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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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エンド・ウォーの遺跡


 簡素な板張りの天井から素早く視線を戻すと、ヤノシュは盛大に顰め面をしてハインラインを睨みつけた。


「俺は爺さん子供じゃないんだ。何が悲しくてお前みたいな貴族の坊ちゃんに、大の男がおんぶされなきゃならんのだ」


「強情な奴だな」


 ハインラインはヤノシュを睨み返した。


「分からず屋にも程がある。酷い傷を負った君を残していけないミアさんの気持ちが分からないのか?それに、君くらいの背格好の男には、“大”は付かないよ。君を背負って走っても、私の体格だったら何の問題もないから安心したまえ。君は怪我人なんだから、何も恥ずかしがる必要はないだろう?」


「恥ずかしいとかじゃない!」

 

 ヤノシュが眉を引っ立てて真っ赤になって怒鳴った。


「プライドの問題だ!!」 


「プライドだって?!」

 

 ハインラインが盛大に顔を顰めた。


「聞かせて欲しいもんだね、ヤノシュ。箒の柄を逆さまに持って両腕をぶるぶる震わせ、よたよた歩きしている怪我人にどんなプライドが必要だって言うんだ?ここに等身大を映せる鏡があったら、君が今、どれだけひどい状態なのか見せてやりたいね!まるで、まるで…」


 声高に言い募った口をもごもごと動かしてから、ハインラインはその後の言葉を濁した。


「まるで、何だ?言ってみろ、ハインライン。俺がどんな姿に見えるっていうんだ?」


 ヤノシュが声を怒らせハインラインを睨みつけた。高圧的な態度を取ったところで、箒の細い柄に縋りながら腰を九十度に折り曲げやっと立っている身体では逆効果だ。痛々しさだけしか目に映らない。ハインラインは眉を下げ、いかにも気の毒そうな口調で言った。


「まるで、師匠の大切な品物を壊してしまって、叱られる、どうしようって、箒を持って震えている憐れな魔法使いの弟子みたいだと言ったら、分かって貰えるかな?」


「…お前、発想が小学生のガキ並みだぞ。年相応の表現ってものがあるだろう?」


「いやあ、悪い。君の姿を見ていると、それしか思い浮かばなくってね」


 突然、くくくと押し殺した笑い声がヤノシュとハインラインの耳に響いた。

 ミアが肩を震わせて掌で口を押さえている。


「弛んでいるぞ、ミア。分かっているのか?今は緊急事態なんだぞ」


「ごめんなさい。でも、兄さんたちの会話を聞いていたら、何だか可笑しくなっちゃって」


 懸命に堪えていたのだが、遂に吹き出してしまったのだという。なかなか笑いが収まらないミアに、ハインラインも釣られて笑い出した。


「何がそんなにおかしいのかね?お前ら一体、どうしちまったんだ?」


 ヤノシュが呆れ顔で嘆息を吐いた。


「いいじゃないか。君の妹さんの笑い声を聞くと元気が出るよ。どうだ?ヤノシュ、この際だから、三人で地下通路の散歩と行かないか?」


「本当に呑気な奴だ。緊迫した事態でも、お坊ちゃん気質が抜けないときている」


 ヤノシュは怒らせた肩をすとんと落としてから、顰め面のまま不承不承頷いた。


「仕方ないな。そこまで懇願されるんだったら、俺も一緒に行くとしよう。ハインライン、俺を背負わせてやるから、背中を出せ」


「君はどんな時でも、上から物を言うんだな」


 ヤノシュの前に背を向けてハインラインはしゃがみ込んだ。ヤノシュが箒を放り出して、ハインラインの背中に乱暴に身を預けてきた。おんぶ紐が必要かとからかってやると、手加減なしで頭を叩いてくる。


「どれ」


 ハインラインが四角い床の穴を覗き込むと、真っ暗で何も見えない。ヤノシュがハインラインの首元から懐中電灯を突き出して、地下の壁に取り付けてある梯子を垂直に照らした。


「これで手元が見えるだろう?さあ、早く降りろ」


 ヤノシュは開いた手で、再びハインラインの頭を軽く叩いて合図した。


「兄さん、ハインライン様にあまり無礼な態度を取らないで下さいな」


 ミアが嗜めようとするのを、「もう慣れたよ」と笑顔で制して、ハインラインは鉄の梯子に足を乗せた。下を見ると闇が四角い口を開けて待っている。小さな懐中電灯で手元だけを照らされながら降りるのが恐ろしく心許ない。


「暗くて何にも見えないんだが。この梯子は、どの位の長さがあるんだ?」


 恐る恐るヤノシュに聞いてみると、背中から「三十メートル以上はあるかな」と、とんでもない返事が返ってきた。


 落ちたら身体は間違いなくばらばらだ。


 ハインラインは鉄の太い梯子を両手で握り直すと、はあっと、息を吐き出し腹筋を引き締めて梯子を下り始めた。

 冷たい鉄の円柱を握り締める掌に力を籠め、足を滑らせないように横木の鉄棒に慎重に体重を掛けた。梯子を握り締める自分の手を凝視したまま、一段一段ゆっくりと足を下ろす。

 突然、ハインラインの両脇を照らす懐中電灯の光の反射が消えた。

 右と左のコンクリートの壁が失せ、鉄の梯子が取り付けられているコンクリート壁のみに白い光が存在している。


「ここまでが、扉の入り口だ。これから地下の巨大空間を下りていくぞ」


「随分と物々しい下水道だな。昔はどれだけ大量の汚水を溜める必要があったんだ?」


「ここは下水道じゃない。下水は地下に降りた通路のずうっと先だ」


 ヤノシュもさすがに不安らしく、ハインラインの背後から胸に回した両腕と腹に巻き付いた足が、緊張で強張っている。

 地面の見えない地下の闇へと降りてくのは冥府に向かうようで、恐怖がぞわりと冷たく肌を這う。

 恐怖のせいだけではない。太陽が差し込まない場所の空気がこれほど冷たいとは想像もしなかった。吐く息はびっくりするほど白く、寒さで指の感覚が鈍ってくる。

 ハインラインは梯子を握り締める度に手を滑らせないかと冷や冷やした。

 ヤノシュに照らされた梯子だけに目をやり、無心に手足を動かしているうちに梯子が終わり、地下の地面を安堵と共に踏み締めた。靴底の下から無機質な硬さが伝わってくる。


「見ろよ、ハインライン。上も下も、この地下空間全体が分厚いコンクリートで覆われているんだ。ここはエンド・ウォーの遺跡と言ってもいい場所さ」


 ヤノシュが、ハインラインの背中から、懐中電灯を上に向けてぐるりと一回転させた。

 暗闇の壁を、白く小さな光の円が素早く移動していく。さっきヤノシュを担いで降りて来た鉄の梯子が光の中に浮かび上がった他には、何も視野に入らない。

 全てが沈黙と共にコンクリートで平たく塗り潰されていた。

 ヤノシュが懐中電灯を真上に固定させた。

 一直線に伸びた光が途中で淡い粒子に分散して、天井をぼんやりと照らす。

 巨大な地下空間に、ハインラインは息を飲んだ。


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