異世界に転生したらワニだった剣
日本のブラック企業社畜疫病不景気から解放されたと思ったら、狭い穴に閉じ込められていた。
穴と言うよりも球、まるで卵の中のようだと思ったら卵だ、これ。
俺は、ワニの子に転生していた。
卵の殻というのはよく出来ている。
急激な温度と湿度の変化から中身を守り、それでいて呼吸も可能、アルカリ性の殻は二酸化炭素を吸収し徐々に柔らかくなる。
「ま、何にしても、ここから出ないと!」
俺は鼻先で殻を押す。
「あ、あれ、重いぞ?」
どうやら直ぐ上のやつがまだ寝てるらしい。
退けよ、起きろよと突いても反応なし。
「やべーなこれは。早くも詰んでる」
まあ人生が詰むのには慣れている、俺は諦めてもう一度寝ることにした。
しっぽを枕にしよう……と思ったところで気が付いた、尾が剣なんですけど?
転生したら、尻尾が剣のワニだった件……。
語呂が良いとは言い難い、二度と言わないようにしよう。
尖った剣先、つまり尻尾を振り上げて、上の卵まで刺して軽く突いてやった。
「きゃあ!」メスのワニの声がした。
どうやら姉か妹のようだ。
ワニの雌雄は、産卵場所の温度で決まる、メスとオスが混ざるのは温度が高くもなく低くもなかった証拠。
「母ちゃん、いい場所選んで手入れしたんだなぁ……」
まだ見ぬ母ワニの愛を感じる。
通常、母ワニはとても献身的だ。
日が照りつければ自らの身体で巣穴に影を作り、卵を狙った動物が現れれば全力で守る。
それも一切の食事もせずに何ヶ月も。
きっと立派で大きな母ちゃんなんだろうなあ……と思ったところで、上から声がした。
「ちょっとあなた、出てきなさいよ。わたしはもう出卵したわよ!」
尻尾の剣は要らないな、鼻先で殻をこじ開けながら俺は生まれた。
第二の人生、いや爬虫類生の始まりだ!
感動も新たなところで上のワニに話しかけられた。
「あなたね、さっきわたしのお尻を突いたのは! って何それ、変わった尻尾してるわねえ」
兄弟ワニだ、メスだから妹にしておこう、同い年だけど。
「始めまして、僕は山田……ってもう捨てた名だ。ワニです」
「知ってるわよ、弟クン」
メスワニが口を開けて挨拶した。
「えっ、僕が弟ですか? 妹が欲しいです、しかも可愛いのが」
「何言ってんのよ、わたし達全員ワニなんだから、見た目は同じよ! それにわたしの方が先に殻を出たもの!」
納得いかない、俺の方が先に起きていたはずだ。
せめて多卵生の双生児、いや百生児くらいかな、対等な立場にして頂きたい。
しばし妹と語り合っていると、周りの卵からも次々と兄弟達が生まれてくる。
みんな計ったように同じ姿形、ワニだから当然だけど。
巣穴の中の子ワニが三十を超えたあたり、騒がしくなったので、誰かが言いだした。
「なあ、そろそろ外へ出ないか? 狭くなってきた」
「賛成~!」
二十匹ほどが賛同して、少しだけ体の大きなオスワニが言った。
「俺が先頭で出るよ、付いてこい!」
頼もしいなあ、けど将来はライバルになるのか。
ワニは縄張りとハーレムを作る、子孫を残せるワニはそう多くはない。
いやむしろかなり少ない、性成熟まで生き延びて、戦って強さを示しメスを射止めるとなると、この百近い卵の中でも一頭か二頭だろう。
あれ? それって人間よりもキツくね?
ブラックワークどころか野生のブラックライフに若干どよんとしてしまった。
もうちょっとお気楽な生き物になりたかったなあ。
俺の不安が感染ったのか、一部の子ワニは巣穴を出るのに反対のようだ。
「えー、もう外に出るのか、嫌だな怖いな」と、怯えている。
ワニにも性格の違いってあるんだなあ。
「ふん、なら何時までもここに居るが良い。俺は川を目指すぜ!」
体の大きなオス、アルファと名付けることにしよう、アルファは上へ上へと土をかき分けだした。
「お、俺も行くよ!」
並んで土を掘る。
アルファが俺を見てにやっと笑って言う。
「よろしくな、兄弟」
「こちらこそ」
アルファは俺の体格を値踏みするように見る。
僅かに大きさが優ったことで、勝ち誇る気配がしたが、俺の尻尾を見て口をあんぐりと開けた。
「お、おい、お前! なんだその尻尾!?」
「これか? これは剣だよ!」
ワニの強靭な尻尾に剣、これに勝る武器があるだろうか、いやない。
冷静に考えると、成長すれば地上最強ではなかろうか?
急にワクワクしてきた。
尻尾を使ってさくさくと巣穴を掘り上げると、直ぐにも外が見えてきた。
「うおっ、眩しい!」
俺たちを待っていたのは、広大な大地と地上の明かりに邪魔されぬ星空と満月。
次から次へと兄弟達が巣穴から飛び出し、みな一様に感動の声をあげる。
何時までも見ていたい景色だったが、ワニの本能が強く強く訴える。
『水はあっちだ。早く行け』と。
「いっちばーん!」
すばしっこい奴が先頭を切った。
川の臭いが俺たちを呼んでいる、間違えるはずもなく、俺とアルファと妹は、三匹になって後に続こうとした。
だが、川岸のアシの暗がりから、何かが飛び出てきた。
大きい! いや自分の体が小さくてサイズ感が分からないが、その影は先頭を行く兄弟をパクリと咥えた。
あっと言う間もなく、兄弟が一人食われた。
食ったのはトカゲ、四足を広げ、重そうな体に似合わず捕食の時は素早い。
二匹目の兄弟が続いて餌食なった。
「みんな一斉に行くんだ! 川まで行けば隠れるところがある!」
俺は全力で走り出す。
武器、尻尾の剣はあるが、現れたトカゲには到底勝てそうにない。
今の俺は体重百グラムほどだろう、敵は軽く十キロはある大トカゲだ。
全力で走る俺達の後ろからも、悲鳴があがった。
夜なのに、鳥が来ていた。
満月の明かりの中、長いくちばしで子ワニを串刺しにしては丸呑みする、しかも一羽や二羽ではない、十数羽も。
「くそっ! 兄弟たちが!」
一番大きなオス、アルファが立ち向かおうとしたが、妹が止める。
「無理よ! 勝てるはずがないわ! この隙に逃げるしかないわ!」
正論だ、俺たち子ワニが束になっても敵う相手ではない、オオトカゲも鳥どもも。
だが――俺ならどうだろう?
俺には人の戦術能力に尻尾の剣がある。
俺は、人生で一度も言えなかった台詞をワニになってから言った。
「ここは俺に任せろ、先に行け!」
死ぬつもりはない、少しでも多くの兄弟たちを助けたいだけだ。
俺は尻尾の剣を見る、月光を反射した剣身は、凄まじい切れ味を秘めていると分かる。
身軽な体を左右に振って、鳥の細い足元に入り込んでのヒットアンドアウェイ。
刃は見事に鳥の足に食い込んだ。
「くそっ、まだ切断は無理か!」
だがそれでもくちばしに捕まっていた兄弟が落ちてきた。
「す、すまねえ!」
「礼なんか良いから進め! 川を目指せ!」
俺は二羽目の鳥の足を狙う。
野生動物は、臆病だ。
賢いからこそ怪我を恐れる、僅かでも抵抗する相手には、最大限のリスクを考えて簡単に諦める。
子ワニから得られるエネルギーと、足の切り傷では割に合わないのだ。
「ほらほらどうした! 降りてこい! 足を真っ二つにしてやるぞ!」
刃物を振り回す俺に恐れをなし、鳥どもは空中に逃げ出した。
名残惜しそうに低空から俺たちを見ていた鳥が、急に高度を取る。
やった! まずは後門の虎を撃退した、と思ったのも束の間、今度は俺の直ぐ右に居た兄弟が……消えた。
「なんだっ! うおっ!?」
次の一撃は俺を狙ったものだったが、尻尾の剣でかろうじて守る。
ジャ、ジャガーだ……!
闇夜に輝く黄金の瞳、造形の神に愛されたしなやかで美しい体、スピードにパワーと頭脳を兼ね備え、我々爬虫類を凌駕する反射速度を持つ水辺最強の生物の一つ。
「くそっ、ネコ科になんて勝てっこない!」
俺の本能が告げていた、戦えば確実な死だと。
「うーん、大賢者! ステータスオープン、スキルツリー! いでよ、ファイヤーボール!」
何か手はないかと色々と試すが、何も反応がない。
おいおいハード過ぎるだろ、自然。
兄弟達はぴいぴいと鳴くばかり、オオトカゲに加えてジャガー、しかも上空の鳥はまだ去って居ない。
野生は……厳しいなあ……100日どころか1日と持たずに兄弟揃って全滅か。
俺も含め、皆が諦めかけたところで、地面が揺れた。
地震!? いや、これはもっと大きな何かが来る!
驚き逃げ出そうとしたトカゲ野郎が、丸太のような尾の一撃で吹き飛んだ。
少なくない我が子を喰われた怒りの鉄槌、トカゲは軽く三十メートルは宙を舞う。
「母ちゃん!」
「ママだ!」
「おかん!!」
「遅いよ、お母さん……!」
で、でかい……!
ワニはほぼ際限なく成長するが、母ワニは圧倒的だった。
全長八メートルはある、体重も五百キロは超えるだろう、体に見合った巨大な口を開き威嚇するだけで、ジャガーは子猫のように逃げ出した。
ゆっくりと辺りを見回す母ワニ、その威厳に、上空の鳥さえも諦めて飛び去る。
母ワニは、戦闘モードから優しい目に戻って言った。
「遅くなってすまないねえ、てっきり出てくるのは明るくなってからだと思ってたのよ。さあこっちへおいで」
母は大きな口を地面に付けて、パクリと開いた。
兄弟達は一斉に口の中へと飛び込んで行く。
他の種にとっては最も危険な武器だが、子ワニにとっては世界で一番安全な場所へ。
俺は、少し迷ってから、母ワニによじ登り頭の上に乗った。
小さなリンゴほどもある赤い目が、変わった子だねえと訴えていたが振り落とされたりはしなかった。
最後に母は、巣穴を点検し、残った子が居ないか確かめて川に向かう。
子供だけでは絶望的に思えた川への距離が、母に連れられればあっと言う間だ。
「川だ!」「水だ!」兄弟たちは母の口から一斉に飛び出す。
母ワニの近くなら安心安全、これからある程度大きくなるまで、不眠不休で守ってくれるのだ。
まあ、数が多いので全員無事にとはいかないだろうが……。
「おーい!」と水面から呼ぶ声がした。
先に行っていたアルファと妹だ。
さて、俺も水に潜って小魚やカエル、昆虫でも探すとしますかね、ワニだし。
母の頭から降りる前に、一つ質問してみた。
「母ちゃんは、この川のボスなの?」
「わたしかい? わたしより強いのもちらほら居るよ。特にオスの成獣には近づいたら駄目だよ、子供でも見境なく襲うからね。あとはカバにアナコンダにリバーマーマン、このあたりが強敵かねえ」
うーん、いきなり知らない生き物が出たぞ。
「なら、一番強いのは?」
「そりゃお前、上流の滝壺に住む水竜レヴァイアタン様だよ。全身の鱗が鋼で出来てる、美しくも恐ろしいお方だよ」
そうかー、ここはアフリカでもアマゾンでもなかったか。
はっきりしたところで、俺は母に尻尾を見せた。
「母ちゃん、最後に。俺の尻尾が鋼の剣なんだけど、ひょっとして……?」
母は「あらやだよ、この子ったら」と言ったきり、ブクブクと沈んでいき、俺は強制的に川に放り込まれた。
出生の秘密は後にして、今は生き延びて大きくなることが先決だ。
母の巨体に驚いて目の前に出てきた小魚を、ぱくりと捕まえる。
うん、なかなか美味い。
何と言ってもワニの寿命は長い、喰われたり狩られたりしなければ百年は余裕で生きる。
まあそれが難しいのだが。
死と隣り合わせの自然の中で、俺は生きることになった。
明日をも知れぬ状況だが、こんどこそ自力で精一杯生きてみよう。
きっと、次に生まれ変わった時はワニよりはましだ、と思えるはずだ。
アニメ化は決まっていません