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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
84/303

ノイフェルマンの奸計 ※

挿絵(By みてみん)


  ハインラインは呆気に取られた表情で、大袈裟に騒ぎ立てる小男を見下ろした。


「酷い言われようだな。君の妹さんと握手しようとしただけだよ。偏見にも程がある」


「偏見なものか。俺の言っていることは全て事実だ!」


  怒鳴り散らしてから、ヤノシュは薄暗い部屋の端から立派な背もたれのある椅子を重そうに引き摺って来て、一人だけで腰掛けた。その様子をハインラインは不快な面持ちで眺めた。


「ヤノシュ、君はレディと客人を差し置いて、一人で椅子に座るのか?」


「お前は客人ではないし、ミアは貴族の令嬢ではないからな。俺が一番年上だし、痩せたちびには体力がない。それに今日は、かくれんぼと駆けっこで、えらく疲れた」


「それで、あの…貴族の殿方が、何故このような貧居にわざわざお越しになったのです?」

 

 ミアが遠慮がちにハインラインの顔を覗き込んだ。大きな瞳がさらに見開かれたと同時に、形の良い唇から震えた声が転がり出る。


「新聞のお写真でお顔を拝見したことが…。あ、貴方様は、ハインライン、首相閣下?!」


「残念な事に、こいつはもうプロシアの首相じゃない」

 

 ヤノシュが自分の手で首を横に引く仕草をした。


「お尋ね者になっちまった。俺もだが」


 兄の言葉にミアの頬が強張った。あまり表情を変えないのは、ハインラインに配慮してのことか。


「さっき、首相閣下がプロシア国軍に拘束されたとラジオで臨時ニュースが流れました。戒厳令が敷かれたのは、ハインライン様が出奔したからなのですね。一体、何があったのです?」

 

 ヤノシュに聞き返すミアの声は湖面を撫でる風のように静かだった。


「軍の奴ら、早速戒厳令を出したか。道理で、この界隈にいつも屯している不良どもの姿を見かけない訳だ。ハインラインを連れていたから、建物の陰からナイフを握ったあいつらの手がいつ飛び出してくるかと、びくびくしていたんだが」


 ヤノシュは納得のいった表情でしきりに頷いていたが、すぐにいつもの顰め面に戻った。


「軍がクーデターを起こして議会を強制解散し、議事堂を封鎖した。首謀者は連邦軍副参謀長ノイフェルマン中将だ。ハインラインは、あいつの奸計に落ちて、軍事同盟軍と領土分割の裏取引をする売国奴に仕立て上げられちまった。俺たちは今や国賊だ」


「俺たち?」


 ハインラインが首を傾げた。


「ヤノシュ、濡れ衣を着せられたのは私だけだよ。君はノイフェルマンの謀略のとばっちりを受けただけだ」


「俺もあんたと一緒に、同じ留置所から逃げ出したんだぜ。クーデターで政権奪取した奴らにどんな言い訳をしたら俺を見逃してくれると思うんだ?教えてくれないか、ハインライン」


「うーん、そうだな…」


 唸りながら思案したところで直ぐに名案が浮かぶ筈もない。ハインラインは頭を抱えて俯いた。


「だけどこのまま逐電していても、事態は一層悪くなるだけだ。留置所から逃げ出したのは、早まった行動だった」


「俺と一緒に留置所から逃げたのが間違いだって言うんなら、あんたはこれからどうするんだ?軍に出頭するか?即、軍刑務所行きだぜ。あんたの政治生命は確実に断たれるぞ。いや、命だって危ない」


「命など惜しくない。私は今から連邦議事堂に戻る。ノイフェルマンに捕まる前に、世間に真実を洗いざらいぶちまける。貴族もラッダイトも平民も一致団結して、ノイフェルマンに国家権力を握らせるのを阻止するんだ。プロシアをロシアと同じ軍事独裁国家にさせてなるものか!」


 ハインラインは悔し気に拳を握り締めてからその手を開いて、ヤノシュに差し出した。


「議事堂に戻る道が分からない。ヤノシュ、道案内を頼む。あと少し迷惑をかけると思うが、それで終わりだ。これ以上は私に関わるな。この家に大人しく籠っていれば、君が軍から処罰を受けることはないだろう」


「はぁ?」


ヤノシュはあんぐりと口を開けてから小刻みに震え出した。引き攣った顔を硬直させて、裏返った声でハインラインに毒づいた。


「お前、バカだろう?こんな状況で、ノイフェルマンの前に正面から姿を現すってのか?!」


「私だって大人しく掴まるつもりはない。命の危険があるから逃亡したと、言い立ててやるさ。正々堂々姿を現した私をノイフェルマンが拘束すれば、誰もが民主国家の危機と感じるだろう。そうなれば、議会だって黙っていない」


「あんた、とことん暢気だな」


 ヤノシュの顔が激しく歪んだ。


「議会は強制解散されたんだぞ!議会の多数を占める貴族やラッダイトの議員どもが銃を持った軍人に盾突くと思うのか?もし、そんな気概のある奴がいたなら、俺たちと一緒に留置所に拘束されていただろよ。今、議事堂内を自由に歩いている人間は、軍人とノイフェルマンに下った奴だけさ。

 そんな場所に、のこのこと出て行ってお縄頂戴になるって言うのか?呆れて話にならん。軍の規定によると、脱獄犯は見つかったら問答無用で銃殺刑に処されるんだぞ。お前、そんなことも知らないのか?」


「それは、殺人などの重罪を犯した兵士が逃亡した場合だろう?私達は反社会的な犯罪者ではない。真っ当な公僕だ」


「ミア、この貴族のお坊ちゃんの甘々な思考回路をどうすればいい?」

 

  椅子の背もたれにぐったりと背中を預けた格好で天井を仰いだヤノシュは、忌々し気に息を吐いた。


「俺にはノイフェルマンの考えが手に取るように分かるよ。アウェイオン大敗後の休戦協定の条件に、ウォシャウスキー将軍にポーランドを要求されて、議会はパニックに陥った。プロシアの国会が機能しなくなったのを見て、奴さん、クーデターを起こすべくして起こしたんだ。

 軍事同盟軍がウィーンに乗り込んで来たのを目の当たりにして、国民の誰もが、文民政治では解決できない窮地にプロシアが陥っていることに恐怖している。今だったら議会も国民も軍の言いなりになる。

 奴は準備万端で、虎視眈々とこの機会を狙っていたんだ」


「だが、クーデターを起こしてまで政権を奪う必要があるのか?プロシアの中枢にいる貴族たちを敵に回すメリットがノイフェルマンにあるとも思えない。彼自身、侯爵の地位にある上級貴族だぞ」


 天井を虚ろに見上げていたヤノシュは、ハインラインの言葉を聞くと頭を垂れて、力なく首を振った。


「お前は本当に読みが浅いな、ハインライン。確かに、ノイフェルマンはプロシアの上級貴族出身だが、軍人としての行動を最優先している。プロシア軍中将で、且つ独立共和国連邦軍の副参謀の地位にある男だぞ?

 そして今、アウェイオン戦で作戦立案に携わったイングランド軍貴族軍人どもが、大敗戦で軒並み失脚した。ウルバートンも責任を取って、近く参謀総長を辞任するだろう。持ち上がりでノイフェルマンが連邦軍の最高権力の地位に就くのは確実だ。それがどういうことだか分かるか?」

 

 ふううと大仰に息を吐いて、ヤノシュは親指でこめかみをぐりぐりと押した。軽く俯いていた顔はそのまま目玉だけをぎょろりと上に向けて、ハインラインを睨み付けた。


「連邦共和国軍は、ロング・ウォーで長年権勢を誇っていたイングランド支配に終わりを告げたんだよ。

 覇権はプロシアに移った。連邦軍の最高権力を握った男は、クーデターを機に大国プロシアをも実質支配し、懐に入れたんだ。これでもう誰もノイフェルマンに盾突ける奴はいなくなったってことだよ。

 狩りの嗜みにしか銃を扱えない貴族のご機嫌取りなんざ、金輪際しなくていいんだ。これからは議会なんか通さなくても、戦費調達はノイフェルマンの意のままだ。

 手始めに、ポーランド州を支配しているウィーン一派の貴族どもが、標的になるだろう。連邦軍に大枚の軍資金を貢ぐか、それともロシアに侵攻されて、財産どころか命まで捕られる方を選ぶかと脅されてな」


「そんな事になったら…」


「ああ。ポーランドに残っているウィーン一派は、プロシアから独立すると言い始めるだろうな。それこそノイフェルマンの思う壺だ。あんたの義理の親父さん共々、ウィーン一派はぶっ潰されて、肥沃なポーランドの土地は軍の直轄領となる」


(フリーダ!カール!テオドア!)


 ポーランド移譲の議案が耳に入り、激高した義父に今にも殺されるのではないかという剣幕で詰め寄られた時。

 怯える幼い息子達を抱きしめて空色の瞳を涙に濡らす妻の姿が、ハインラインの脳裏に浮かんだ。


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