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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
80/303

父親になる女 ※

 女は笑顔を浮かべているが、口の端があからさまに怒りで引き攣っている。


「ユーリー、PCーR3をフィオナと戦わせるのだったら、私に許可を取って下らないと。下の者に示しが付きません」


「すいません、バートン博士」

 

 ニコラスが、胸の上で両腕を組んでいる女の顔を決まり悪そうに仰ぎ見た。


 アメリア・バートン。

 ガグル社一の機械工学の天才と謳われた女は、同時に恐ろしい程の威厳も持ち合わせている。

 サファイアのように輝く濁りのない青い瞳に見つめられると、誰でも身を竦ませてしまう。

 ニコラスよりも身長がある上に、十センチはあるピンヒールを履いているせいで、恐ろしく背が高い。

 燃えるように赤い派手な巻き毛も、目尻のつり上がった大きな瞳も、不敵に笑う薄い唇にもユーリーと同類だという事を余すことなく伝えている。

 選び抜かれた遺伝子の結合によって生まれてきた“卓越者(サラブレッド)”だと。

 彼女の青い瞳を直視出来なくなって俯くニコラスに、アメリアが腰を少し屈めてその首に腕を巻き付けた。

 驚いて頬を赤くするニコラスの耳元で撫でるような声を放つ。


「あなたが謝る必要はないでしょう?ニコラス。可哀想に、自分勝手なユーリーに、いつも振り回されて」


「君が怒っているのは十分判ったから、ニコラスに絡むのはやめて貰おうか。アメリア」


「あら、まあ、フフッ」


 ユーリーの尖った口調に面白そうに唇の両端を引き上げてから、アメリアはニコラスの首からするりと腕を離した。長い腕が優雅に赤毛を掻き上げてから腰の位置に落ち着く。その腕にフィオナが駆け寄って来て縋りついた。


「ごめんなさい。博士。PC-R3を壊したのは、あたしだから。あたしを叱って下さい」


「フィオナ。あなたは、本当に優しくて、賢い子」

 

 アメリアは愛おしそうに目を細めてフィオナの髪と頬を優しく撫でた。


「ニコラス。あなたの教育の賜ね」


「何が教育の賜だ。こいつはフィオナを過度に甘やかす。フィオナにべたべたし過ぎるんだ」

 

 口をへの字に曲げてユーリーがニコラスを睨んだ。困ったように俯いたニコラスの顔を心配そうにフィオナが見上げている。そんな三人を呆れた様に眺めながら、アメリアが口を挟んだ。


「何を言っているの、ユーリー?あなたが育てたら、こんなにいい子にはならないわよ」


「バートン博士、些か言葉が過ぎるようだが?」


 ずけずけと物を言うアメリアに、ユーリーがあからさまに不機嫌な表情を向けた。

挿絵(By みてみん)

「あーもう、これで実戦訓練は終わり!フィオナは疲れただろうから、部屋に戻って休もうね」


 ニコラスは眉間に皺を寄せてアメリアを睨み付けるユーリーと、それを意に介す事なくに不遜に笑うアメリアの間に立っているフィオナの両肩を掴むと、くるりと後ろを向かせた。

 そのままアメリアの乗って来た電動カートにフィオナを押し込んでから、自分も乗り込んだ。

 お先に失礼しますと二人に声を掛けて、カートのアクセルを思いっ切り踏む。


「ニコラスったら、うまい具合に戦線離脱したわね」


 遠ざかって行くカートの後ろ姿を見送りながら、アメリアはくすくすと笑った。それから苦虫を噛み潰したような表情のユーリーに視線を戻した。


「君の許可を取らないでPCーR3を対フィオナの戦闘実験に使ったのを怒っているなら」


「いやねえ。そんな狭量じゃないわよ、私」


 アメリアは軽い溜息を吐いてから、形の良い唇の両端をゆっくりと持ち上げた。


「あなた達の仲があんまりいいから、ちょっと意地悪したくなっただけ」


「…君の性的志向は理解しているつもりだが、他人と自分のそれを同一視するのはどうかと思うが?それとも、パートナーと感情の行き違いでもあって、その苛立ちを我々にぶつけるという原始的な方法で、気分解消を図っているのかな」


「あら、いやだ!!」


 アメリアは大きく目を見開いて掌をひらひらさせながら笑い出した。


「勘違いしないでよ!ララと喧嘩して、その腹いせにあなた達に八つ当たりしているとでも思ってるってわけ?!私は純粋にフィオナが羨ましいだけよ。どうやったら、あんなにいい子が生まれるのかしら?参考にするから聞かせて、ユーリー」


「確かに、遺伝子のハイブリット配合が上手くいった。フィオナは優良遺伝子が多発現した稀有な個体だ。細胞の分裂が非常に安定していて、どこにも癌化は見られない。成長も順調だ。この異種混合生体実験は成功したと見て良いだろう」


「私が聞きたいのはそう言う事じゃなくて」


「分かっている」


 ユーリーはアメリアの言葉を遮った。


「君を失望させるつもりはないが、フィオナのパーソナリティーは、俺の作ったDNAパターンには考慮されていない。そこには干渉していないんだ。それに関しては、ニコラスから多分に資質を受け継いだのが大きいだろう」


「それって、偶然ってこと?」


 アメリアが感慨深げに口笛を吹いた。


「そうだ。遺伝子配列を百パーセントデザインするのは不可能だからな。特にパーソナリティーは。自然に発現させる方が安定する。細胞は機械とは違うんだ。性格、容姿、頭脳、全てを思い通りに設計しようとすると、遺伝子のどこかが必ず破綻をきたして、肉体がダイレクトに異常を起こす」


「ダイレクトな異常って、何?」


「具体的に言うと、生物として正常な機能と形態を保って生まれてこない。要するに奇形だ」


「なるほど。フィオナは幸運にも、ニコラスの性格を受け継いだって訳ね」


 アメリアが意味あり気に含み笑いを漏らす。


「私がララをパートナーに選んだように、あなたがニコラスの細胞を使った理由が分かったような気がするわ」


「俺の作った異種細胞結合遺伝子が、あいつの生殖細胞との間に抜群の安定性を見出せた。ただそれだけの事さ。性格は親から受け継いだ資質以上に、環境に大きく作用されるものだ。それは経験上、お互いイヤという程知っているだろう?」


(あら、可愛いこと。このお利口さんったら、素直な言葉遣いがホントに苦手なんだから)


 アメリアは大きな目を半分にしながら、ユーリーを見据えた。自分がこの男と同じ環境で育ったのは事実だが、圧倒的な違いがあるのは自覚している。


(あなたの気持ちは理解出来なくはないけど、いつまでも憎しみを背負って生きるのは私の趣味じゃないしね)


「とても興味深い話をありがとう。参考になったわ」


「それは良かった。」


 アメリアの派手なウインクに、ユーリーは無表情に言葉を返して肩を竦めた。


「ところで、ユーリー、私とララの赤ちゃんなんだけど」


「問題ない。君の皮膚の細胞を初期化(リプログラミング)して人工多能性幹(アイ・ピー・エス)細胞を製作し、分化誘導させた。君の生殖細胞とララの卵子との受精卵は、安定した細胞分裂を繰り返して、九か月の胎児にまで育った。今月の検診結果を見たが、どこにも異常もない。あと一か月もすれば、元気な赤ん坊が生まれるよ」


「嬉しい!あと少しで、私はパパになるのね!」


 アメリアは興奮で目を輝かせながら、自分の胸の上で両手を重ねて押し当てた。


「あなたについて来て、本当に大正解だったわ」


 アメリア・バートンとララ・メイは、二人の間に子供を儲けたいという願望を叶える為にユーリーと行動を共にした。

 同性同士から作った生殖細胞を使って子どもを作る事などガグル社では日常になっているのだが、彼女たちは自然分娩で子供を産みたいのだという。

 出産は母体となる人間の身体に過度な負担を掛ける為、ガグル社では禁忌となった行為だ。

 ユーリーの左腕に装着してあるリング状PCが甲高い鈴の音を立てた。


「ワンリン博士からだ」


 途端にアメリアの顔が嫌そうに歪んだ。

 アメリア・バートンとシン・ワンリンは犬猿の仲なのだ。


「どうしました?博士」


 ユーリーは自分の手首に顔を向けた。自動で手首から垂直に立ち上がったホログラムにワンリンの表情のない顔が浮かんだ。


「ニドホグの人工脳神経の調整が済んだ。確認して貰えんかね?U11113REー5Y」


「その呼び方は止めなさいって、いつも言っているでしょ!ワンリン博士!!」


 アメリアはユーリーの腕を掴んで自分の顔面にホログラムを引き寄せると、ワンリンに向かって声を荒げた。


「バートン女史、何をそんなにムキになっている?私は彼を尊敬(リスペクト)しているからこそ、本来の名で呼ぶのだよ。君たちのように馴れ合いを優先して、彼を通称で呼ぶような友情ごっこには興味ないからね」


 ホログラムに映るワンリンが取り澄ました表情で嘯いた。アメリアの眉がぐいと吊り上がり、引き攣った唇から白い歯が剥き出しになる。


「この!」


「ご苦労様でした」


 ユーリーは激高したアメリアをホログラムから引き剥がした。


「ワンリン博士、すぐに確認に伺います」


「そうしてくれ」


 素っ気ない言葉を残してワンリンからの通信は切れた。


「ユーリー、何であんないけ好かない奴を一緒に連れて来たのよ?」


 噛みつくような口調で、アメリアが(まく)し立てた。


「脳神経研究に於いて、ガグル社の中でワンリン博士より優秀な人間はいない。それにね」


 ユーリーは短く息を吐いて苦笑した。


「彼は、俺の脳に異常なくらいに興味を示していてね。全面協力する代わりに、俺が死んだら、この脳細胞を量子レベルまで調べ上げたいんだそうだ。互いに利のある条件だ。契約としては、そんなに悪い話ではないだろう?」


「あの、異常者!脳みそにしか興奮しない変態野郎が」


 アメリアは心底嫌そうな表情で罵詈雑言を口にした。


(そこはお互い様だろう)


 ユーリーは胸の内で呟いた。ワンリンの目には、人工子宮ではなく、自分の胎内で子を育み自然分娩を実行しようとするアメリアとララの行為の方が異常と映っているのだ。


「自然分娩だと?不衛生極まりない!あの女どもは気でも狂ったのかね?それとも、ただの変態か?」

 

 そう言ってワンリンが身震いしたのは、アメリアには絶対に内緒だ。

 耳に入ったが最後、ワンリンはアメリアの作った戦闘用ロボットのガトリング銃で、身体をミンチにされてしまうだろう。

 彼女たちの原始的欲求はユーリーにも理解出来ない。だが、その願いを叶えると約束したことで、アメリア・バートンとララ・メイという二人の天才科学者を懐に引き入れられたのは運が良かった。

 シン・ワンリンと共にガグル社が誇る最高の頭脳を手中に収めた。お陰で、アメリカ軍が仮死状態にして保存していた海兵の脳と身体を使って、最強のサイボーグ兵士として甦えらせることが可能になったのだから。

 彼らの救世主である伝説の戦士、マイク・マクドナルドを復活させたことで、ロング・ウォーで疲弊したアメリカ軍を奮い立たせることに成功した。


「君がララと一緒にトランシルバニア・アルプス・アメリカ軍基地に来てくれた事に感謝しているよ、アメリア。お陰で、百年以上停滞していた時代が、やっと動き出す」


「違うわ、ユーリー」


 ユーリーの言葉で怒りを解いたアメリアが、妖艶に微笑み返した。青い瞳が怪しく光る。


「エンド・ウォー以後、全てが退化した時代を安穏と生きている人間たちを躍らせてやるのよ。私たちの手の中でね」



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