ヤガタ基地
ヤガタ基地。
青の戦域内にある共和国連邦軍の要衝で、軍事同盟軍との主要前方戦域の攻撃防衛を担う重要な基地の一つだ。
ケイは軍用トラックの荷台から、きょろきょろと基地内を見渡した。
(最新の凄い装備が施されているらしいぜ)
どこでそんな情報を仕入れてくるのか、同じ新兵達の噂話を大して関心もなく、ただ横で聞いていただけだったのに。
何故その最新基地に、自分が連れてこられたのか。
「おい、新参兵、早く降りろよ。ぼやぼやするな」
トラックの荷台にぼんやりと突っ立っていると、先に降りたダンがぶっきらぼうに声を掛けた。
ケイが荷台から飛び降りると、相変わらず不機嫌な表情で、ダンはケイを睨みつけてくる。
「ダガー軍曹は同い年って言ってたけど、あれは間違いだ。俺の方が一つ年上だからな」
いつまで威嚇したら気が済むんだろう。横暴なダンの態度にケイが辟易していると、エマがにやにやしながらダンの傍に寄って来た。
「あらぁ、まだねちねちとイジメてるのぉ?コストナー新兵にメリル一等兵がちょっと優しくしたからって、嫉妬剥き出しで当たり散らす男って、ほんっと、見苦しいよねぇ」
「何だと!ちげーよ、馬鹿エマ!そういうんじゃねえぇぇ!」
エマの爆弾発言に、ダンは真っ赤になりながら絶叫して、全速力で逃げていった。
その姿に唖然としていると、エマが勝ち誇ったように高笑いして、ケイにウインクした。
「分かりやすい奴でしょ。ま、そういう訳だから。口は悪いけど、嫌な奴じゃないのよ」
喋りながらエマがヘルメットを外すと、見事な金色の髪が流れ出た。
「一つ年上だけど、ガキでしょう?」
「…ホント、ですね」
ケイは笑おうとしたが、うまく表情が作れなかった。
「コストナー新兵、あなたをブラウン大尉に合わせることになった」
無線を耳元に当てて喋っていたハナが、ケイを呼んで手招きした。
「ブラウン大尉?」
「ウェルク・ブラウン共和国連邦プロシア軍大尉。我々チームα直属の上官よ。平民出身の中級士官だけど、ヤガタ基地では誰もが敬意を払う実力者よ」
「はあ…」
「大尉に会う前に、その恰好を何とかしないとね」
ハナは素早く踵を返すと、さっさと速足で歩いていく。
ハナに言われて、ケイは自分がまだエリックの血を浴びたままだであることを思い出した。エマに小さく敬礼すると、ケイは慌ててその後を追った。
「くだらねえ事、吹き込みやがって」
いつの間にか戻って来たダンが、エマの隣に並んだ。まだ頬の赤みが取れていない。
「あんたが、あの新参兵にあんまり突っかかるからよ」
白けた顔をしてエマが言い返す。その言葉に反応するでもなく、ダンは素早く歩くハナの後ろに付いて小走りに歩み去っていくケイを、険しい顔付きで見送った。
「ここが更衣室。奥にシャワー室があるから、そこで身体を洗いなさい。服はМサイズでいいわね?」
「あの、どうしてレリックさんは、俺を助けようと思ったんでしょうか?」
ハナから渡された新しい軍服を握りしめながら、ケイは絞るように言葉を吐き出した。
「あの人、俺に、親に会いたいだろうって言ってました。自分の息子が俺と同じくらいの年だってことも。でも、俺、施設育ちで両親いないんです。母親は俺が生まれてからすぐに死んじゃったらしくて。父親の顔も知らないし。だから、俺の事なんか放っておいて、自分一人で逃げれば良かったのに」
「これは私の憶測に過ぎないのだけど」
ハナは無表情のまま、口を開いた。
「レリック二等兵は、あなたを自分の息子と重ね合わせたんだと思うわ。だから放っておけなくて、自身を危険に晒しても助けようとした。自分勝手な思い込みで彼は命を失ってしまったけど、それが彼に与えられた運命だったんでしょう」
「運命って、そんな…。残酷過ぎる」
苦悶の表情で項垂れるケイに、ハナは静かな口調で喋った。
「よくわかったでしょう?実戦って、こういうことよ。誰かが死んで、誰かが生き残る。さあ、早く身支度を整えなさい。大尉に無駄な時間を取らせる訳にはいかないの」
励ましもなく慰めもないまま、ハナに突き飛ばされるように更衣室に入れられて、ばたんと、扉を閉められた。
洗面台の鏡に恐る恐る顔を向ける。
自分だと分からないくらい、埃で汚れた顔が映っていた。
戦闘服は肩から胸にかけて血で黒く染まり、頬には血痕が幾筋も線になって残っている。
瀕死のレリックを担ぎ上げた時に浴びた血だ。握りしめた自分の手をケイは前へ突き出した。震えながら両手を開くと、掌にも血液がこびり付き、爪の中まで入り込んでいた。
レリックの事切れた直後の表情が、目の前に浮かんだ。蒼白な顔と、大きく瞳孔の開いた瞳。
目の前で、初めて死んだ人間を見た。
再び胃が捻じれた。我慢が出来ずに吐いた。前よりも胃の中はもっと空っぽで、唾液が一筋、顎を伝って洗面台の中に落ちた。急いで服を脱ぎ捨ててシャワー室に飛び込み、蛇口を思い切り回した。
冷水が頭上から叩き付けられ、心臓が飛び上がった。夢中で身体を擦ると、排水溝に吸い込まれていく透明な水が、黒ずんだ赤に変色した。
ケイは一年前の自分を思い出した。
兵科の適性検査の合格通知が届いて、ただ無邪気に喜んでいた。
あの時、施設の大人達の複雑な表情を知る由もなかった。戦死したクリスの後人を自分が引き継ぎ、勇敢な兵士になるのだと、そればかり考えていた。何も見えていなかった愚かで無知な自分を。
(間違った思い込みをしていたのは、レリックさんじゃない。この俺だ)
徐々に水が温んできて、最後に熱い湯になった。冷水の時とは別の痛みが皮膚を襲う。
だからどうした。こんな痛さなんか何でもない。死の恐怖と比べれば。
ケイは歯を食い縛って熱さに耐えた。
クリス、俺は、どうしたらいい?