4話「B面会談」
「時間ね、海斗。始めましょう」
「ああ、そうしよう」
見渡す限りの蒼い草原に、ポツンと置かれた白い長テーブルと椅子6つ。
雲が悠々自適に流れる空の下、6人の影が集っていた。
「みんなよく来てくれた」
テーブルには人数分のティーカップとケーキスタンド。
心地よい風が吹き抜けて、海斗の白い前髪を揺らした。
「多忙な中全員が集まってくれたこと、まずは感謝し———」
「アーテイストの会談って言っても、ウチらB面でしょ? そういうのはいいからさー、さっさと本題、入らない?」
背もたれに組んだ腕を乗せながら、「早いとこ終わらせて帰りたいんだけどー」なんて嘯く。
黄色の髪の毛にはゆるーくカールがかかっていて、口調も表情もどこかけだるげだ。
「瑞希、今は海斗が話しているのだけれど。少しくらい身の程をわきまえられないものかしら?」
ティーカップからほんのわずかに唇が浮いた。
黒く細く、鋭い視線が瑞希を睨みつける。途端に瑞希の前に置かれていたコップが、カタカタと音を立て始めた。
「──構わないよ。怜夏」
「……」
海斗がなだめると同時に、ティーカップの飲み口に亀裂が走る。次の瞬間、怜夏の額めがけて破片が飛び散った。
目で捉えるにはあまりある速度だったが、その破片は怜夏の目の前で不自然に止まってみせる。
おおよそ物理学では説明できない現象だ。
「捻り潰されたいのかしら? 次はないわよ」
怜夏は何事もなかったように、ティーカップを受け皿に戻した。
飛んできたティーカップの破片は既に、粉々に砕けチリとなっていた。
「お互いさまねーそれ」
「二人とも、それくらいにしておこうか」
ようやく体が正面を向いて、「は-い」っと気だるげに返す瑞希とは正反対に、怜夏は無言のまま視線を芝生に向けた。
「ところで、瑞希。B面とはどういうことかな?」
「どういうことって、アーテイストって表向き10人でしょ? でもその内、秘密裏に活動しているウチ等はいわば裏面ってわけ」
ケーキスタンドからカップケーキを摘まむと、マフィンライナーをテーブルに放り投げた。
「ぜんっぜん意味わっかんないけど、組織名がアーテイストなんだし、裏はB面っしょ!」
「なるほど、それはいい」
ケーキにかぶりつく瑞希に微笑んでから、改めて仕切り直した。
「では改めて、アーテイストB面会談を始めるとしようか。待ちわびているメンバーもいるようだからね」
「本題は昨日の案件やろ?」
男は一人、和装だった。自前の湯呑を持ち寄り緑茶をしばく彼の背後には、顔も服装も瓜二つな男がもう一人。
茶の席をはずれ、芝で刀を研いでいるにも関わらず、誰一人と気に留める者はいない。
「主はどうみとる?」
「実はこの会議の前、怜夏から莉子にコンタクトを取ってもらったんだ。莉子の話では、身に覚えがないらしい。以上のことを踏まえて若葉、先に君の意見を聞いてもいいかい?」
男は和装束の懐から小包を一つ取り出してテーブルに乗せた。
「今回の件、川上の娘が犯人と考えるには不可思議な点が多い。例えばこれよ」
開かれた小包から、丸い形状の金属製品が現れる。白色のそれは一部熱で溶けたような跡がついていた。
「こりゃ、女子の厠から見つかった火災報知器や。当時現場はボヤ騒ぎがあったらしいが、現に燃えとったんはこいつだけやった。これを見るに、今回事を起こした輩は、屋内の人間を避難させるちゅー目的で敢えてボヤを起こしたんやないかと、ワイは思う。もし万が一川上の娘が魔力回路を取り戻せたちゅーんなら、こんな回りくどいことはせんやろ?」
「俺も若葉の意見に賛成だ」
声は茶席の外から。
椅子の背もたれに掛けられた白いシャツの奥、上半身裸の男が両手を頭の後ろで組み、屈伸運動に勤しみながら口を挟んだ。
「今朝現場に立ち寄ってサイコメトリー班から話を聞いたんだが、事件発生から時間が立ちすぎているようでな、魔力の揺らぎを検出できなかったらしい。他の調査も行っているらしいが、当日の利用人数が多過ぎてどれが犯人か特定できないそうだ」
一区切りつくと、テーブルまで歩み寄って紅茶を一口で飲み切った。
「それと、防犯カメラには犯人らしき映像が一切残っていなかったらしい。犯行の一部始終が防犯カメラの死角で行われているのも、計画的な犯行だと物語っているように思える。やはり新たなステージS候補が生まれた可能性が高いと感じるが?」
「そう思わせるための罠なんじゃない?」
カンっと音を立てて飲み口の欠けたカップを受け皿に置いた瑞希は、足を組み替える。
「罠? どういうことや?」
「アーティストにB面があることは、ここにいるウチらしか知らないでしょ? だから莉子っちがウチらの仲間である前提で話を進めてるよねー。それがそもそも危なくない? ってこと」
紅茶に砂糖を入れ、かき混ぜながら瑞希は続ける。
「仮に、今回の件が莉子っちによって阻止されていたとして、あの日あの時あの場所にたまたま莉子っちがいたなんてことあると思う? それこそ出来すぎた話じゃない?」
「そうだとして瑞希、何が言いたいんや?」
「つまりさー、なんていうか──」
「川上さんが最初から全部知っていたとするなら、ありえない話じゃない」
「そうそれ!」
向かって正面に指を差しながら、「さすが楓、わかってるぅ!」っと。
5人全員の視線を集めてしまった楓は、ため息を一つ吐いてから読んでいた本を静かに閉じた。
「何かしらの方法で私達の存在を知っていたとするなら、怜夏さんから連絡を受けても、白を切ると思う。それに自分が阻止したと思わせないために工作を施したとすれば、一番の難題だった部分、どうやって機体を静止させたのかってところにも説明がつく」
明らかに人のそれではない耳と尻尾が、意思を持っているかのように動いていた。
「そうそう! それにいくらトイレの中とはいえ、目撃者も作らず火災報知器を起動させられるってだけで、熱系あるいは念導系の能力者ってとこでしょ? そんでもってあの機体を止められた時点で念導系の線が強い。莉子っちがどうやって情報を得たのかはわからないけど、事実なら大問題でしょ?」
「そんなん言うなら、もっと早い段階でハイジャックそのものを阻止していたと思わんか? 飛行機の飛ぶ高さは地上10キロ程度。そんなん奴の領域内やないかい。ハイジャックが起こるちゅーことがわかってんなら、奴の領域で起こる前に止められたんや。自分の犯行かどうか隠したいちゅーなら、そうならんか?」
「それは、そうかもしれないけど……」
返せる言葉がなくなって、瑞希が俯いたところで場が静まった。
海斗が切り出したのはそんな時。
「ありがとう。みんなの意見が聞けて僕は満足したよ」
「というと、結論はでたんか?」
「結論というより、やることが明確になった。先の議論で莉子か否かの断言ができない以上、両方警戒すればいい。ここは僕らの国で、割ける資源もコストも僕らの方が圧倒的に多い。地の利は僕らにあるんだ」
紅茶に一度口をつけてから、カップを置くことなく続ける。
「ひとまず、莉子に監視をつけよう。彼女が魔力回路を取り戻しているのであれば、いつかは能力を使う時が来るはずだ。そのためにも楓、まずは莉子の捜索をお願いしたい」
「アナタがそう、望むのなら」
「ああ。頼んだよ。住所は雇用契約書に記載があるはずだけど、莉子のことだ。怜夏から連絡を受けている時点で家を出払っている可能性もある。行き詰るようなら僕に相談しに来て」
「うん、わかった」
それだけ聞くと、楓はまた読みかけの本を開いた。
「同時に、瑞希には能力者のリストを再度洗いなおしてほしい。莉子の魔力回路を補完できそうな能力があれば、再度ピックアップして莉子との接触を確認したい。フィールドワークは若葉の分身に任せるといい」
「りょーかーい」
「御意」
「それと怜夏、瑞希の話にも出たように莉子が絡んでいる場合、情報を流した何者かがいると思われる。もちろんそれはここにいるメンバーではなく、実働部隊として操っている捨駒か、あるいはネットの扱いに秀でた何者かのはずだ」
「ええ。承知しているわ」
「第三の考えとして、莉子が偶然ハイジャックの現場に居合わせ、現地で知り合った誰かと協力し事を鎮めていた場合、情報の流出もない可能性がある。それでも莉子が飛行機を止めた時点で、飛行機の爆発原因が僕らだとわかってしまう。僕の考えとしては、新たなステージS候補が生まれる可能性より、彼女が何かしらの方法で魔力回路を補完した可能性の方が高いと思っている。ステージSとはいえ、あの速さの飛行機を損傷なく止められる能力なんて珍しいからね。だから情報漏洩に関しておおよそ結論が出た場合、楓のフォローに回ってあげて」
「相変わらず用心深いのね、でも承ったわ」
風が勢いを増してきた。
靡いた前髪を耳に掛けなおして、怜夏は柔らかい笑顔を向ける。
「逆に新たなステージS候補者についてだけれど、原則ステージSに到達した者は、所属の可否は別として、アーティストへ届け出る義務がある。この仕組みを知っている上で正体を隠している以上、我々に敵意を持っている可能性の方が高いと思われる。僕の方で各異世界の守護者と連絡を取ってみよう。ステージSになりえる人材監視に抜けがあった可能性もあるし、あるいは僕らが管理できていない異世界から来た可能性もある。仮称として人物Sとするが、その捜索全般は蓮に任せたい」
「ああ」
「人物Sに関しては個人か複数人かも定かじゃない。ひとまず捜索だけに専念し、戦闘は可能な限り避けるように。他の人員が必要なら協力を仰いでもらって構わないし、戦闘がおこる可能性があるなら僕が出よう」
「確認だが、今回の件、橘涼乃は絡んでないんだな? 七席とはいえあの女、っというよりあの女とその取り巻きなら、諸々辻褄が合う」
「ないわ。この件において一番の障害は彼女だもの、適当に別の任務を割り振ってあったわ。当日も現地にて本人が確認されている、間違いないわ」
「そういう事なら、心得た」
椅子に掛けていたシャツを手に取り、「なら、あとは自由に動かせてもらうぞ?」とテーブルから遠ざかるように歩き始めた。どこまでも続く芝生を。
その背中を見送って、海斗は腕を組む。
「伝えたかったことはこれで全部かなー。あぁ、そうだ。昨日で回収しきれなかったノルマ分をまた別に回収する必要があるんだった。奥尻島の件で手に入ったあれって、今どこにいるのかな?」
「ウチのところで寝かせてるけど?」
「ちょうどいい。彼に動いてもらおう。莉子に接触させれば、審議はすぐにはっきりするだろうし……」
テーブルに落ちる影。空には次第に雲がかかり、緩やかな朝のひと時が終わりを告げようとしている。
「相変わらずえげつない事思いつくなぁ、ほんと、味方でよかったわ」
言い終えてから、瑞希はカップを仰ぐ。
空になったカップの向こうでは、怜夏が海斗の表情を伺っていた。
「海斗?」
「あ、いや、なんでもないよ。今の話、他の使い道がありそうな気がしただけさ。ひとまず日時や場所、諸々の根回しとセッティングだね。それは僕の方で指揮を取るよ。ってわけだから後のことはみんな、よろしく頼んだよ?」
雲の隙間に光が差した。
瞬間、そこにはもう人一人の影も伸びてはいなかった。