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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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地下通路

「このコンクリート壁は、地上のどんな建物よりも堅牢に造られているようだ。一体、この空間は何なんだ?」


「エンド・ウォーの災厄から人々を守る為に作られたシェルター、核攻撃から逃れるための地下施設だ」


「その話は耳にしたことがある」


 ハインラインは信じられないと言った面持ちで呟いた。


「旧ドイツ国は敵国のミサイル攻撃に備えて、国の中枢にいる要人の身の安全を守る為に、地下に避難所を作ったそうだ。それにしても、戦禍を逃れた人間が、こんながらんどうの地下深くで、どうやって暮らしていたんだ?」


「さあな。何せ百五十年も前の話だ。エンド・ウォー以後、何とか平和に暮らせるめどが付いたから、使える物はすべて持って、地上へと出て行ったんだろう。壁だけが残ったんだよ」


「もしかして、この地下通路は議事堂にも通じているんじゃないのか?」


 ハインラインが瞳を輝かせて背中のヤノシュに顔を向けた。


「敵対国に侵略される重大な危機に対しては、国家崩壊を防ぐ為に、首脳とその中心に近い政治家、官僚の身体の保護を図るのが最優先事項だ。だとしたら、首相官邸が目と鼻の先にある筈だ。妻と子供達が住居内に留まっていれば、うまく連れ出せるかも知れない」


「残念だが、現在の連邦議事堂はエンド・ウォー以前とは違う場所に建設されている」


 ヤノシュはハインラインの後頭部に向かって重い口調で説明した。


「旧ドイツ政府の中枢は、エンド・ウォーの災厄を免れなかった。連邦議会議事堂の地下シェルターはエンド・ウォーの劫火を直接受けて灰燼に帰した。ここは旧市街地の市民専用のシェルターだったんだ」


「そうか、それは」


  何という皮肉だ。百五十年前の権力の中枢にいた者達が、最初にエンド・ウォーで焼き尽くされてしまったとは。


「そんなに失望するなよ、ハインライン。俺達に任せておけば、すぐ家族に会えるさ」


 あからさまに肩を落としたのを励ますつもりか、ヤノシュがハインラインの後頭部を軽く叩いた。


「俺達、俺達って、君の仲間はどこにいるんだい?私は、君とミアさんしか見ていないんだ。私の家族をスイスに亡命させる事なんて本当に出来るのか?」


「何だ、ハインライン、今頃になって俺を信用しないのか?」


「信用していないわけじゃないけど、安請け合いし過ぎじゃないのか?」


 苛立って乱暴に背中をゆすると、バランスを崩したヤノシュがハインラインの喉元に腕を巻き付けてきた。締め付けられた首を思わず仰け反らせると、小さな光が踊りながら下降してくるのが目に入った。

 ミアだ。梯子を下りる動作は恐ろしく素早い。まるでサーカスの曲芸のようだ。

 ハインラインはあんぐりと口を開けて、ミアの姿を眺めた。

 地下のコンクリートに軽やかに着地したミアは、フリルの付いたブラウスとロングスカートと言った淑女の装いから、身体にフィットした黒の戦闘服に変わっていた。

長い髪を後ろに固く結い上げた耳元には兵士が夜間行動する為の暗視カメラ付きゴーグルを装着している。その中央にはヤノシュが手にしている懐中電灯より数倍明るいライトが光っていた。

 バックパックのベルトを両肩に巻き付け、胸の中心の金具で固定されている。

 右の胸の脇には無線機を携帯し、右足のホルダーには拳銃が差し込まれていた。

 左太腿のズボンのポケットが装填の銃弾で重そうに膨らんでる。


「お待たせしました」

 

 口を半開きにした呆けた表情で自分を凝視するハインラインに、ミアは、はにかんだ微笑みを向けた。


「ミア、手抜かりはないな?」


 ヤノシュが声を掛けるとミアが深く頷いた。


「はい、兄さん。地下通路の扉は取っ手を取り外して、内側からしっかりと施錠しました」


「分厚い鉄板に板を張った扉だからな。バーナーで焼き切らない限り壊せない代物さ」


 ヤノシュがいつものように、ふふんと鼻を鳴らした。


「時間は限られています。早く出発しましょう」


 ミアは自分と同じ暗視カメラ付きのゴーグルをハインラインの頭に装着した。


「分かった。ヤノシュ、しっかり掴まっていてくれよ」


 声を掛けたが、返事がない。

 突然、ぐにゃりと力が抜けて背中からずり落ちそうになるヤノシュの身体を、ハインラインは驚いて揺すり上げた。


「おい、ヤノシュ!どうした?」


「気を失ったようです」


 ハインラインの背中に駆け寄ったミアは心配そうにヤノシュの顔を覗き込んだ。

 ヤノシュは暗がりでも分かるほどにぐったりとしている。薄く汗を浮かべているヤノシュの額に掌を当てたミアが、はっとした表情をして手を引っ込めた。


「熱があります」


「ああ」


 ハインラインも険しい表情で頷いた。


「それもかなりの高熱だ。私の背中が火のように熱い」


 ミアはバックパックを下ろして、中から幅広の長い紐を取り出した。

 失礼しますとハインラインに一礼してからヤノシュの両脇の下に紐を潜らせ、ハインラインの両肩から胸に手早くクロスさせた。もう一度、ヤノシュの背中に紐を回すときつく締めて、ハインラインの腹部の前でしっかりと固定した。


「ハインライン様、兄をお願いします。こちらが通路です」


 ミアは手招きで合図を送るとハインラインの先に立って、小走りで足を進めた。

 思いの外速いスピードに、ハインラインは慌ててミアの後を追った。

 恐怖するくらい真っ暗な地下通路だ。額の小さな丸いライトが照らし出すミアの背中を一途に目に据えて、ハインラインはしゃにむに足を動かした。

 途中、二方三方向に分岐する通路を、ミアは迷いなく進んでいく。


「ミアさん。君は、この地下通路を行き来したことがあるのかい?」


「ええ、何度か。緊急時だけですが」


 ハインラインが息を切らしながら訪ねると、乱れの無い息と声で簡潔な答えが返って来た。

 ミアに後れを取りたくなくて、ハインラインも歩く速度を上げた。すると、どうしても背中のヤノシュを乱暴に揺さぶってしまう。

 意識のないヤノシュが、苦しそうに小さな呻き声を上げた。


「待ってくれ。そんなに早く歩くと、ヤノシュの身体が揺れて怪我に障る」


「分かっていますが、あれだけ出血しているのですから、一刻も早くお医者様に診て貰わなければ、兄の命が危うくなります」


 もうすぐですからと、小さな声でミアが悲鳴を上げるように叫んだ。

 微かだが、涙に潤んだ声だった。

 ハインラインは腰を落として膝を曲げた。

 かなり辛い歩き方だが、その甲斐あってヤノシュの身体の揺れが少し和らいだ。

 ヤノシュの呻き声が止んだのを確認してから、ハインラインは走り歩きを再開した。

 少し先で、ミアが立ち止まってこちらを向いた。ハインラインのライトの光に梯子を握ったミアの手の甲が、白く反射する。


「着きました。この上です」


 喋り終わらないうちに、ミアが恐ろしい勢いで梯子をよじ登っていく。

 ハインラインは梯子に沿って目を上げた。

 ヤノシュの家のものよりはかなり短い。ここは地上に近いのだと理解した。ほっとした途端に、背中に背負っているヤノシュが耐えられないほど重く感じた。

 太腿が痙攣し出し膝が笑い出す。身体が地下の通路に崩れ落ちそうになるのを、梯子の横木に手を掛けて堪えた。

 頭の上の扉が開いて、強い電光がハインラインの顔に降り注いだ。ハインラインは顔を背けて反射的に目を瞑った。

 光が眩しくて目が開けられない脇で、複数の人の声がする。

 数本の手の感触を身体に感じた途端、ヤノシュの重みで潰れそうな背中が急に軽くなった。

 まだ光に染みる目を無理に開いてヤノシュの所在を確かめると、複数の男達に担架に括りつけられて地上に持ち上げられているところだった。


(ヤノシュの仲間か。今一つ、信じることが出来なかったのだが、本当にいたんだな)


 安堵で力の抜けたハインラインは、地下の湿った地面にべったりと尻を付いて、両足を投げ出した。



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