6話「私のエゴ」
「……莉子は、何も気にならないの?」
「気にならないっていうより、聞く必要がない」
そう、だよね。
私がどこで何をしてようと、最終的にユニットとして活動できれば、莉子にはどうだっていいことだ。
それでもちょっと、薄情なんだなって思ってしまう私がいたことに、私自身が意外に思った。
「たださ、八八地はどこで知ったの? 昨日のハイジャックのこと」
「……話してもきっと、莉子には信じられないよ」
言ってしまえば私の敵は国で、アーティストで、莉子はどちらかと言えばそちら側の人間。
本来、私と莉子は敵同士。ユニットを組むなんてあり得ない関係性なんだから。
「え? なに? もしかして八八地、私に気遣ってる?」
茶化すように笑って、莉子は足を組んだ。
「……何が可笑しいのさ、別に気を遣ったわけじゃないし」
「あーいやごめん。怒らせるつもりで言ったわけじゃなくてさ、あんな大胆なことする割りに、案外ナイーブというか、繊細なんだなって」
「十分煽ってるよね? それ」
なんですか? 喧嘩なら買ったりますよ?
って本当は言いたいけど、莉子相手に買われて困るのは私だ。
「いや、ほんと。そんなつもりないって。ただ私、八八地の切れ味いいとこ好きだからさ、気にせず言っちゃっていいよ? アーティストは人格破綻者の集まりだぁって」
「そうは言ってないでしょ」
心の中では思ってるけどさ。
「でも、思ってるでしょ?」
なっ。なぜそれを。
「……否定はしない」
「ほら。そういうとこ、素直で可愛いいと思うよ?」
「可愛いいは余計だ」
すぐそうやって人をおちょくる。
「で? 実際どうなの? 何をどうやって知ったわけ」
なんかもう、莉子ならいいやって思えてしまった。今更隠すような事でもないし。
それでもコーヒーに手が伸びたのは、きっと覚悟を決める時間を少しばかり稼ぎたかったからだ。
「結論から言うね」
釣られるように、莉子の手もコップに伸びる。
「異世界へ転移したり転生したりするのって、実は意図的に行われているの」
コップを口に運ぶ莉子の手が止まって、視線があった。
「……本気で言ってる? それ」
「証拠はないし手段も詳しくはわかってないけど、事件や事故、テロなんかを装って人を殺め、異世界へ送っている何者かがいるのは間違いないの」
「それに関わっているのがアーティストって? そう思った根拠、聞いていい?」
「一週間前ね、私がいた異世界に新しい転移者が現れたの。転移したきっかけは、その前日に起こったショッピングモールの占領テロ」
「あぁー、そんなこともあったっけね」
つい最近のことなのに、まるで昔を思い出すみたいに言って、カップに口をつけた。
「その最中、犯人に殺められたのが、その子の最後の記憶なんだけど、意識を落とす間際、犯人の会話に出てきたの。5月2日月曜日18時30分にハイジャックを決行し、新テレビ塔を破壊するって」
私だって昨日のあの時までは、確証が持てずにいた。
事の規模を考えれば、強力な能力や権力が関わっていることは間違いないとしても、それがまさかアーティストだなんて。
「ねぇ、八八地」
少し考える間をとってから改まって、莉子は私を呼んだ。
そろそろ名前で呼んで欲しいなと思いつつも、「なに?」って返す。
「3つ、訊いていい?」
「どうぞ」
「1週間前に転移したその子とはどうやってやり取りしたわけ? 八八地って異世界と日本、行き来できるの?」
「行き来は出来ないんだけど、向こうの世界にいる友達とリンクを繋げられるの」
「あぁ、『遠隔リンク』ね。さっき読んだわ」
そう言って莉子は、私のリンクを正確に説明してみせるんだ。
読んだっていうのはたぶん、さっき見せてくれた個人情報のことだろう。
「累計で24時間リンクした人とは触れる必要なくリンクできるんだってね。距離制限はないって書かれ方をしてたけど、世界を隔てても繋がるんだ」
「そこまでわかればもう説明はいらないでしょ?」
「『遠隔リンク』で繋がった異世界の知り合いづてに、『二重リンク』した。そんなとこじゃない?」
「そ、リンクした人と手を共有して、その人が別の誰かに触れてくれれば、それは私が触れたのと変わんないから、リンクが繋がるの。あとは脳を共有して記憶を確認するだけ」
「それで異世界から情報を得た」
「うん、そゆこと」
納得してくれたみたいで、コーヒーに口を付けた。
それから指を二本立てて、
「二つ目、1週間前のテロを鎮圧したのって、アーティストだったはずなんだけど?」
「アーティストの現7席、橘涼乃だよね。彼女がこの件に絡んでいないのかそれとも、目的が達成されたから鎮圧したのかはわからない」
「でも昨日の一件で、アーティストがテロに加担していることは間違いないってわけね。でもさ、記憶を覗いた時犯人は映っていなかったの?」
「実行犯なら数名。でもアーティストは全員顔も名前も能力も割れてるから、表立った行動はしないだろうし、橘涼乃以外があの場にいたとは思えない」
「まっ、それもそっか」
今朝のニュースだと、ショッピングモールを占領したテログループの残党がハイジャックを起こしたと報道されていた。
これでテロの芽が完全に摘み取れていればいいんだけれど、おそらくきっと、そうはならない。
「じゃあ次で最後なんだけさ」
そう言って切り出された最後の問いが、
「八八地って──」
なんていうか、割りきれなかったんだ。
「結局、何が気に入らないわけ?」
何がしたいとか、なんでそんなことしてるのかでもなく、気に入らないのは何か。だって。
「……気に入らない? か」
これが私のエゴだって、明らかだったとでも言うのだろうか。莉子が支配するその領域には、そんなことすら映し出せると。
「だってそうでしょ? 仮に転生とかが意図的に行われてて、それにアーティストが関わっているとして、それで八八地は何か困るわけ?」
そうだね。
そうだよ。莉子の言う通り、これは私のエゴだ。
でもそれにしたってだ。
「何か困るって、これってそういう問題?」
思わず笑ってしまった。
「一応、人の命に関わることなんだけど?」
「人なんて今もどこかで死んでるって。八八地がしたいのってそういう単純な人助けってわけでもないでしょ?」
「なんでそう思ったのか訊きたいところではあるけど、先に答えると莉子の言う通りだよ」
「なんでもなにも、八八地がそういう人じゃなかったらユニットに誘ってないって。私、その人が困ってるからって理由で助ける人、嫌いだから」
莉子の目には私がどう見えているのか、いささかではない疑問が生まれたけれど、確かに私は、見返りも無しに誰彼構わず助ける人間ではない。
でも、
「困ってる人を助けるのも、悪いことではないよ」
「だから言ってるでしょ、重要なのは理由。誰かに手を差し伸べる人は皆、その人が見るに堪えないから手を差し伸べているのに、あたかも自分が善人であるかのうように振る舞ってる。正直いって気色悪い、エゴなんて誰にでもあるものなのに」
何が気に入らない? そう私に問うた理由が、少しだけ垣間見れた気がする。
言うなれば彼女は、利己的なんだ。
「この際だから言っておくけど、私には好きな言葉があるの」
組んでいた足を戻して、少し前のめりになった莉子。
そして私の鼓膜を揺らしたその言葉は、私も知っている台詞だった。
「『人は自らの意思に基づいて行動した時のみ、価値を持つ』。逆に言えば、自分の意思さえ示せない人間に価値はない」
「それ、悪役の言葉なんだけど。莉子はその無価値な人ならどうなっても構わないの?」
「そんな人、興味ない。八八地だってそうだから、選んで人を助けてる。違う?」
それは違う。
「違うよ。助けられるなら一人でも多く助けられた方がいい。でも私にそんなことはできない。だからせめて失いたくないものだけ守ろうって、そう思っただけだよ。できるのに見捨てられるほど、私は強くなんてない」
珍しい生き物でも見たかのような目をしていた。
変なことを言ったつもりなんてないから、それがちょっと不服だったんだけど、
「……いいんじゃない? それで。その言葉には八八地がちゃんといるから」
莉子が他人に意思を求めるその訳は、一体どこからきているのか、少し気になってしまった。
それでもそれを言葉にしなかったのは、薄々なんとなく察しがついてしまったからなんだろう。
「それで、そうやって割り切ってでも守りたかったものって何なの?」
そうして今気がつく。やってしまったと。
その答えを、私は言いたくない。
「……秘密」
「え? なにそれ可愛いーぃ」
そんな軽口を叩きながらも、「で、偽計業務妨害すれすれの事案を起こしたり、飛行機に轢き殺されそうになってまで守りたかった、大事な大事なものって一体何なのかなぁ?」って笑顔で詰め寄ってくる。
ほんと、素晴らしい人格の持ち主だ。
「べ、別にいいでしょ? なんでも!」
「そんなこと言うなら、協力してあげないよ? 絶対領域、色々役に立つと思うんだけどなぁー」
「は、はい? もともと協力する気なんてないでしょーに!」
さっき聞く必要がないとか言ってたし!
「いや、なかったらこんな話聞かないでしょ? それにもう取返しつかないとこまで来ちゃってるし」
「聞く必要がないって言ったのはどこの誰さ?」
「あ? あぁ。最初の? ウケる。意味合い全然違うし」
「はい?」
訝しむ私に、改まって真面目な表情で莉子は告げた。
「聞く必要がないっていうのは、疑う余地もなくアーティストは黒ってこと。八八地が止めたいんなら、協力するよ」
はあ!? わかるか! そんなの。
「……なら最初からそう言ってよ」
これ、絶対私が悪いわけじゃないのに、「最初からそう言ったじゃん」って笑われた。
「で、手伝うからには聞かせてほしいわけ。八八地が何を守ろうとしてるのか」
正直なところ、やっぱり言いたくない。
けれど、本当に莉子の助力を得られるならこれ以上頼もしいものもない。
「……笑わない?」
「今更何言ってんの? もう笑い疲れたって」
「それはそれで癪だ!」
「いいから、早く」
「うっ、うぅ……」
改めて口にすると恥ずかしいけれど、これはもう覚悟を決めるしかない。
「私は……好きな作品を守りたいの」
これが私の、一番深い部分。
傍から見れば変だって事もわかってる。アーテイストを人格破綻者なんて思っていても、私自身だって社会不適合者だ。
たったそれだけのために社会の規律を捻じ曲げて、自分の意思を優先させようとしてるのだから。
「……?」
「な、なんか言ってよ」
覚悟を決めて言ったのに、莉子は無言だった。
無言のまま少し困ったように、前髪を耳にかけなおす。
「あーえーっと、なんて言うか、恥ずかしがってるとこ悪いんだけど、意味がわかってない。作品って何? それって転生や転移を止めて守れるものなの?」
キョトンとしながらも、莉子はコーヒーに手を伸ばした。
「転生や転移させられるターゲットが、いわゆる『なろう小説』を書いてる人達なの。私が守りたいのは、私の好きな作品を書くことができるその『なろう作家』」
それを守るためなら命を懸けられるくらい、それらは私の原動力で、生きる意味の大部分を占めている。
「なろう小説ってアレのこと? たまに八八地が朗読してるやつ」
「うん」
きっと莉子も思ってる。
高校生にもなって子供っぽいとか、他にもっと大切にするべきものがあるだろって。
今はもう、だからどうしたって言い返せるけど、それでも、理解されないのはやっぱり寂しい。
こんな気持ちになるくらいなら、言いたくないって思ってしまうんだ。
「なんでまたそんなことになるわけ?」
「推測でしかないんだけど、きっと異世界へ送った時に生存率が高いからだって思ってる」
いわゆる『なろう小説』って、異世界転生や転移をメインの題材として扱ってる。それはつまり、転生や転移をした先で無事に生き抜くシミュレーションをしているということ。
異世界から戻ってくる人間が増えている現代でも、当然帰らぬ人となることだって稀じゃないんだ。
「じゃあ何? 昨日のハイジャック事件でもショッピングモールの占領テロでも、作家が関わってたっていうの?」
「ハイジャックの方は間違いない、『1025等分のわたあめ』の作者、みーとぱい先生が乗ってた」
「……だからってそこまでする? 普通?」
やっぱりだ。やっぱりみんな、そう思う。
わかってる、一般的な常識とか価値観から外れてるから社会不適合者なんだ。
いいんだよ、別に。わかってたことだから。
莉子の問いかけは、私がどんな言葉を持って返したところで、私の欲しい言葉なんて返って来ない。
それがわかってしまっているから、なにも返したくないんだ。
「……やっばいね」
例えるならそれは、平静な水面に滴った一滴の雫。
優しく音もなく、それでも確かに、心を震わせた。
「最っ高だよ! 八八地!!」
机を鳴らして立ち上がった莉子の表情は、どこまでも澄んだ快晴だった。
「ぇ?」
「そうそう、そうだよ、そうなんだよ! そうこなっくちゃ!」
わからない。莉子は嬉しいの?
いや、どうしてそこまで嬉しそうなの?
悪いことなんてきっとないのに、莉子のその姿に少なくない恐怖が沸いた。
「自身の利を追求しているから、不平等に人を助ける。一方で、自分にとって大事なものを守るためなら自分の命さえ差し出せる。さいっこうに利己的! エゴイスト!! しかもそれが音楽でもブイチューバー活動でもなく、あまつさえ他人が作った小説だなんて、マジ狂ってる……」
テーブルを避け、ゆっくりとした足取りで迫って来ながらも、口調は速い。
何かに取り憑かれたような狂気的な莉子の眼は、言葉にも理性的にも認め難い。けれど心奪われるほどに、美しい。
透き通った青の中に禍々しさを内包したサファイア。
「そのあざとい見た目の深層には、もうどうしたって消せやしない、病的なまでに腐敗した炎が滾ってる。もう一回言うよ? さいっこうに利己的、さいっこうに──」
見惚れてしまっていた。
目が離せなかった。
両頬を包む生温かい手のひら。
唇が触れてしまいそうなくらい近づけて覗き込まれる。
息も忘れていた。
きっと蝕まれていた。
私の視界一杯に映るその瞳は青い色をしているはずなのに。
「──私好みだ」
私が見惚れていたのはその、純粋に黒く輝く宝石のようなものだ。
「……ごめん。何をいってるのか、わからない」
甘い香りと吐く息で頭が鈍く、熱くなっていた。なんだかこう、ふわふわした気持ちにさせられる。
「わからないよ……ほんとうに」
やっとの思いで、言葉を紡いでいた。
「別にいいよ。わかってもらうつもりもないから」
あんなことをしておきながら、姿勢を戻した莉子はもう、いつも通りだった。
まるで何事もなかったかのように、席に戻ってコーヒーのおかわりを自分のコップに注いでいた。
「でも、無事正式にユニット組めたし、八八地の心の深い場所まで届いたから、今日は満足」
なんだろう、別に間違ってないし、やましいことでもないんだけど、その言い回しにどことない恥ずかしさを覚えた。
「わ、私も莉子のこと、ちょっと分かったから、その……よっ、良かったけど。さっき言ったこと忘れてないよね?」
熱の籠った顔を隠すように、視線を背けながら返していた。
「さっき言ったこと?」
「手伝ってくれるんでしょ? 私のしたいこと」
まだ、熱は残ってる。
「そのつもり。ちなみに次何する予定なのか、決まってるの?」
「う……うん、ひとまず一人、会いに行きたい人がいるの」
注ぎ込まれたこの熱は、季節を跨いでもしばらく私を侵食し続けるのだろう。
それくらい鮮明に、脳裏を焦がしたんだ。
「そ。じゃあ、詳しく話、聞いておこうかな」
莉子は徐にボトルコーヒーの蓋を回して、私のコップに勝手に注ぐ。
つまるところ、話はまだ終わらせないぞって事だろう。
コーヒー程度の冷たさと黒味なんかじゃ、いつまでだって冷めないし染められない。
「その人、作家ていうよりハッカーらしいんだけど——」
今日の配信は雑談の予定だから、準備なんてほとんどない。開始予定時間までに帰れればそれでいい。
それに私もまだ、莉子と話していたいし。
そんなこと直接口にするわけもなく、私はコップを持ち上げた。
結局その日、話し耽って配信を中止にしてしまったことは、リスナーには内緒のお話だ。