?」
執事の眉がピクリと動いた。
私は自己紹介するために立ち上がった。
「私の正式な名前はリーゼロッテ・アンブロス・フューラー」
「アンブロス! リーゼロッテ! も……もしや、もしや……アンブロス侯爵家の唯一の血筋の……」
執事はびっくりするくらいの高音で驚きの声を上げ、私に確認した。
私はゆっくりと頷いて、
「えぇ、唯一の血筋ですわ。でも、今は貴族籍を剥奪されたので、アンブロス侯爵家とは無関係……」
「失礼いたしました! ただいま報告いたしてきます」
私が言い終わる前に走って行ってしまった。
小国の人というのはこうも騒がしいのか。
『どうしたんじゃ、あのじじいは』
『多分。アンブロス家の領地内にあるどっかの商会から、穀物でも輸入してるんじゃないかな』
不作続きのアール王国のことだから、もし取引があるのなら、かなりの量を輸入しているはず。
商会に嫌われたら、彼らにとっては死活問題に違いない。
執事がいない間に、戻ってきたニアが私を睨みつけている。本当に、あんたって面白い子ね。
三十分ほどして執事が戻ってきて、再度、ニアを追い払い、
「王妃陛下の準備ができ次第、ぜひ謁見なさってください」
「卑しい身分なれど、王妃陛下にお目通りの機会をいただけたこと、身に余る光栄にございます」
私は貴族令嬢のように上品に微笑み、スカートの端を持ち上げた。
……身分はもう無くしたけれど、作法はまだ身体に染みついている。




