ウィスキー、思い出、そして一人の時間
他の作品と比べて一話が少し長目かもしれません、オッサンがソロキャンする話です。
短編で完結しても良かったんですが、まだ書きたいネタが有るので連載します。
「曽根課長、テント持ってるんですか?」
「ああ、昔まだ女房が生きてる頃にね、息子を連れてよくキャンプをしてたんだよ」
ここは会社の社員食堂、たまたま対面に座った部下との何気ない会話だった、ちなみに妻はもう11年前に亡くなっている。
ガンだった。年が若かったこともあり発見されたときには手遅れだった。当時小学生だった息子も今では高校生だ、当然親よりも友達を優先するようになり、息子とキャンプに行かなくなってかなりの年月が経過している。
「自分はソロキャン派なんですけど、良いっすよ、ソロキャン」
正面に座った20代の部下である田代基樹はそう言いながら、給食の弁当を頬張った。するとその近くを通りかかった事務員の真鍋佳織が立ち止まり「流行ってるみたいですね、ソロキャン、私の同級生も最近初めて・・・あ、ここいいですか?」と会話に参加しながら隣に座って来る。
「ソロキャン?」
「ソロキャンプ、一人でキャンプに行く事っスよ」
「ソロキャンプねぇ・・・」
私は曽根圭介、今年で55歳になる印刷会社の中間管理職だ、私の若い頃は一人でキャンプに行くなどと言う人間は大抵変わり者だったし、そのほとんどがワンゲル部出身の「いかにも」と言うようなむさ苦しい山男だった、しかし最近は少し事情が違うようだ。
田代は山男というよりはどちらかと言うとオタクっぽく見える線の細い男だ、なので彼が一人でキャンプをするという話を聞いてかなり以外だと感じた、そして真鍋さんの同級生に至っては女性でソロキャンプをするという。
「若い女の子が一人でキャンプなんて危なくないのかい?」
真鍋さんの話を聞いて私は思わずそんな感想を漏らす、私の年代の人間からすれば女性が一人でキャンプをするなんて話は聞いたことがない。
「もうアラサーですから、若くないですよぅ」
真鍋さんはそう言って照れたように笑ったが、私の年からすれば30歳は若い女の子としか思えない。
社員食堂の不味い弁当をつつきながら二人の会話を聞いていると、最近は芸能人が動画配信をしたりキャンプをテーマにしたアニメの影響もあって、一人でキャンプをするという「ソロキャン」が若い人を中心にかなりブームになっているという。
「いや、本当に良いんですよソロキャン、課長も道具が揃ってるならお金もたいしてかかんないし一回やってみると良いですよ、マジでハマりますから」
「ふ~ん・・ソロキャンねぇ」
田代はその後ソロキャンがいかに気楽でリラックスできるかということを熱弁し、それを聞いている真鍋さんも周りの社員もその話を奇妙だとは感じていないようだった。
どうやらその「ソロキャン」というのは、思った以上に市民権を得ているらしい。
「まあそうだな、機会があったら検討してみるよ」
「是非、マジで楽しいっすから」
時計を確認して昼休みが残り少なくなっていることを確認した私はそんな言葉を田代に返して席を立つ、今は10月の始め、夜は少し冷えるかもしれないが、確かにアウトドアを楽しむには良い季節だった。
_____________________
_____________
「翼、ソロキャンって知ってるか?」
「ソロキャン? ああ、ソロキャンプね、最近流行ってるらしいけど・・それがどうかした?」
夕飯の時、息子の翼に話を振って見るとあっさりとそんな言葉が返ってきた。
「あ、いや、今日会社で昼休みにそんな話になってな、昔は母さんと一緒によくキャンプに行っただろう? ギアがあるならやってみたらどうですかってな」
「良いんじゃない? お父さんって休みの日、大体家事してるかゴロゴロしてるかのどっちかだし、そんなんじゃ定年してからボケるよ? 俺は一人でも平気だし」
「ん・・・うむ」
やはり「また一緒に行こうよ!」とはならないか・・・
妻が亡くなってからずっと父子家庭だった事もあり翼も家の事は大体できる、留守の間の事は心配していない。
まあ翼も高校生だ、休みの日に親が家に居ない方が気が楽か、気持ちは分かる、私も昔はそうだった。
若干の寂しさは感じるが、大きくなっても親にベッタリではソレはソレで心配だ、翼も成長しているという事だろう、親離れの時期が来ているのだ、私の方が子離れ出来ていないのかもしれない。
「そうか・・・それじゃ、久しぶりにキャンプ道具でも出してみるかなぁ・・・」
私の呟きに特に反応も見せず、翼は素っ気なく「ごちそうさま」と言うと、食器を纏めて流しに浸けて自分の部屋に戻って行く、私は自分と二人分の食器を洗いながら「さてキャンプ道具はどこに仕舞ったっけな?」とのんびりと考えていた。
________________________
_________________
そうやってあらためて気付かされて見ると、「アウトドアが流行っていると言うのは本当なのだな」と実感させられることが度々あった。
立ち寄ったホームセンターや100均ショップで特設コーナーが設けられていたり、仕事で使う耐油手袋を買いに行ったワークショップですらアウトドア用品を取り扱い始めていた。
書店でもアウトドア関連の書籍や雑誌が大きくスペースを取っていて、そう言った雑誌の表紙にも「ソロキャン」の文字が躍っている。私はその内の一冊を手に取ってパラパラとめくってみた、10年前に比べるとキャンプギアの種類や性能も大きく変わっているようだ、私はその中で初心者向けのソロキャンのススメの本をレジに持っていった。
「やっぱりテントはファミリー向けのだと大きすぎるか・・・」
買って来たハウツー本を捲りながらそう独り言ちる、私はアウトドアに関しては初心者と言う訳では無いがソロキャンについては初心者だ、アウトドアを舐めてはいけない。
と言う事で、とりあえす初心者向けのハウツー本を買ってみたのだが、やり方自体はファミリーキャンプの規模をそのまま小さくすれば大丈夫そうだった、ただやはり今持っているテントやテーブルは私と妻の亜希、翼、それと二人目が生まれたらその子を入れた3~4人で使う事を想定して買った物の為、一人で使うには大きすぎる気がした。
初めて家族でキャンプに行った時の事を思い出して苦笑いをする。
自信満々で一人でテントを立てようとしたけど思ったよりも難しくて、説明書を見ながら妻に手伝って貰いテントが完成するまで2時間以上かかった。
この本によれば、ソロキャン向きの小さなテントならば一人でも慣れれば15分程度で設営可能らしい。
元々アウトドアは好きなため、こうしたキャンプギアの載っている本を読んでいるとそれだけでワクワクしてくる。
次の日、私は昔よく行っていたアウトドアショップに久しぶりに行ってみる事にした。
_________________
およそ10年ぶりに来たアウトドアショップは一見あまり変わっていない、店舗の入り口に積み上げられた薪の束もそのままだ、しかし店内には以前無かったソロキャンの特設コーナーが新しく出来ていた。
ちょうどいいので覗いて見ると、ソロキャンに適したテントやギアの他、何と一人で焚火をするのに丁度いいサイズにカットされた薪まで置いてある、まさに至れり尽くせり、以前の「アウトドアとは不便を楽しむものだ」と言ったイメージはあまりない、これなら初心者も始めやすいだろう。
一通りソロキャンプコーナーを見て回り、テントの値段を確認してみると、高級なメーカーの物でなければ2万円ほどで買えるみたいだった、まあ一応予算内と言えるだろう。
「う~ん、完全な一人用テントは何だか棺桶みたいで嫌だなぁ・・・買うならこの辺りかな?」
私は俗にツーリングドームと言われる2~3人用のテントの前で立ち止まる。
これ位の広さがあった方が中に荷物や小さなテーブルなんかも入れられるし良いのではないだろうか?広さは多分二畳ほど、「秘密基地」というのにぴったりのサイズだ。
私は夜、テント内でランタンを灯して過ごすのを想像し、年甲斐もなくワクワクした気分になった。
「少年と男の違いは使う金額の大小だけ」なんて揶揄されたりもするが、あながち間違いでも無いと思う、こんないい年をした私だってそうなのだ。
「よし、買うか!」
私は思い切ってソロキャン用のテントを購入する事に決め、他に必要なものはないかと細々したキャンプギアを見て回る、椅子も焚火台も大抵のものは以前使っていたもので間に合いそうだったのだが、私の目がショウウィンドウに並んだ一つの商品に吸い寄せられる。
それはシンプルな銀色のスキットルボトルだった、今はほとんど飲まなくなったが私は酒が好きだ、昔はそれこそウイスキーやジンをストレートで飲んだりしていた・・・飲むのを止めたのは確か翼が生まれてからだ、妻の亜希に「お酒臭い息のまま翼を抱かないで」と言われて飲むのを止めたのだ。
必要か必要でないかと言われれば無くても問題の無いアイテムだ、しかしその時私はそのスキットルが妙に気になって仕方が無かった。
値段は3980円、安くは無いが決してそれほど高いものでもない。
「あの、すいません」
気付いたら私は店員に声を掛け、ショウウィンドウの扉を開けてもらっていた。
「買ってしまった・・・」
テントとスキットルその他小物を数点、トータルで会計は3万円を少し超えた。
亜希を亡くしてからは仕事と子育てばかりで趣味にこれほどお金を使ったのは久しぶりだった。
「買ったからには使わないと勿体ないな」
私は誰に言い訳するでもなくそう呟く、この時点で私の心の中では一度ソロキャンプに行ってみようと、ほとんど心が決まっていた。
_____________________
「凄いな・・・ここも一杯か・・・」
まさかここまでとは・・・・正直キャンプブームと言うものを舐めていた、昔家族で行ったような近場のキャンプ場は3か月先まで予約でいっぱいだ。
私は自宅のパソコンのキャンプ場検索サイトの情報をスクロールさせ、次のキャンプ場の予約状況を確認する。
やはり概ね近場で子供を連れて行くのに適しているキャンプ場は予約でいっぱいで、予約が空いている様な場所は比較的山奥の細い道路を長時間走らなければならない様な場所に限られた。
その内の一つに目が留まる、そのキャンプ場には子供が喜ぶようなものが何も無かった、小川がある訳でも無くアスレチックや温泉も無い、風景が綺麗な訳でもない、そこを利用した人の口コミにも、「遠すぎる」「道が狭い」等の文字が並ぶ、やや高評価な意見では「自然が豊か」「星が綺麗」などだろうか?
私はそんな口コミの中にただ一言「何も無い、それがいい」という書き込みを見つけた。
他の事は一切書かれていない、そのたった9文字の口コミに何故か私は妙に魅かれた。
「少し遠いけどトイレや炊事棟なんかは綺麗みたいだし・・・」
今回は子供を連れている訳でも無いし、むしろこういう何もない場所でのんびりするのも良いかも知れない。
私はマウスを操作し、次の土日に予約を入れた。
______________
「なあ翼、父さん明日からの土日でソロキャンプに行ってこようと思うんだけど良いか?」
「へー、この前言ってた事本気だったんだ、いいじゃん、行ってきなよ」
夕食の時、一人で遊びに行く事に若干の後ろめたさを感じながらそう切り出してみたが翼の返事はあっさりしたものだった。
「ああ、飯代は置いて行くからスマンが買うなる作るなりして頼むな」
「りょーかーい~」
翌日私は翼に土日の食事代として五千円を渡し、初めてのソロキャンプに出発した。
キャンプ場までの距離はカーナビでおよそ80kmほど、チェックインは13時から、買い物時間も含めて3時間ほどかかると予想して、少し早めの9時に家を出る。
途中のスーパーやコンビニで買った食料品をクラ―ボックスに詰め込み、キャンプ場を目指して車を走らせる。
県内でも一番大きい一級河川沿いの道をさかのぼる様にのんびりと走って行く。対向車のほとんどいない田舎道、フラットにした後部座席に積み上げられたキャンプ道具がガタゴトと音を立てる、やがてかなり上流まで来ると徐々に道幅は細くなり、川沿いから山に入ると片側一車線どころか車同士がすれ違う事すら困難な場所さえ増えてきた。
「コレは・・・・確かに凄い山道だな・・」
私は対向車が来ないように祈りながら慎重にハンドルを握る。その祈りが通じたのか対向車が来て立ち往生する事も無く、何とかキャンプ場に着いたのは14時を回った頃だった。
携帯の電波も届かない山奥、車幅ギリギリの細い農道を入った先の少し開けた場所に有るそのキャンプ場の名前は「月の森キャンプ場」と言った。
「すいません、予約をしていた曽根ですが」
急坂の途中に示された停車位置に車を止め、こぢんまりとしたログハウス風の管理棟に出向くと、黒縁眼鏡にニット帽の私より少し年下とおぼしき優し気な男性が対応に出てきた、恐らく彼が管理人なのだろう。
「はいはい、曽根さんですねー、お一人でよろしいですか?」
「はい」
一人かと質問されなんだか気恥ずかしい気分になるが、管理人の態度は平静そのものだった、それを見てソロキャンは珍しいものでは無いのだと改めて実感する。
自分のサイトは47番サイトらしい、料金を払い、改めてキャンプ場のルールや利用法などを説明された後、私は再び車に乗り込んで地図で説明された自分のサイトに向かった。
管理棟に近い場所の広いサイトには、こんな山奥であるにもかかわらず既に家族連れが数組テントの設営を始めていて、その間を縫うようにその奥に進む。
辿り着いた47番サイトは他のグループからやや離れた場所のキャンプ所の隅の方にあった。
トイレや炊事棟からは少し遠いが周りに人が少なく、やや離れた場所で設営している人達もソロ、または二人程度の少人数のようだ、管理人の彼の気遣いなのかもしれない。
「さてと・・・」
私はサイトのすぐ隣の駐車スペースに車を止めると、ハッチバックのドアを開けて設営を始める、
イスやテーブル、コットなどは以前から使っている物なので問題はない、私は今回のソロキャンの為に購入したツーリングドームの設営に取り掛かる。
「最初にスリーブのポケットにポールの先端を差し込んで・・・クロスさせるように・・逆側のピンに刺して・・・」
ほんの4ページ程度の説明書を読みながら順に組み立てていくと、初めてにも拘らず、ほとんど苦労する事も無く1時間程度で立派なテントが組み上がる。
「はー、一人で大丈夫かちょっと不安だったけど、最近の道具は凄いな」
もっと苦労するかと思っていたがコレは嬉しい誤算だ、しかしそれによってかなり時間が空いた事で別の問題が持ち上がった。
「・・・・・それで、これからどうしようか・・・」
ファミリーでキャンプをした時はこんな事を考えたことは無かった、設営にもっと時間がかかったし、まだ小さかった翼の相手をしているだけでアッと言う間に時間が過ぎて行った、しかし今回はソロだ、設営を終えたらやる事も無いし話し相手もいない。
時間はまだ15時半、焚火をするにも夕飯の準備を始めるにもまだ早くどうにも中途半端な時間だ、スマホで時間を潰そうにもネットには繋がらない。
「本でも持って来るべきだったかな・・・」
私は設営を全て終え、暇になった身体をコットの上に横たえてそんな事を考えていた。
慣れない作業で疲れた体にそよぐ風は少し冷たく、もう秋も深まっている事を感じさせるが、温かい太陽の日差しのせいでそれほど寒いとは感じない。
そのまま仰向けで空を見上げると、周りは雑木林に囲まれているのにサイトの真上だけが切り取られたようにぽっかりと開いていてそこから濃い青の空と白い雲が見えた。
「雲が近いなぁ・・・」
標高が高いためか雲がやけに近くに見える、というか普段意識して雲を見上げる事など無いので気のせいかもしれないが・・・・
「何も無い、それがいい・・・か」
私は仰向けになったまま口コミにあった一文を思い出していた。
風が気持ちいい。
日差しに目を細めると良く知らない鳥の声に混じって、遠くのサイトで遊んでいる子供の声が聞こえる。
設営が終わった時点で何だか手持無沙汰になったように感じて、「何かしなければ損だ」という気持ちになっていたけれど、別に何もしなくてもいいのかもしれない。
私は車の中からタオルケットを持って来ると改めてコットに横になった、辺りを少し散策しても良かったけど設営で少し疲れた事もあって、このまま昼寝でもしたい気分だった。
これがファミリーキャンプだったら父親が何もせずに昼寝を決め込むなんて許されないだろう、子供には遊べとせがまれるだろうし女房からは何か仕事を頼まれる・・・10年前のファミリーキャンプでは実際そうだった。
だけどコレはソロキャンプだ、時間をどう使おうと私の自由だし、何をしていようと(ルールを守っている限り)誰からも何も言われない、そもそもこのキャンプ場に来ている人間で私が誰だか知っている人間もいないし、明日以降になればまた会う事もほぼ無い・・・なんて気楽なんだろう。
ソロキャンプの話を聞いた時いまいちピンと来ていなかった部分。
「わざわざ遠くまで行かなくても自分の部屋に籠れば一人になれるのに」
・・・と、その時はそう思ったのだが、私達は普段思った以上に回りの目、世間の目を意識して生活しているのかもしれない。
例えば自室では確かに私は一人だが同じ家に翼が居る、近所には昔から私の事を知っている人達が住んでいるし、会社には部下や同僚が。
いつも私の周りには、私の事を知っていてこれからも付き合いが続く人間が常に居るのだ。
そういった「誰かの目」を気にしないで野外で横になるのは何とも言えない解放感があった、むろん人が居ない訳では無いので奇声を上げたりすれば白い目で見られるだろうが。
少し肌寒い風と温かい日差しに誘われるように目を閉じると、体の中に溜まった悪いものが抜けていくような心地よさに私は思わずウトウトとし始める・・・そして底冷えする様な寒さを感じて目を覚ますと、太陽はかなり西に傾いていた。
通話もネットも出来ず、只の時計と化しているスマホを見ると時間はもう17時近くになっていた、どうやら1時間半ほど寝ていたらしい。太陽は完全に沈んだ訳では無いが、周りの山に遮られて直射日光が当たらなくなった途端辺りの気温は急激に下がっていく。
「寒っ」
私は後は火を付けるだけにしてあった焚火台の前のローチェアに座るとロングライターで着火剤に火をつける、昔はファイヤースターターを使ったり、フェザースティックを作ったりと火を付ける過程を楽しんだりもしたが、この年になると面倒としか思えなかった。
そう言った経験をさせてあげたい子供がいる訳でも無し、楽な方を選ぶのに抵抗は無かった。
固形燃料のような着火剤はライターの火が触れるとすぐに燃え上がり、あっさりと細めの薪に火が回る。私はその火が消えないように気を配りながら炎を育て、そこに調理に使う備長炭を放り込んだ。
冷えるだろうと思って持って来たダウンジャケットを羽織り焚火に手を翳すと、冷たくなっていた指先にじんわりと温かさが沁みていく。
「腹減ったな・・・」
先ほどウトウトし始めた時には「面倒だったら酒だけ飲んで寝てしまってもいい」と考えていたがどうにも腹が減った、短時間だがゆっくり出来たおかげで気力は回復していた。
焚火台の隅に備長炭を集め、その上に100均で買った網を乗せる。この焚火台は最初から五徳がついているので、こういう時楽でいい。
クーラーボックスの中から焼き肉用の肉を取り出す、あれこれ考えて結局コレが一番楽で美味いだろうという結論になった。
ファミリーキャンプの時は料理は亜希に任せきりだった、父子家庭になってある程度料理は出来るようになったが、料理って言うのは意外と1人前だけ作るって言うのはめんどくさいし、この年になるとそれ程沢山は食べられない、そのかわり良い肉を少しだけ買ってきた。
肉を網に乗せ、シェラカップに焼き肉のタレを注ぎ缶ビールのプルタブを開ける。
いい具合に火が通った所でタレに潜らせて口に運ぶと和牛ロースの油の旨味が口の中に広がる、そしてそれを流すようにプレミアムビールを煽る。
「美味い!!!」
即座に次の肉を網に乗せ、焼いている間にコンビニで買ったおにぎりの包装を解く、やはり肉だけではクドいからコメは欲しい、でも正直一合でも多いので炊くのは面倒・・・そんな時の強い味方である。
肉・米・ビール、正直栄養バランスもクソも無いけど一日くらいは良いだろう、今日はソロキャンなのだ、自分の好きにしよう。
___________
夕飯を食べ終わり、日が落ちて辺りが真っ暗になって来ると気温はさらに下がる、ビールで冷えたせいかトイレに行きたくなった私は外灯すらない山道を懐中電灯片手に往復した。
帰って来ると焚火の火が消えかけている、私は慌てて細めの薪を追加すると丹念に火を育てた。
再び火勢を取り戻した焚火に当たりながら、私はチェアに座ってその温かさを楽しむ。
体の前面は暖かいのに背中側は妙に冷たい、そんな原始的な火の温かさを感じながら私は燃え盛る炎をじっと見つめる、形を変え踊り続ける炎は見続けていても飽きる事が無かった、そしてそうやって炎を見続けている内に何やら物凄く気持ちが整い、落ち着いて来る。
ウィスキーが飲みたかった。
先ほどの夕食で腹はすでにくちくなっている、つまみはいらない、私は荷物からこの前買ったばかりのスキットルボトルを取り出した、その中身は家で詰め替えた「シーバース・リーガル」というスコッチだ、その銘柄は私が結婚前によく飲んでいた酒だった。
銀のスキットルボトルが焚火の光を反射する、私がスキットルからグラスに酒を注ぐと影が大きく動いてまるで影絵のようだ。
「トク・トク・トク」と、漫画ならそんな擬音が似合う場面だろう、しかし実際はホットケーキに小さなピッチャーから蜂蜜を垂らすように、全く音を立てずに琥珀色の液体が細長いショットグラスに満ちていく。
グラスを持ち上げると透明なガラスに焚火の炎が透けてオレンジに染まる、そのまま口に持って行き、軽く啜ると煙のような匂いと共に強烈な酒精が喉を焼いて少しむせてしまった。
「ケホッ・・・こんなにキツかったかな・・・ケホ」
次はむせないように気を付けながら、一口、二口と口を付けると、ようやく口の中がその強いアルコールに慣れてくる。
久しぶりのウィスキーはかなり効いた、酔いが回りあまり寒さを感じなくなって来ると同時に頭がぼんやりとして来る、そこに焚火の火の温かさが加わり何ともいい心持ちだった。
話し相手もおらず、こうしてのんびり杯を傾けていると自然と思考は内向きになる、今日の私の場合は忙しない毎日で思い出す暇も無かった妻の亜希の事を、なぜだか急に懐かしく思い出した。
______________
妻の亜希と出会ったのは私が38歳の時だった。
亜希は私より12歳下で、私はまだ今の会社で課長になったばかり、亜希はうちの会社の資材課に入って来た派遣社員だった。
日ごろの仕事や年末の忘年会で懇意になり、向こうから告白された時には随分驚いた、何しろ12歳差だ、向こうの両親とも結婚前にかなり揉めた、最終的に結婚を認めてもらい、特に翼が生まれてからは孫をとても可愛がってくれる義父とは今は良好な関係だが当時のお義父さんはとても怖かった。
結婚後は翼と3人幸せな毎日だった。
いや、もちろん良い事ばかりじゃ無かったし喧嘩もした、それもお互いその辺にあるものを投げつけ合う様な激しい喧嘩を。しかし今になって思い出すと何故かそれが懐かしい想い出の様に思えてしまう、もはやその喧嘩の原因が何だったかも思い出せない。
焚火に当たりながらちびりちびりとウィスキーを飲み、亜希と過ごした日々を回想していると不意にポタリと膝の上に水滴が落ちる。
気が付かなかったがなぜか私は泣いていた、悲しい訳では無い、ただ懐かしくて・・・・
「あれ?・・・おかしいな?」
涙が止まらなかった、亜希が死んで数週間は泣く事もあった、だけど落ち着いてからはまるで泣き尽くしてしまったかのように、今まで泣いた事など無かったのに。
「フフ・・フフフ・・・」
悲しくも無いのに涙が止まらない、私は何だか可笑しくなって笑ってしまった、いい年をした中年男が笑いながら泣いているなんて、人が見たらどんなに気持ち悪いだろう。
しかしこの街灯も無い暗闇の中だ、二つ隣のサイトでも焚火をしているが、その人がどんな表情をしているかなんてここからは確認できない、という事は向こうからも此方の顔なんて分からないだろう。
他のサイトの人もそれぞれ自分達のキャンプを楽しんでいて私の事を気にする人間なんて居ない。
「クピリ・・」
涙を拭う事すらせずにまたグラスに口を付ける、慣れたとはいえ40%のアルコールは飲むごとにクリアな思考を奪っていく、だがそれが気持ち良かった。
涙のせいで揺れる焚火の炎がぼやけて見える、それと同じようにアルコールでぼんやりとした頭で思った、もしかして、私は今・・・寂しいのだろうか?
亜希のいない11年、色々な事が有った、全ての事を完璧に出来たとは思わない。
「亜希が生きていれば」と思った事も何度もある、しかしそれも時間と共にゆったりと過去のものになって行った。
今のこの感情は何だろう・・懐かしいような・・・寂しいような・・でもこの寂しさはそれほど悪くない感じだった、小さくなって来た炎を維持するために新しい薪を足す、暫くすると足した薪に火がついて少し明るく、温かくなった。
椅子の背もたれに身体を預けて大きく息を吸うと、肺の中に冷たい空気が流れ込むのが気持ち良かった。
________
それから私は230mlのスキットルが空になるまで時間をかけてゆっくりと一人の時間を楽しんだ。
取り立てて何かをした訳では無い、焚火が消えない様に薪を足しながら、ちびちびとウィスキーを飲み、思い出に浸っていただけだ。
その間涙は止まらなかったがこの際思いっ切り泣いてしまおうと開き直った。
時折遠くから「ピィィ・・・」という鹿の声が聞こえる、そのもの悲し気な鳴き声が今の気分にとてもマッチした。
最初はテントの中で秘密基地のような気分を楽しもうと思っていたのだが、この焚火の時間が心地良すぎて寝袋に入る直前まで外で焚火をして過ごした。
・・・・その時間を邪魔する人は誰も居ない、それが良かった。
__________________
______________
翌朝目が覚めると見事に二日酔いだった。
だけど思いっ切り泣いたせいか気分は妙にスッキリしていている。
胃がムカムカしているから朝食はいらないと思ったが、一応インスタントの豚汁を作って飲んでみたら荒れた胃に沁みこむ様でとても美味しかった。
熱い豚汁を飲んだ直後の息が白い。
もう十月も後半だ、これから先、冬になればキャンプはしばらくお預けだ、それが少し寂しく思える程にこの「ソロキャンプ」は楽しかった。
「お世話になりました____」
サイトナンバーが書かれたプレートを管理棟に返し、管理人へそう挨拶をすると、彼は和やかな笑顔で「はい、お疲れさまでした、気をつけてお帰り下さいね」と返事を返してくれる。
こうして私の初のソロキャンプは終わり、私は月の森キャンプ場を後にした。
帰り道を走行中、少し体がベタ付くのが気になった。
キャンプ場にシャワーは有ったのだが、昨日は結局酔い潰れるように寝てしまった為利用していない。
「風呂にでも寄って行くか」
私はスマホで最寄りの温泉施設を検索する、すると都合のいい事に帰り道沿いに湯船からSLが走るのを見られる事で有名な温泉施設があった。
私はそこに立ち寄り、のんびりと寛いでから家路についた。
ずっと翼の事や仕事・・・つまりは一人親で翼を育てる責任や重圧を感じていたけど、これからはたまにこんな休日を過ごすのも悪くない、そう思ったんだと帰ってから翼に伝えると、翼は全面的に賛成してくれた・・・・が、ただしその代わりまた飯代を置いて行ってくれと言われたが。
「ハハ、それが目当てか」
「いいじゃん、楽しかったんでしょ?」
ちゃっかりしている、だがそれが妙に頼もしい。
これから冬になるが来年の春になったら私はきっとまたソロキャンプに行くだろう、そしてその時には翼をもう少し信用して・・・留守を守る翼にもう少し多めの金額を渡してやろうと、そう心に決めたのだった。
一言でも感想を頂けると著者のモチベーションが爆上がりします、少しでも続きが読みたいと思って頂ければ嬉しいです。




