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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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元凶


「我々は独裁国家ではないからね。あのような強権を振るうつもりは毛頭なかった。だがそれも時と場合による。国が崩壊寸前になったら、話は別だ。たとえ、山や地下に穴を穿って作った基地だけの国家だとしても」


「あなた方アメリカ人は、エンド・ウォーでヨーロッパの地に避難して来てからは受難の連続でしたからね。強靭な精神をお持ちでなかったお父上が信仰に逃げるのも、仕方のない事だったのでしょう」 


「そうだな」


 ウォーカーはゆっくりと頷いた。


「父は弱く、凡庸な人間だった。迷える羊の一頭でしかなかったのに、先頭に立たされてしまった。そんな男が副大統領となって、超大国アメリカの末裔を導く大役を担える筈がない」

 

 ウォーカーは眉間に皺を寄せて、嫌悪の表情を露わにした。

 成長するにつれ、父に尊敬の念など微塵もなくなっていた。思春期の頃には、憎しみまで抱くようになっていた。

 家族思いの優しい男ではあった。

 だが、副大統領の地位を預かる器とはお世辞にも言い難く、軍の中枢にいる強硬派と穏健派の間をふらふらと行き来して基地内部の対立を招いた。

 軍の規律を立て直すため、ウォーカーは粛清を行った。父の優柔不断が息子の手を同胞の血で染めたのだ。


「私は違う。自分が副大統領(ウォーカー)一族としてこの世に生を受けたことに、何の疑問も持っていない。これからもそうだ。私は私の使命を全うする」


「あなたのような卓越した決断力と統治能力をお父上がお持ちであれば、ロング・ウォーの在り方も随分と変わっていたかもしれませんね」


 ウォーカーは自分の正面に座る男の言葉に同意するように笑みを浮かべた。


「エンド・ウォー直後の我が軍の生き残りを統率した初代アメリカ副大統領(プライマリー・アメリカ・ヴァイス・プレジデント)からすれば、私の能力など彼の足元にも及ばないだろうがね。

 彼は、百五十年前、エンド・ウォーでミサイルの集中砲火を浴びた祖国から生き残ったアメリカ人を空母に乗せて脱出し、ヨーロッパ大陸を目指した。空母に向かって襲い掛かかってくる数多のミサイルを破壊しながら、絶体絶命の危険を掻い潜ってこの地に到達したのだ。

 実際、戦艦、イージス艦、駆逐艦の半数は攻撃をかわし切れずに、火の海の中に沈んでいったと記録されている。

 彼の決断力と統率力が無かったら、我々はこの世にはいまい。今の我々が、アメリカ人としてこの世に存在するのは、彼の超人的な努力の賜物だ。だから我々は、彼の遺言を実行して、必ず故郷に帰らなければならない」


「その中に私も含まれていると、あなたは仰りたいのですね?副大統領閣下(ヴァイス・プレジデント)


「そうだな。君の父親となる人間も、当時はアメリカ人だったからね。彼がエンド・ウォーを生き伸びたお陰で、君が生まれたのだから」


「派生したの間違いでは?」


 男が笑いながら正すのを、ウォーカーは興味がなさそうに首を振った。


「言葉の綾など、私にはどうでもいいことだよ。誰が何と言おうと、ユーリー、君はアメリカ人の血を引いた人間なんだ。私が言いたいのはそれだけさ」


「裏切り(ユダ)の血だ。それでもあなたは、私を信頼してくれた」


「君は我がアメリカ軍の救世主だからね。君たち五人の天才科学者のお陰で、アメリカは再びエンド・ウォー以前の力を取り戻そうとしている。信頼しない訳がない」


「あなたが我々の要求を全て飲んでくれたからです。こちらとしても、協力を惜しむ理由はない」


「私は早く次の段階に進みたいだけだよ。いつまでもウォシャウスキーの戦争ごっこには付き合ってはいられないからね」


 戦争開戦当時ロシアと欧州の争いに中立の立場を取っていたアメリカは、ロシアのヨーロッパ統一など、関心の外にあった。

 ロシアと軍事同盟を結んだのは、ウォーカーの父である前副大統領が、エンド・ウォーを生き残ったアメリカ人の子孫が安住出来る土地を分けて貰いたいが故に、取引を持ち掛けて来たウォシャウスキーに平伏して尻尾を振ったからだ。

 心身が脆弱だった先の指導者は、トランシルバニア・アルプスに穿たれた巨大な洞窟基地の中で、周辺の殺伐とした荒地と陰鬱に広がる暗い森林地帯で、突風が強く吹き付ける山脈特有の厳しい気候に薄弱な身心を鬱屈させていった。

 ロング・ウォーの戦勝国となり独立共和国連邦を支配下に置いた暁には、ヨーロッパ南西部の土地を与えるとのウォシャウスキー将軍の申し出に飛びついた彼は、先代達が堅守して来た中立を破って、ロシアの将軍と軍事同盟を結んでしまった。

 ロシア軍に手を貸すことになったアメリカは、自国の貴重な武器と兵力を、半砂漠化した戦域で消耗しなければならなくなった。


 それから十年以上の歳月が無為に流れた。

 

 長い戦争の果てに、自国から脱出する時に空母の船底一杯に積んで来た金塊も底を尽きかけ、アメリカ海兵隊の子孫で構成されている勇敢な兵士さえも、ロシアの手先として使われる現実に誇りを失いかけていた。


「カナンの地を夢見た哀れな父は、完全にウォシャウスキーに騙されたのさ。耳元で甘言を囁く悪魔を救いの神と勘違いして、愚かな誘惑に乗ってしまった。アメリカ兵がロシアの消耗品に成り下がったことに気付いたところで、後の祭りだ。父は、自分の浅はかな行動に身動きが取れなくなって、果ては神に縋った」


 あの男を暗愚と言わずして何と言おう。

 どす黒い怒りがウォーカーの腹の中でとぐろを解き這いずり回った。

 母亡き後、幼い息子の涙が乾くのも待てずに、あの世話役の女を妻に据えた男を。


「この戦に勝ったところで、ロシアが約束通りに温暖で肥沃な土地をアメリカ人に与えると思うかね?この基地以外にアメリカ人を守ってくれる場所など一体どこにあるというのだ?笑止の極みだ」


 ウォーカーは顎を仰け反らせて高らかに笑った。

 乳白色を放つ電球のはめ込まれた天井を仰いだついでに首をぐるりと一周させて、自分の執務室を見渡した。

 天井は高くないが、執務室の横幅は驚くほど広い。備品は、百五十年前に空母の司令官室から外してきたものだ。

 磨き込まれた木製のクロ-ゼットやキャビネットは、プロシアの市場にでも売りに出せば、アンティークに目がないラッダイトの金持ちが群がって驚くほどの高値が付くだろう。


 急峻な山脈の硬質な岩をくり抜いて作った基地は、核ミサイルにも耐えられるように設計されている。基地内部が隙間なく重たい灰色した壁材で覆われているのは、エンド・ウォー以後、大気にまき散らされた人体に悪影響のある化学物質を吸着し分解する為だ。


 この材壁のお陰で、アメリカ人はヨーロッパに住む人間よりも重篤な病に罹患する確率が低いのだ。この重厚で頑丈な要塞は、いかなる敵をも寄せ付けない。

 初代副大統領が生涯をかけて作り上げた完全無欠の要塞は、皮肉にも彼の玄孫であるウォーカーの父の精神を蝕んでしまった。


「それもこれも、最初からヨーロッパ諸国が我々を受け入れてくれていれば、ロシアと同盟など結ばなくて済んだ話だ」


「エンド・ウォーで荒廃した自国を立て直すのに精いっぱいだったからですよ」

 

 ユーリーは、今更だと言わんばかりの表情で肩を竦めた。


「どの国も疲弊し切っていて、海を渡って来た同盟軍の人間の身の振り方など、頭の片隅にもなかったのでしょう」


「我々は、その疲弊しきった国々の手助けに奔走した恩人なのだがね。国が安定し始めると、共和国の狭量な指導者どもはアメリカ人を無下に扱った。トランシルバニア・アルプスに住み着く羽目になったのもそのせいだ」


 いいや、違う。ウォーカーは自分の言葉を頭の中で否定した。

 

 あの男が自分の国家を作ろうと、祖国であるアメリカを裏切ることなどしなければ、この世界は自分達にとってもう少し住みやすい場所になっていた筈だ。


(それだけの技術力を当時のアメリカ軍は持ち得ていたのだ)


 超大国アメリカの下に生き残ったヨーロッパの国々を集約していれば、僅かな利権を争って国同士の小競り合いが起きることもなく、果てはロング・ウォーに発展することもなかった。

 エンド・ウォー後の少ない資源と貴重な人力を戦争につぎ込んで、愚かな人類は進歩を止めている。


 全てはあの男、ファン・アシュケナジが元凶なのだ。


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