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シャルロッテ・フェルベークは怒っていた。ここまで怒りを覚えたのは人生初かもしれない。
血の気が多い一族として名を馳せているけれど、その中でも群を抜いて血の気が多いと言われているのがシャルロッテだ。
けれど、今回ばかりはそんな一族の血は関係ないとシャルロッテは考える。だってそうだろう。誰だって、自分が大切に思っている相手が傷付けられ、その元凶がのこのこと目の前に現れ、それだけでなくさらには厚顔無恥もいいところに自分達の要望だけを言ってくるのだ。これで怒るなと言うのが無理な話だ。
それでもシャルロッテはどうにか耐える。若干口の中に鉄錆の味が広がっているのはけして頬の肉を噛み締めて怒りに耐えているからではない、と思いたい。
「エマ」
シャルロッテの眉間がピクリと反応する。気安く彼女の名前を呼ばないでほしい。エマはシャルロッテの家庭教師であり、そしてかつてはシャルロッテの家――国内どころか国外でも人気のレース工房、フェルベーク社が出入りしていた男爵家の令嬢だった。その男爵家が没落して、ほぼほぼ身売り同然で良くない噂しか聞かない伯爵家の後妻に迎えられようとしている時に、その身柄をシャルロッテが横から攫っていった。
「手切れ金代わりにくれてやるわ! 文句があるならこの倍額を持ってくることね!!」
フェルベークのレースと言えば王族が式典に着るドレスに使われる程の一品だ。貴族の令嬢達からはデビュタントのドレス、そして婚礼用のドレスにフェルベークのレースを使うのが憧れともなっている。国外でも非常に人気が高く、国の最大の輸出品と言っても過言ではない。
それ程の人気を誇るものだからしてフェルベーク家の財は多い。さらには、投資していた鉱山から希少価値の高い石が発掘された事からより一層富は膨れあがった。ついには侯爵家にも匹敵するとまで言われるフェルベーク家の財産は、特に無駄遣いをされることなく代々受け継がれ、しかしここぞと言う時には威力を発揮する。エマを連れ去る時しかり、そして今目の前で繰り広げられている事態しかり。
「エマ、どうか一緒に来て欲しい」
だから気安く呼ぶな、とシャルロッテが怒りと侮蔑の眼差しを向ける先にいるのは一人の青年だ。シャルロッテより年上の、エマとそう変わらないくらいだろう年代に見える。
緩やかに一つに纏められた銀色の髪が、昼の日差しを受けてキラキラと輝いている。涼やかな目元と、同じく澄んだ水色の瞳が印象的な、どう見たって美形と評されるしかない造形の持ち主。声音も穏やかで、突然押しかけてきた非礼を詫びる礼節もある。おそらくは、確実に格上――それも、かなりの身分であろうだろうに。
およそ好感しか持ちそうにない相手であるが、それらを吹き飛ばす勢いの無礼を働いているのだからシャルロッテの怒りは収まらない。
この男が、クラーク・ホイルと名乗った男こそが、エマを傷付け悲しませていた元凶であり、シャルロッテがこの一年と少し、血眼になって探していた憎き存在だったのだ――
エマは静かに頭を横に振る。すでに何度も繰り返されているやり取りだ。それでもクラークはしつこく同じ事を口にするので一向に話は先に進まない。
苛々としたままシャルロッテは視線を軽く動かした。クラークの座るソファの後ろに、護衛としてもう一人の青年が立っている。テオドールと名乗ったその人物は、短く纏めた黒髪をしているがそれ以外はクラークと同じく美形であった。どことなく似ていると思ったのは出会ってしばらくの間まで。クラークがエマの災いの元凶だと分かり、それによりシャルロッテが怒りの波動を露わにした途端愉快そうに肩を揺らしたその瞬間、シャルロッテの中で彼も敵だと認定された。元よりクラークの従者なのだから敵側ではあったが、クラークの理由関係なくこの男は敵だと、シャルロッテは本能的にそう思ったのだ。
苛々と見ていたのがまずかったのか、その護衛の青年と視線がぶつかる。僅かに口の端を上げるその表情の憎々しさと言ったら他にないほどで。思わず舌打ちをしたい衝動にかられるがシャルロッテはどうにかそれに耐えた。
「お願いだエマ、これ以上君をこんな所に置いておくなんて無理だ」
「――は?」
シャルロッテは絶対に口は挟まないつもりであった。少なくとも、当事者同士の、エマの、納得がいくまではどんなに苛立っても沈黙を貫くつもりでいた。が、やはりというかなんというか。血の気が多い一族の、さらには歴代随一とまで言われるシャルロッテにとって、今の発言は到底我慢できるものではない。
シャルロッテの地を這う様な低い声に、エマは大きく肩を揺らして振り返った。ずっと部屋の片隅で様子を見守っていた老齢の執事も「お嬢様」と慌てて制止の声を掛ける。
突然の声にポカンとした顔をしているのは諸悪の根源であるクラークだけで、護衛のテオドールはさらに楽しそうな様子を見せる。しかし最早その表情をシャルロッテは認識していない。全ての矛先はクラークに向けられている。
そして怒り心頭、怒髪天を衝いたシャルロッテは声も高らかに言い放つ。
「自分のシモの世話もろくにできなかったくせに、生まれたばかりの赤子とその母親の面倒を見られると思ってんじゃないわよ!!」