8話「異世界人の生活」
実験室に先生を残し、守衛室にいるおじいちゃん先生に鍵を返して、私と修斗は校門を潜った。
「なぁ、八千代。さっきの人先輩か? お前部活とかやってなかったよな」
正門を出て右に向かえば、駅がある。
待ち合わせのカフェは3駅ほど離れているから、本来であれば駅へ向かうところだったけれど、私と修斗はその逆、左へ曲がった。
「先輩じゃなくって、ハイドマッツァニー先生だよ。ちょっと自習に付き合ってもらってたの」
「へぇー、あの見た目で異世界人なのか。てっきり日本人だと思ってた」
「日本人らしいよ。名前は偽名だって」
「マジか」
駅と真逆へ歩くこと3分。
ちょっとした話をしている間に、目的地が見えてきた。
バス停横に置かれたそれは、公衆電話ボックスと似た形の設備。歩道の脇にぎゅっと詰めて、5つほど並べられている。
全面ガラス張りで一人分のスペースしかないそのボックスの中には、ATMみたいな機械が一つ置いてあるだけだ。
一切の無駄を排除してもはや質素にさえ感じるこの設備だが、実は現代社会の仕組みを大きく変えた素晴らしい発明品だったりする。
「あれ? カフェって何番だっけ? 何回行っても、覚えられるないんだよな、これ」
「10203番だよ。行き先選ぶ時地図出るけど、そこには載ってないから」
「そうだっけ? 久しぶり過ぎて全然覚えてないな」
それぞれ別の箱に入って、機械と対面する。
液晶パネルをタップすると画面が切り変わり、現れるのはこの街の地図。
この街には、同じボックスがありとあらゆるところに配置されていて、その一つ一つに番号が振られている。その全部がこの地図に現れているのだ。
けれど、今回使うのはその地図には載っていない特別な番号。
液晶パネルの下にあるボタンで、10203と入力。すると機械の上の方からカードが1枚飛び出してくる。
引っ張っても抜けないようになっているそれを、その場でちぎると一瞬。
次の瞬間にはもう、先ほどまで見えていた景色と一変している。
「やっぱ便利だよなーこれ」
ボックスを出ると、修斗は待ち合わせのカフェを見上げて呟いた。
「まぁ料金が高いから、ここへ来る時以外使う気になれないけどね」
修斗の隣に並んで店に入ろうとしたところで、見覚えのある金縦ロールがエプロン姿で飛び出して来た。
「八千代さん修斗さん、お待ちしておりました!」
「お待たせーアリシア」
「お、俺たちが来たの、なんで分かったんだ?」
「そのお話は以前にもした憶えがありますが……一先ず、中へお上がり下さいませ」
アリシアに促されるまま、私と修斗は店内へと足を踏み入れた。
暖かみのある木の素材が全面にあしらわれた、ログハウス調のカフェテリア。
中はお昼時もあって、ほとんど満席なほど賑わっていた。
「こちらのテーブル席をお使い下さい」
アリシアは私達を席まで案内したあと、いつの間にか持っていたトレーからコップとおしぼりを3つずつテーブルに移動させた。
「ご予約名大黒様、3名様テーブル席へご案内致しました」
厨房側を向いていたアリシアが振り返って、気恥ずかしそうに微笑んだ。
「この格好のままでは、お仕事中と区別がつかなくなってしまいますので、着替えてから参りますね?」
私は頷いて、修斗は「おう」って返して見送った。
そのすぐあと、修斗が小声で尋ねてきた。
「なぁ八千代、さっきの話覚えてるか?」
「アリシアがお店の外まで出迎えてくれた時のこと?」
「それ、前にそんな話したか? まったく記憶にないんだけど」
「したね」
私は店内を見渡しながらお冷を仰いで、一息ついた。
「さっき使った瞬間移動装置の仕組み、分かってるよね?」
「瞬間移動の異能力をカードにコピーしてるんだったよな」
「そう、ここのお店を経営してるアリシアのお姉さんが、他人の異能力をカードにコピーできる異能力を持ってるの。それで作られた瞬間移動能力のカードを、『複製』の異能力を持つ人が何万枚も複製して、町中にある瞬間移動装置に配備してるって仕組み。そのおかげで国中どこでも行きたいところに瞬時に移動できるようになったわけなんだけど、その立役者であるアリシアのお姉さんには特別に、お店の前にワープポイントを2つ設置してもらって、特別な番号が入力された時だけ、無料でワープできる仕組みにしてもらえたらしいよ。だから────」
「10203番が利用された時に限り、このお店に知らせが入る形になっておりまして、不正利用がなされないようにしているのです」
エプロン姿から私服姿になったアリシアが私の説明を拾って、代わりにホットサンドテーブルに並べた。
「ワープポイントの開発には、アーティストの方々も、それこそ川上莉子さんにも協力を依頼されて、去年の夏にようやく完成にいたったんです」
全員分の取り皿を配りながら、「こちら、ご注文頂いておりません、ホットサンドです」なんてにっこり笑って付け足した。
莉子がアリシアのことを知っていたのは、それが理由か。
「え? いいの?」
「お昼まだですよね? ミルハイルお姉さまがお二人にと用意して下さいました」
「マジか!? 正直腹減ってたんだよな、ありがたすぎるぜ!」
修斗は早速取り皿に自分の分を取り分ける。
「じゃあ私、アイスコーヒー注文していい?」
「俺カフェラテ、アイスで」
「わかりました、キッチンに伝えて参りますね」
一度として座席につくこともないまま、アリシアは再び厨房の方へと向かって行った。その背中を眺める修斗の口は、既にもごもごしている。
厨房を数秒覗いたあと、すぐ戻って来てようやくアリシアも席に着いた。
「出来上がりましたらミルハイルお姉さまが、持ってきてくださるそうです」
「大丈夫? すごい忙しそうだけど」
「大丈夫ですよ、いつものことですから。それより、すこしばたばたしてしまいましたが、ようやくです」
仕切りなおしたアリシアの目は、眩しいくらいの光が宿っていて思わず視線が修斗の手元に向かった。
ホットサンドの具材はハムとチーズとレタス。シンプルだけどすごく美味しそうだ。
「お二人とも連休中、何をいたしましょうか?」
「アリシアって、明日から里帰りするんだったよな?」
「はい、なのでどこかへ遊びに行くとしても明後日以降ですね」
少し残念そうに呟きながら、アリシアはホットサンドを手に取り自分の取り皿まで運んだ。
残り一枚になったそれを、私も皿に取り分ける。
「せっかく帰省するのに1日だけなんだね」
「はい、こちらでの1日がエリンデル・ワイズでは2日になるので」
「なにそれずるい」
それって休みが1日増えるってことだよね。羨ましい。
「そう、ですね。ですがそれは、1年が2年に、2年が4年になってしまいます。定期的に帰らないと時間が流れ過ぎてしまうんです」
そっか。アリシアの家族や友達がその分早く歳をとることになる。それってきっといいことばかりではないよね。
「その話はこれくらいにして、そろそろ予定を決めませんか? 私、お出かけしたいです!」
「お出かけかぁ、ぱっと言われても思いつかないなぁ」
「そういえば皆さ────」
「悪い、ちょっと待って」
ホットサンドの断面がごとく、話を綺麗に両断したのは真剣な眼差しの修斗だった。
その目は窓の外に見える巨大な電光掲示板に、向かっていた。
「うわぁ、ディグラス負けてる。マジかぁ」
「え? なに? 何の話?」
「EAT。バーリトゥード個人部門の1次リーグだよ」
「その方の試合は確か、本日の11時からでしたよね? 授業員の方も話しておりました」
「あー、EATね」
EAT、エクストラアビリティトーナメント。魔力や異能力が普及したことで人並み外れた戦いが可能となった人類が、それを一種のスポーツとして興行化したものだ。
サッカーや野球もさることながら、最近ではEATのための部活が出来上がるほど、徐々にその人気を高めている。
ウチの学校にももちろんあって、修斗の所属する部活がまさにそれだ。
「八千代はあんまり興味ないもんな」
「まぁね。闘うとか以前に、そもそも運動が苦手だし」
「こういっちゃなんだけどよ、それでよく無事に帰って来れたな」
「これでも色々あったんだよぉ? それはもう、色々と」
私が異世界にいた時の話を始めればそれだけで今日一日が終わってしまうほどのボリュームになるので、今日のところは割愛するけれど、それでも思い返せばよくもまぁ無事だったものだと私自身も思うくらいだ。
「え? やば! ちょっと待って、ディグラス今度札幌来るじゃん!」
少し思い出に耽っていた間に、修斗の興味は既に手元のスマートフォンに向いていた。
「話振っておいて聞いてないって、どうなのよ、それ」
「ん? あー悪い。てか、試合ゴールデンウィーク最終日じゃん」
ダメだ、今のこいつに言っても何も聞いちゃいねぇ。
見た目の愛くるしさに免じて今日のところは許してあげるけど。
「えぇーいいなぁ。試合見に行きてぇなぁ」
「お待たせしました」
私たちのテーブルに一人のウェイターが現れた。
クリーム色の長い髪がとても綺麗な、背の高い女性。多分二十歳くらいなんじゃないかな。
「アイスコーヒーとアイスカフェラテ、それからアイスキャラメルラテでございます」
「ありがとうございます、ミルハイルお姉さま」
アリシアに釣られたわけでもないけれど、私と修斗も自然とお礼の言葉を口にしていた。
「お久しぶりね、八千代ちゃんに修ちゃんも。今日は人が多くてちょっと落ち着かないかもしれないけれど、ゆっくりしていってね」
「はい」
修斗はなぜか、ミルハイルさんにだけは女子として接している。だから修ちゃんなんて呼ばれ方をしているんだけど、前に私もそう呼んだら怒られてしまったことがある。
難しい乙女心だ。
「そう言えば修ちゃん。連休最終日のEAT見に行きたいんだって? ちょうど春君からチケット3枚貰ったんだけど、私はお店で忙しくて……良かったらもらってくれないかしら?」
「え? ほんとですか!? でも春君? ってどなたでしたっけ?」
「あら? アル、春君のこと話してないの?」
尋ねられたアリシアは、気のせいか少しだけ頬が染まっている。
恥じらいながら、「はぃ……」と弱弱しく返した。
「アリシア?」
「……実は、私には桜花春人という、許嫁の方がおられまして────」
「許嫁!?」
まったく予想だにしない答えが返って来たので、少しだけ声が大きくなってしまった。少しだけ。
「八千代さん……声が大きいですよ」
「ごめん」
「へぇ。アリシアの許嫁かぁ、でもその人、日本人なんだな」
「はい。私たちの世界を救って下さった勇者様なんです」
「なるほどぉ、その姿に惚れちゃった的な?」
よりいっそう顔をリンゴみたいにして、「恥ずかしながら……」とだけ答えた。
何この生きもの、可愛い。
「もしかしてその人、同じ学校か!?」
こんなに目をキラキラさせてる修斗なんて今まで見たことない。
「いいえ。春人様は学生ではなく、会社を営んでおられます」
「営むって、まさか社長じゃないよな?」
「従業員が3名と、そう大きな会社ではありませんが」
「でも社長なのか」
「すごいね、なんの会社なの?」
尋ねてからホットサンドに口をつける。
生ハムのしょっぱい味に溶けたチーズがよく合って、想像通り美味しい。
「春くんは、召喚魔法でエリンデル・ワイズと日本を行き来できるから、向こうのものをこっちに、こっちの物を向こうに運搬してるんだよ」
「へぇ、でも、アリシアが惚れるくらい強いならEATの上位ランカーも目指せたんじゃないのか?」
「そのお話は、私からもしたことがあります。ですが春人様が仰るには、どれだけ鍛錬を重ねても1次リーグの100位辺りに留まるのが関の山だそうです」
ホットサンドに視線を落とすと、「エリンデル・ワイズでは、春人様の右に並ぶ方は一人としておりませんが」なんて呟いてから、噛みついた。
「きっと春くんはアルに負ける姿を見せたくなかったんじゃないかな。歳のわりに大人びて見えるけど、まだ18歳の男の子だからね」
「わっ、私はなにも春人様の強さだけを慕っているわけではございません! 春人様には———」
「アル、それは春くんに直接伝えてあげないと」
アリシアはまた顔を赤くしながら、子犬のような高い唸り声をあげた。
「それはそれとして、EATのチケットはアルに渡しておくから、皆んなで見に行っておいで」
「ほんとに嬉しいです! ありがとうございます、ミルハイルさん」
未だ嘗てないほど、修斗の口調は丁寧だった。
そこまでとは言わないけど、普段からちょっとだけでも言葉遣いが女の子っぽくなれば、すっごく可愛いのに。
「ノンノンだよ、修ちゃん。お礼はいいから、今度から私のこと、ミルハイルお姉ちゃんって呼んで」
「え? そんなことでいいんですか?」
「ええ!」
それはそれは、力強い肯定だった。
「じゃあ……ありがとう、ミルハイルお姉ちゃん」
「……うん、じゃあまた。ゆっくりしていってね」
身悶えながらも、辛うじて言葉は紡がれた。
キッチンへと去っていく背中が、ちょっとだけ羨ましかったなんて言わない。言わないよ。