2話「翌日」
鐘が鳴った。
束の間の自由を告げる鐘だ。
空は青く澄んでいるけれど、ずっと向こう側は薄暗い。
「……雨、降るのかな」
こんなにも澄み切った青空なのに、どこかざわめき出しそうな危うさをはらんでる。まるでそう、長期休暇目前の、ホームルームの途中みたいだ。
「ゴールデンウィーク中とはいえ、魔法の扱いには十分注意するんだぞ。じゃあまた、連休明けになっ!」
私の独り言なんてこの浮足立った教室で誰に届くわけもなく、先生の一言で途端に降り出した。蝉時雨にも似た、ざわめきが。
「おーい、八千代ー、アリシアー。帰ろーぜ」
木々に止まっていた蝉達が一斉に飛び立つかのように、みんな席を立って自由を謳歌し始める。
カバンに教科書をしまいだす子や、足早に教室を出て部活に向かう子、仲の良い友達に声をかける子。昨日、世間が事件で沸いたからといって、どこにでもある日常の一幕は、やっぱりどこにでもあって、御多分に洩れず私の前にも現れた。
「……修斗さん! 八千代さん!」
「お、おう。アリシア、やけに気合いが入ってるけど、どうかしたのか?」
こんな私にも、実は二人友達がいたりする。
すっごく可愛い容姿をしてるのに、しゃべり方が男勝りな茶髪と、見た目通り高貴で見た目通り日本人ではない金縦ロールだ。
「ゴールデンウィークですよ!? ゴールデンウィーク! 5連休です!! せっかくのお休みを少しも無駄にはできません、さっそくこれから予定を組みませんか?」
「いいな、それ!」
「ぇ……このあと?」
「あ? なんだよ、八千代? なんか予定でもあんのか?」
「そ、それは……」
それは、昨日の夜のこと。
配信が無事に終わって、一息つくと同時に1件LINEが飛んできた。
相手はそう、かの有名な人物、川上莉子を自称するアカウントからで、内容は学校が終わり次第彼女の自宅に集合という旨とその住所だけ。なんとも一方的なものだった。
「なんだ、その反応?」
「ちょ……ちょっとね」
言えるわけがない、今日はこの後川上莉子と待ち合わせをしているなんて。
そのきっかけが、今朝御茶の間を騒がせた新テレビ塔ハイジャック事件だなんて。
因むと、あの事件に遭遇していたみーとぱい先生は軽傷もなかったと、ツイートがあった。相変わらずリアルタイムのツイートだったけど、まぁよかった。
「あぁ、もしかして恋人とか?」
「ちが──」
「そうなのですか!? ではお休みの間、あまりお会いできないのでしょうか? 喜ばしいことのはずなのに……なぜでしょう、この寂しさは」
「ち、ちがうって! ちゃんと今度説明するから!」
ぱっと口を吐いたけれど、何をどうやって言ったものか、全然思いついてなどいなかった。
それなのに、涙を滲ませながら「いつ教えていただけますか?」っと。
「あー、えーっと……」
「教えていただけないのでしょうか?」
ずるい。同じ種族か疑ってしまうほど可愛い。
「あー、明日! 明日なら……大丈夫だと思う……たぶん」
「明日ですか! では明日の午後、いつものお店に!」
「う、うん、いいよ」
そうして、一時的に事なきを得た私は、3人で帰路についた。私は駅までだけど。
教室を出て、廊下を歩き、階段を2階分下がって、靴を履き替える。
なんだかいつも以上に校内が騒がしい気がしたけれど、それもきっと連休のせい。
「そうなんです、明後日は里帰りすることになってまして」
「え? まじ!? アリシアの実家? 行ってみてぇなー」
「ニッポンほど豊かではありませんが、とてもよいところですよ、エリンデル・ワイズは」
「異世界ってそんな簡単に帰れるものなんだね」
「召喚魔法を使うので簡単ではありませんが、すぐですね。2秒程です」
「学校から帰るより速い!」
なんてたわいもない話しをしながら、校門に向かってた。そんな時。
「なにあれ? すっげぇー人」
学校の敷地内に、小さくはない人集りができているのを見つけた。
「なんだろうね、なんかのイベント?」
人だかりを横目に歩いている間にも、続々と人が集まってくる。
まるでダイソン。いや、重力を操作する異能でも働いているかのような吸引力。
「あの! サイン貰っていいですか!?」
「こっち向いてー!」
「キャーやばい! めちゃくちゃキレイ!」
「今俺、手振られたんだけど!」
聞こえてくる感じ、有名人でも来てるのかな。
「どなたかお越しになられているのでしょうか?」
「ゴールデンウィーク前日にか? そんな話聞いたことないって」
「でもなんか、そんな感じだねー。アリシアはともかく、修斗は興味ないの?」
「芸能人なら興味あるけどさー、こんなところ来るか?」
「確かにね」
異能力学科のある学校なんて、今どき珍しくもなんともない。有名な高校ならともかく、ウチには──
「あっ! 八八地!」
時が止まった。
そう表現して差し支えない。
だって、これだけの大人数が一瞬にして静まり、駆け寄ってきた人も携帯を向けていた人もその場に止まり、あまつさえ無関係だと思い込んでいた私の足さえも、止めてしまったのだから。
◆◇◆◇
昨日八八地と別れた後からの記憶が、やけにふわふわしている。どうせ、浮かれた気分のせい。
今だって、スマホが机にガタガタと打ちつけられる音で目が覚めた。
「……やば。寝ちゃってたか」
でもメロディーを作る作業も、歌詞を書く作業もいつもよりずっと捗ったのは覚えてる。
机に乗っけてた体を起こして、伸ばす。
携帯は今も大音量で鳴ってて、いい加減うざったくなってきた。
アラームなんて掛けてないから着信だろうな。
「怜夏?」
何の用だろう。電話に出る前から既にめんどくさい。
かと言って、元同僚からの電話を無視するわけにもいかないし、緑のマークを横に引っ張った。
「もしもし? 久しぶりね、宮本怜夏よ」
「久しぶり」
寝起きで声が少し出にくい。
伶夏とはいつ以来だっけ。アーティストを抜けてからはまったくだったし、4ヶ月ちょっとか。
「貴方、もしかして寝起き? もう10時過ぎてるのよ?」
「やる事ないし、別にいいでしょ」
「だからアーティストに席だけでも置いておかないかって聞いたはずなのだけれど?」
「いいって……それより、何の用?」
「憶えくらいないかしら? 昨日|札幌≪そっち≫で起こったハイジャック事件のことなのだけれど」
あー、そうなるのか。
そりゃそうだわ、|異能力テロ対策精鋭組織≪アーティスト≫なんだから。
「……何それ」
「ニュース見てないのね」
「もう関係ないし」
「無くても見た方がいいわよ? というよりアレ、貴方が解決したものかと思って連絡したのだけれど?」
話を聞き流しながら立ち上がって、リモコンからテレビをつけた。
ちょうど、ニュース番組でそれが扱われている。しかも全国ネットで、「新たなステージS誕生か?」なんて見出しまでつけて。
「これのこと? 私、魔力回路使えないんだけど」
スマホで誰かが撮ったのか、映像もついてる。
飛行機が空中で静止しているだけの映像。撮影者の声とか手ブレがないと画像にしか見えない。
「まぁ、そうなるわよね。けれど飛行中の機体を損傷させることなくその場に留めて、空港にまで運べる能力なんて、貴方以外知らないわ」
「涼乃じゃないの? 私が退席してから札幌の担当って涼乃なんでしょ?」
息を吐くように嘘をつく。
この程度で痛むような罪悪感なら、とうの昔に亡くなってるし。
「涼乃はその日、別の任務でそっちにはいなかったのよ」
「ふーん、でももう一人いるでしょ? 伶夏の恋人が」
いつの間にか画面が切り替わっていて、今度は空港で飛行機が燃え上がっている映像が流れている。
負傷者は3名、重症者なし。アーティストは現在道警と共同で現場の捜査にあたっているだって。
「こ、恋人じゃないわよ……まだ」
「誰とは言ってないんだけどねー」
「茶化さないで。彼なら東京から動いてないそうよ」
伶夏の想い人は、アーティストの第一席。この世界の最大戦力と目される男で、神宮司海斗≪じんぐうじかいと≫と名乗っている。
「でしょうね」
「本当に貴方じゃないのよね?」
「本当だとして、隠す必要ある?」
そもそも探すべきは、ハイジャックを阻止した人物じゃなくて、起こした人物じゃないの。
まっ、お互いそこはわかってるわけだけど。
「あっ、でも手当出るんだっけ? やっぱり私がやったことにして」
「バカ言わないの、そう言えば今無職だものね」
「おかげさまで」
やばい、あくびでた。
「まあいいわ、もし今後この件で分かったことがあったら連絡ちょうだい」
「はいはい」
最後に、「じゃあまた」っと言い残してから電話が切れた。
私としては、またの機会は作りたくないんだけどね。
「はぁーあ。めんどくさ」
今話した感じ、アーティストはまだこの件に私が関与していたという確たる証拠を掴めていない。
でも、その線の捜査も行っている。
当然か、海斗ならきっと気がついているはずだから。
私の能力であれば、あの爆発がアーティストによる犯行だと確定できてしまうことに。
「おそらく次の手は、何かしらの方法で私に異能を使わせること、かな」
となればまずは、八八地に連絡しないと。
リモコンの代わりに携帯を手に取って気がつく。
「……LINEは、まずいか」
ネットや電話を介したコンタクトはログが残ってしまう。怜夏に疑われてる時点で、そこから掴まれる可能性が高い。
仕方ない、直接出向くか。
「八八地、驚くだろうなー」
その顔を想像するだけで思わず笑いが込み上げてくる。
早速部屋着を脱ぎ捨てて、諸々の準備に取り掛かかった。