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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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隠れ家


「こ、国家転覆って…!」


 ハインラインは夜の闇で染まった石畳に佇む小男に瞳を凝らした。

 動揺したハインラインの口振りのどこが面白いのか、ヤノシュは、にやりと笑って暗闇に白い歯を光らせた。


「本気で言っているのか?大逆だぞ。エルミア・ヤノシュ!お前は一体、何者なんだ?」


「俺?あんたも知っているだろう?」


 ヤノシュは眉根を思い切り下げて、鼻からふんと息を吐いた。


「平民党の新米議員だ。だった、と言うべきかな。お前と一緒に捕まった時点で党から除名されただろうし、当然、議員もクビになっちまっただろうな。今はプロシアの平民の一人ってとこか」


「一平民が、強国プロシアの国家転覆を画策するとは恐れ入る。本気で言っているのか?」


「うん。まあ、そのうち分かるさ」


 呆れ果てた表情のハインラインをにやにやしながら一瞥してから、ヤノシュは暗い道を進んでいく。

 よくまあ躓かないでするすると歩けるもんだと思った矢先に、ハインラインは石畳の凹凸に足を取られて盛大に転んだ。咄嗟に両手を石畳に着いたので、危うく顔面を殴打することは免れた。


「気を付けろよ。でこぼこの石畳なんかにぶつけて見ろ。あんたの綺麗な顔が血で染まるぞ」


 まあ、それも悪くないかもと、憎まれ口を叩いてから、ヤノシュは品の無い声でけけけと笑った。


「重い戦争税が祟って歩道を直す費用も捻出できないんだからな。自業自得だ」


 怒って喚き散らすだろうと踏んでいたが、ヤノシュの後ろで蹲っているハインラインは背を丸めて立ち上がる様子もない。顔ではなくて頭を打ったかと少しばかり心配になって、おいと声を掛かると、ハインラインが呻き声を出した。


「その通りだ」


 国の荒廃などお構いなしに戦争に金を注ぎ込んでいた。ロング・ウォーに慣れた愚かな為政者達は、一にも二にも軍事連合軍との利権がらみの戦で、民衆の繁栄など頭の隅にもない。


(それで、この国の未来はどうなる?)


 答えは出ている。自分の頭上の街燈の消えそうな灯が、プロシアの行く末を指し示しているではないか。ハインラインは絞る様に声を出した。


「君は正しい。正しいけれど、辛辣だ。人を言葉で叩きのめすのが、本当にうまい」


「まあ、見ての通りの痩せたちびだからな。腕力より口を鍛えたのさ」


「その口で、どれだけの人間を怒らせて来たんだ?」


「俺の言葉で頭に血が上って、すぐに拳を振り上げる輩から素早く逃げるのが上手くなるくらいには、かな」

 早口で嫌味を返してから、ほら、こっちだと、ヤノシュはハインラインの腕を掴んで引っ張った。


「だが、いくら言葉を放ったところで世の中が動くわけじゃない。行動で示さなければ」


 暗闇の路地を用心深く見回してから、ヤノシュは上着のポケットから懐中電灯を引っ張り出してハインラインの足元を照らした。


「おい、何でそれを早く出さない?転ばなくて済んだのに」


 恨めしそうな顔をしてハインラインがヤノシュに掌を見せた。


「見ろよ、手の皮がこんなに擦り傷だらけにしまったじゃないか」 


 ヤノシュは人差し指で眼鏡を鼻からずり上げ、ハインラインのうっすらと血の滲んだ掌を一瞥すると、いつものように、ふんと、鼻を鳴らした。


「こいつはベック卿の執務室から失敬して来たんだ。ここら辺で懐中電灯なんて上等なものを持っている人間なんかいないからな。すれ違いざま強盗に変身した奴に突然ナイフを突きつけられたくないだろ?」


「随分物騒なところに住んでいるんだな」


「貧乏だからさ」


 面白くなさそうに顔をしかめてヤノシュは再び鼻を鳴らした。

 ヤノシュが懐中電灯で足元を照らした細い道を右へ左へと曲がった。蛇のようにくねる路地の先にある終点がどこかは知らないが、随分と長い時間を徒歩に費やしている。


「どこまで行くんだ?」


 不安になって、ヤノシュの小さな背中に声を掛けてみるものの、返事はない。

 進むほどに狭くなる道幅に比例するように建物の作りがレンガから漆喰の壁へと変わり、最後は古ぼけた木の家が軒を連ねて立ち並ぶ界隈に出た。

 懐中電灯の光に映し出される家の壁はどれもペンキが剥げていた。風の通りが悪い場所のようで、淀んだ空気が悪臭を纏ってうっすらと漂ってくる。

 一際簡素な建物の扉をヤノシュが叩いた。

 蝶番が軋んだ音を立てて、古ぼけた扉が開く。

 ドアノブを握り締めた若い女が驚いた表情で、正面にいるハインラインを見つめていた。

 暗闇の中でもはっきりと分かる美しく輝く金髪と怜悧な鉄色の瞳に、ハインラインは息を飲んだ。ドアの前で直立し、居住まいを正す。


「その、初めまして、マドモワゼル。私はエーベルト…」


「挨拶は家の中に入ってからだ」


 突然ヤノシュに背中を突き飛ばされたハインラインは、重心を失った格好で両手を宙にばたばたと泳がせながら、ヤノシュのぼろ家に足を踏み入れた。

 無様に突き出した手が女の胸元を掠り、女が怯えた表情でハインラインから飛びのいた。


「おい、どさくさに紛れて俺の妹に汚い手で触ろうとするんじゃない」


 声を怒らせたヤノシュがハインラインの尻を思い切り蹴り上げた。


「君が突き飛ばしたからだろう!!」


 ハインラインは痛みに悲鳴を上げた。


「どう見たって、今のは不可抗力だっ!」


「兄さん、乱暴は止めて」


 ヤノシュの妹だという若い女が、ハインラインとヤノシュの間に割って入る。

 ハインラインは若い女をまじまじと見つめた。


「ヤノシュの妹?」


 

 天井から吊るされたランプの薄明りに灯された珍しい瞳の色は、ヤノシュのそれと同色だと同はっきり分かる。

 だが、一見しただけでは、兄妹と言えるほどには顔が似ていない。年が離れすぎているせいもあるのだろうが、何より体格が違い過ぎる。ヤノシュと比べて女は身長も体格も随分と立派だ。ハインラインよりは低いにしても、女性としてはかなり上背がある。


「お前の考えていることが、俺には手に取るようにわかるぞ、ハインライン。お前は今、俺と妹のミアを見て、全然似ていない兄妹だと思ってるんだろう?兄貴は寸足らずだっていうのに、妹の方はどうやったらあんなにでっかく育つんだ?ってな!」


「確かに君の言う通りだが、彼女が素晴らしく美しい女性だというのを付け足しておいてくれないか」


 ハインラインはにっこりと笑ってミアに右手を差し出した。


「突然の来訪で驚かせてしまい、大変失礼致しました。マドモワゼル・ミア。私はエーベルト・フォン・ハインラインと申します。貴女の兄上の知人です」


 ハインラインの至極丁寧な言葉使いと優し気な物腰に警戒を解いたミアが、自分の胸に固く当てていた右手をおずおずと伸ばして、ハインラインと握手をしようとした。


「何が、知人だ!数時間前には俺の顔も名前も知らなかったくせに。ミアを目にした途端、態度を変えやがって!」


 ヤノシュはミアに差し出されたハインラインの手を横から乱暴に振り払った。


「さっきも言ったろう!!俺の妹に手を触れるな、ハインライン!」


 ヤノシュが猫のようにふうふうと唸って威嚇した。


「騙されるんじゃないぞ、ミア、こいつは妻子持ちだ。さてはお前、女たらしだろう? ああ、くそっ!どれだけのご婦人達をその爽やかな笑顔で毒牙にかけてきたんだ?そうだ!こいつだけじゃない!貴族の男はみんな、たらしだ、たらしっ!!いいか、ミア、こいつの半径一メートル以内には絶対近づくんじゃないぞ!」


 自分自身の言葉に怒りを募らせたヤノシュが真っ赤になって歯を剥き出しながら、床を踏み鳴らし始めた。




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