絶望と決着
市長のデニスが、
「聖女様たちはこちらに来れないと連絡が……」
なんですって?
そういえば、乙女ゲームのレーヌ壊滅シナリオでは大量の魔物の発生の報せにビビった主人公マーヤはレーヌの町に行きたくないあまり、馬車の車輪を夜中にこっそり壊してしまう。
馬車を交換すればすぐにレーヌの街へ行けるというのに、その様子をこっそりと見ていたテオバルトがマーヤの気持ちを察し、「レーヌに向かったら、聖女に不吉なことが起こる予兆に違いない」と適当こいて行かないという決断を下す。
レーヌの町を見捨てたという事実と罪悪感を共有した二人は親密度が上がるのだ。テオバルトを効率よく攻略するために、レーヌの町を見捨てるプレイヤーも少なくなかった。
それはいいんだけど、乙女ゲームではレーヌの町の壊滅後のストーリーは壊滅しなかったストーリーと同じ展開になり、壊滅がなかったかのような扱いになる。
レーヌの町で一所懸命戦っていたはずのロヴィナもしれっと、学校に転入してきて、何食わぬ顔してレーヌを見捨てた娘と恋愛をしだす。
ロヴィナ、あんた頭おかしいんじゃないの? と当時の私は思ったものだった。
ゲームならそれでもいいが、レーヌの町にいる私としては、「おい、聖女様、貴様ビビってねーよな!?」と言いたくなってしまう。
ゲームの世界ではないから、マーヤとテオバルトがどういう経緯で来なくなったか知らないけれど、と思っていたら、デニスが、
「なんでも、馬車が壊れてしまい、これは聖女様に不吉なことが起こる予兆に違いないと王太子殿下が申して……」
やったな!?
聖女様、貴様、やったな!?
ゲームと現実となってしまったこの世界は違うとはいえ、疑わざるを得ない。
デニスはすっかりうろたえている。そして、絶望しきった表情で恐怖に震えていた。
「聖女様が来ないことは士気に関わるので、決して他言しないように」
「は、はい」
「知っている職員にもしっかりと言ってくださいね」
「もちろんです」
私はデニスを勇気づけるように、
「私はリーゼロッテ・アンブロス・フューラー。魔石を破壊できたアンブロス家の直系の血筋です。安心なさってください」
「は、はい! そうだ、我々にはリーゼロッテ様がおられるのだ!」
聖女たちは実質レーヌを見捨てたも同然だった。
他言はしないようにと言ったけれど、聖女が来なければ、士気が落ちて戦えなくなるし、町で耐え凌ぐ人々の団結力もなくなってしまうだろう。
瘴気が消えない場合、耐えることは死ぬのを待つことを意味する。
私は起きたばかりのアルフォンスに聖女が来ないことを説明した。
「凝縮した魔力を放つとどれくらい魔物を倒せますか? 瘴気の近くまで倒せるかしら?」
「倒せるかもしれないが……」
「あなたがその魔法を発動後、私が瘴気を発生させる魔石を破壊しに行きますわ。スヴェン殿なら私を抱えながら空を飛べますわね。瘴気の近くまで私を運んでください」
「瘴気に当たったらどうなるかわかっているのか!」
アルフォンスが強い口調で言ったので、私は頷いて、
「私の祖父は瘴気を発生させる魔石を壊したあと、まもなく苦しみながら亡くなったそうです」
「それをわかっていて君は瘴気を破壊しに行くと言うのか!?」
「もちろん。私たちにとって状況は最悪です。多くの兵士を失い、聖女は来ない。瘴気を発生し続ける魔石がいつ消滅するかわからない。町の人々は聖女の到着だけを希望に耐えてきたのです。人の口に戸は建てられません。話が広がれば、人々の希望は砕かれ、士気は落ち、仲間同士で諍いが起きるでしょう。魔石がいつまで経っても消滅しない場合、耐えることは死を意味します」
アルフォンスは言葉に詰まった。
デメルングの面々も体力的に消耗し、限界だ。オーガロードと戦った時のような戦い方はもうできないだろう。
アルフォンスは呻くように、
「なぜ、君はそれができるんだ。君の祖父や母のように死ぬかもしれないんだぞ?」
「死ぬかもしれないではありませんわ。死ぬのですわ」
私はまっすぐな瞳でアルフォンスを見つめ、
「私は王太子や聖女みたいにレーヌの町を見捨てたくはありません。多くの人々の死も見たくもありません。そして、聖女がいないから町を救えないと嘆きたくもありません。だからこそ、私ができる最善を行うのですわ」
そして、私は笑った。
「ついでに、英雄になれるでしょう。王太子や聖女、義弟への私なりの一矢の報い方ですわ」
「君がやる必要はないんだぞ」
「私は家族とも縁を切られ、もう何もありません。あなたがたのように成し遂げたい何かもありません。全てを失った私は何も失うものはないし、私が命を失ったところで泣いてくれる人もいないのですわ」
「ヘラヘラ笑いながら、そんな悲しいことを言うな! 旅したかったんだろ」
アルフォンスが私の肩を掴んで言った。
だって仕方ないじゃないか。
誰かがやらなくちゃいけないのだ。
笑って強がらなくちゃ、私だって死の旅路を進めないのだ。
「来世ではちゃんと旅しますわ」
「そんなあるかどうかわからないものを……」
いや、あるんだってば。
あんたは信じなかったけどね。
「お優しいのですね。なら、せめて私のために可愛い紫色の小さなお花を魔石があった場所に置いてください」
「魔石の破壊なら、俺が……」
「いいえ、あなたたちデメルングは生きて。そして、テオバルト王太子を廃して王となってください。王家の血を引くあなたでなければできないことです」
「リーゼロッテ……」
「聖女とかいう女のために一つの町とそこに住む人々を見捨てるようなクソ野郎を王にしてたまるか。頑張るのですわよ! 草葉の陰から応援してますから」
「君、言葉悪いな」
「あら失礼」
うっかり芽衣子が出てしまったわ。
「私、王太子と聖女に対して怒っているのですわ。だからこそ、私の手で魔石を破壊したいのです」
街を救う力を持ちながら、平気で町と多くの人々を見捨てるようなクズのあいつらと私は違うのだと行動で示したいのだ。
私はアルフォンスに微笑んだ。
「さぁ、決着をつけましょう」
彼は笑わなかった。端正な美しい顔に悲しみを浮かべているだけだ。
私の計画を聞いた市長さんも騎士や神官たちは驚愕し、市長さんは泣きながら感謝してくれた。
アルフォンスや市長さんや街の有力者さんも市壁に登ってきた。危険だと言うのに、私を見送るのだという。
アルフォンスが凝縮してきた魔力を使って、強烈な魔法を放つ。
業火という言葉がふさわしいくらいに凄まじい青い炎が魔物たちを覆う。熱気が町まできてとてもつもなく熱い。
そして、すごく明るくなってチカチカするくらいだわ。
暑さはすぐになくなり、変身したスヴェンが私を抱き上げ、飛んだ。
私は笑顔で言った。
「さようなら、皆さん。ごきげんよう」
しばらく空を飛びながら、スヴェンが、
「本当に良いんですか」
「もちろん。聖女が来ない以上、人々の気持ちや兵士たちの士気を維持することはできませんわ。レーヌの町を救うには誰かが魔石を破壊しなければいけません」
たまたまその役目を果たすのが私なだけだ。
「寂しくなるですよ。実戦二日目で神を呼んだあなたは実に研究のしがいがあったというのに」
「残念ですわね」
私は瘴気の近くでスヴェンに降ろしてもらった。もう魔物の群れが見える。
スヴェンも根は人がいいらしく、立ち去りづらそうだ。
「スヴェン殿は早くここから立ち去ってください。瘴気に当てられたら体が弱りますわ」
「あの魔物の量。一人で魔石までたどり着けるとは思えないですよ」
「女神の力を借りて必ず成し遂げますわ。さぁ、アルフォンス殿の元へ行き、私を瘴気の近くに送ったと報告してください」
スヴェンはアルフォンスに忠誠を誓っているから、彼の名前を出されると弱いのだ。
「残念ですよ。アルフォンス様はあなたといる時、意外と笑顔でいる時間が長かったので」
そう言って、飛び立っていった。
そう。
アルフォンスは私といた時、笑ってくれたのね。
私は彼と一緒にいた時、笑えていたかしら。
私は剣を構え、踊りながら、魔物の群れに突進した。
私は、必ず、魔石を破壊する。
私は魔物たちに斬りつける。
魔物を殺さなくても斬れば斬るほどバフされ、身体能力が上昇し、魔物を倒し、前進することができる。
三百六十度魔物ばかりで、朝の満員電車よりもひどい過密状態だ。
踊っていると天から戦女神の意識が降りてきて、私とともに戦い始める。
瘴気のせいで視界は悪いが、少しずつ少しずつ前へと進んでいく。
魔石はどこにあるのだろうか。
私は魔物を斬る度に身体能力は強化されるが、体は瘴気の影響か脆くなっているような気がした。まるで腐っていくような感覚がある。
それは剣も同じだったのか耐えきれずに刃こぼれした。
ついには折れてしまった。
それでも、残った刀身を振るいながら私は進む。
魔物たちは全員が私に向かってくるわけではなく、私が視界に入らなければ、襲ってくることはなかった。
本当に視界に入ったものだけを手当たり次第に攻撃しているだけで、感情や思考はまったくないようだった。
瘴気が濃くなってくる。視界は暗くて黒い。
体の劣化具合が激しくなる。いくら身体能力が強化されているとはいえ、ここまで劣化すると剣を振るう度に腕がもげそうになる。
お祖父様やお母様に同行した騎士や兵士たちはかつて私と同じような思いをしたのだろう。
魔物たちのほうは濃い瘴気に当てられたのか一部は同士討ちをしていて、大多数の魔物はそれから逃げるように走り出している。
濃くて黒い瘴気の中、黒光りする何かを見つけた。
進む。
巨大な魔石だ。
中から、洪水のように魔物が生まれている。
私は最後の力を振り絞って、魔石に向かって跳躍した。
魔物を斬りつけることで極限まで身体能力を強化した腐りかけの肉体で、思いっきり剣を叩きつけた。
砕け散る魔石ともげて飛んでいく私の右腕。
私は地面に仰向けに落ちた。瘴気の影響で体はもう動かない。私の横で剣を握ったままの私の右腕が転がっている。
私は歌っている。ヴェンデルガルトが私の体を歌わせているのだ。だが、瘴気で消耗しきった私の歌はか細く小さい。
もう声が出ないのだ。
体がボロボロになった私は視力も落ちていて、きちんと目が見えない。
でも、視界が明るくなるのがわかる。黒い瘴気が晴れていくのも薄っすらとわかる。
霞む視界でも青空がうっすらと見えた。
私はきちんと魔石を破壊したのだ。
耳もきっとよく聞こえていないのだろう。
だが、振動で魔物の足音が遠ざかっていくのはわかる。
魔物たちが四方八方に散っていっているのだ。レーヌに流れ着いた魔物はアルフォンスたちが全て倒すだろう。
これから私は死ぬけれど、私の心は安心感と安らぎで満ちている。
あぁ、よかった。




