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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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乾いた大地



 ドナウ大亀裂帯。

 エンド・ウォー最大の爪痕が、未だ剥き出しのまま残る場所。

 百五十年前、ヨーロッパ随一の大河流域に緑が溢れていた。

 その肥沃な地に豊かで美しい都市が古代から繁栄して来たという土地は、エンド・ウォーの終末兵器の業火に焼かれ、人々は勿論の事、生きとし生けるものが全て一瞬で消滅した。


 恐ろしい振動と共に、この世に地獄が現れたとの、僅かな伝承だけを残して。


 そんな土地に人が寄り付く筈もない。否、忌み地だからではない。自然の恩恵を失った地に、人が住めないというだけの話だ。

 終末兵器が引き起こしたという巨大地震はドナウ川の中南部の水脈をいくつも分断し、その流れを大きく北上させた。水が注ぎこまなくなった河の周辺は次第に降雨が減少し、乾燥して百年後、底の浅い細長い谷へと姿を変えた。


「大亀裂って言うから、どんなに深い谷間なのかと思ったら、大したことないですね」

 

 ジャックは暗闇の中、暗視モードにした立体スコープで乾きっ切った川底を覗き込みながら、隣に立っているハナのスーツに声を掛けた。

 立体スコープは、ミニシャが新機種搭載だと騒いでいたものの一つだ。新月の、漆黒の闇夜にも関わらず、視界はびっくりするほど鮮明だ。


「深さじゃなくて長さの話なのよね。これが黒海付近まで六百キロメートル以上は続いているらしいわ」


「六百キロ!そりゃまた長いですね」


 ジャックが驚きのあまり甲高い声を上げた。


「川の水がなくなってから百年は経つそうだ。見渡す限り乾いた砂礫が延々と続く川底跡が我々の行軍路だ。足場は悪いし、崖の側面もかなり脆いだろう。十分に注意しろ」

 

 そう言うと、ダガーは先陣を切ってリンクスを水の無くなった川底に飛び込ませた。

 リンクスが着地したのを見届けてから、キキとガルム1も順を追って砂地に飛び降りた。

 生体スーツの重みで足が砂にめり込む。ジャックが身を屈ませたガルム1の掌で砂を掬った。細かい粒子が生体スーツの指の間から瞬く間に落ちていく。


「歩きにくそうですね」


「走るんだ」


 リンクスは砂地を軽く飛び跳ねたと思うと、生体スーツの体形を四つ足モードに変化させた。

 今までは使う機会のなかった長距離走行の機能だ。本来の姿に戻ったリンクスは、川底の地をしなやかに走り出した。


「太陽が昇れば、ここは灼熱の地よ。夜のうちに第一目的地に着かないとね。ほら、行くわよ」

 

 キキは合図するようにガルム1の肩に手を乗せてから、身体を猫に変化させてリンクスの後を追った。

 新月の夜の闇に、スーツの姿は瞬く間に飲み込まれていった。

 その姿は肉眼で捕えることはできない。だが、ガルム1の立体スコープに映る二体の生体スーツが砂地を飛び跳ねる様は、まるで本物の獣が走っている様にしか見えなかった。

 その美しいフォルムに数秒間見惚れから、ジャックはガルム1の四つ足走行モードのスイッチを入れた。

 砂地に着かせたガルム1の両手と両足、次に胴体、最後に頭部の順で、人型からシェパード犬のそれへと形を変える。


「暗夜進行ですか。猫科の得意分野だもんね。だけど持久力は犬の方があるんですよ」

 

 ジャックはそう呟いてから、干上がった川の底に飛び込んだ。





 夜通しでの砂地の走行は生体スーツでも難儀をしたが、夜が明けるまでに第一地点に到達することが出来た。

 大亀裂帯を走り続けていると、分厚い砂が蓄積している場所がいつの間にか砂礫になり、岩盤がいくつも層をなしている岩場に出た。

 長い歳月、大河の流れに削られてできた巨大な丸い岩があちこちに突き出している。炎天を凌ぐにはうってつけの場所だ。


「空に大きな鳥が飛んでいますね。鷹、それとも鷲かな?こんな砂漠に獲物がいるとも思えないけど」


 大きな岩に背を持たれ掛けさせてガルム1を座らせコクピットを開けたジャックが、夜が明けたばかりの白っぽい空を見上げて感嘆の声を上げた。

 同じく、岩の陰にリンクスを隠したダガーがコクピットから立ち上がり空を仰ぎ見る。

 大きな鳥が羽を広げて空に弧を描いていた。


「いや、あれはガグル社の偵察機(ドローン)だ。ここから十キロほど離れた場所にアメリカ軍の前哨基地があるからな。彼らの目を欺く為に、この付近の山岳地帯に生息している猛禽類に似せて精巧に作られているらしい」


「大した技術ですね。敵の行動を察知したら俺達に知らせてくれるといいんだけどな」


 嬉しそうに喋るジャックに、ダガーは首を振った。


「残念だが、あれはこの辺りの気象データを取る為のものだそうだ。あのような飛行機械は、我が軍とは一切関知しないで作動していると、ボリス大尉から聞いている」


「そうなんですか。共和国連邦を支配している大企業だっていうのに、ガグル社ってケチなんですね」


 残念そうな表情で眉を顰めてから、ジャックは再び空に目を向けた。


「ケチだから、ヨーロッパ一の大企業になったのよ」


 キキのコクピットから降りたハナが近くの岩に腰を下ろして、パウチに入った飲料水を飲みながら空を仰いだ。


「砂と岩しかない土地のデータ集めて、一体どうするんでしょうかね?」


 ジャックはウエストのポーチから取り出した栄養補給のタブレットを数粒口に放り込んでから、首を傾げた。


「さあね。ユラ・ハンヌって、いけ好かないガグル社の研究員が言ってたじゃない、絶えず新しいデータを収集するのがガグル社のモットーだって。こんな砂漠の空のデータが何の役に立つのか知らないけれど」


「それって、戦争より重要な事なんですかねぇ」


「彼らの思考は私達には理解不能だわ。同じ人間とは思えない」


 ジャックの問いに、ハナは肩を竦めた。二人の会話が終わると同時に、ダガーはリンクスで作った岩の日陰の中に身体を滑り込ませて、仰向けに寝そべってから口を開いた。


「陽が落ちたら、第二目的地に移動する。それまでは休息時間だ。俺達が通るトランシルバニア・アルプスのルートはアメリカ軍でさえ敵襲を予想していない過酷な急斜面が続く難路だ。山に入ったら休む時間も場所はない。今のうちに、十分に英気を養っておけ」


「休息かぁ。炎天下の砂漠の岩の下に寝転がって、英気を養えって言われたってねぇ」


 ジャックがうんざりしたように呟いた。

 ハナはジャックの愚痴を聞き流しながら黙って水を飲み干すと、ダガーと同じようにキキで作った日陰に身を横たえて目を閉じた。

 

 ダガーは再び雲一つない青い空に目をやった。

 ぐるりと輪を描くガグル社の鳥型の飛行兵器は、いつの間にか姿を消していた。



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