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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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街路灯


ブクマ及び評価ポイントを付けて下さった方々、本当にありがとうございます!

頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。






「あんた、結構やるじゃないか。なよなよしたお坊ちゃんだと思っていたんだが」

 

 ヤノシュが地面にへたり込んで腰をさすっている。

 ハインラインに放り投げられるように降ろされて、留置所の床で打撲した尻を石畳の歩道に再び打ち付けたからだ。


「政治家は体力がないと務まらないからな。こう見えても私は日頃から身体を鍛えているんだよ。まあ、君を抱えてあれだけ走れたのは、火事場のくそ力というやつだが」


「俺をもう少し丁寧に扱ってくれていれば、あんたに対する評価をもっと上げてやるんだがな。メガネを落とさないようにするのに必死だったよ」


 減らず口を叩くのは忘れない男だ。ハインラインは腹立たし気に顔を顰めた。 


「小柄とはいえ、お前は立派な大人だからな、ヤノシュ。軽くはないお前の身体を抱えて必死で走った私に、ありがとうくらい言って貰いたいもんだ」


「謝辞を強制するのは感心しないな。大人げないぞ」


 ヤノシュのぬけぬけとした言い様に、ハインラインの頭に血が上った。


「君って奴は、何でそう、憎まれ口しか叩けないんだ?!」

 

 静まり返った路地にハインラインの声が、きん、と響いた。

 慌てて口を押えて辺りを見回す。人の気配がないのを確認してから、ハインラインは声を潜めてヤノシュを叱責し始めた。


「もう少しで警備兵に捕まるところだったんだぞ!全く、なんて安直な脱出作戦だ。君の安請け合いに身を任せた私がバカだった」


「経過はともかくノイフェルマンから上手く逃げおおせたんだから、いいじゃないか」


 とぼけた表情でヤノシュがさらりと言い返す。


「上手く逃げおおせただと?」


 ハインラインはがっくりと肩を落とした。


 政府や軍の建物の周りには煌々と輝く街路灯も、中心街から少し離れてしまえばオレンジ色の淡い灯が今にも消えそうに揺らめいているだけである。

 弱々しい光はハインラインとヤノシュの足元にまで届かずに、途中で闇に飲まれ消滅していた。


(まるで私の行く末を暗示しているようだ…)


 ハインラインは思わず身体を震わせた。


「ヤノシュ、お前はそうだろう。何の影響力もない平民党の新人議員が一人いなくなったところで、誰も気に止めやしないさ。だが、私はそうはいかない。一応、首相の身分だったからな。勢いで留置所を飛び出して来てしまった私は、これからどうすればいいんだ?行く当てなんか、何処にもないんだぞ!」


 いくらノイフェルマンの策略に使われたとはいえ、留置所から逃げるなど首相としてあるまじき行為だった。

 反論の機会を自ら閉じてしまったのだ。あまりにも軽率な行動だったと、今更ながらハインラインの胸に後悔の念が押し寄せてくる。

 重い疲労感を覚えたハインラインは、薄暗い街燈にぐったりと背を預けながらヤノシュを見下ろした。


「今頃、議事堂内では大騒ぎになっているだろう。失踪したことによって、私は軍事同盟に加担した裏切り者として軍の喧伝に使われる。これじゃあ、ノイフェルマンの思う壺じゃないか」


「それはどうかな」


  ヤノシュが地べたに尻を付いたまま、からからと笑い声を立てた。


「こんな非常時につかぬ事をお聞きしますが、プロシアは一応、民主共和制だったんですよね?ハインライン“元”首相殿」


「何故、急に慇懃な口調で話を変える?私に対する嫌みのつもりか?」


  腹立たしさ半分、怪訝な面持ちでヤノシュを見ると、ハインラインを見上げ凝視している小男の目が暗闇の中で鋭く光っている。その威圧感に押されてハインラインは不承不承話を合わせた。


「そうだ。主権は人民にある。市政も国政も直接選挙で議員を選出しているじゃないか」


「これまではな。だが、ノイフェルマンがクーデターで議会を掌握した時点で、議会制民主主義に終止符が打たれた。これからプロシアは軍の独裁国家だ」


「ああ…。そうだな…」


 自分に鋭い光を当てたままのヤノシュの瞳から逃げるように顔を逸らして両手で顔を覆うと、ハインラインは力なく呟いた。


「長らく続いた共和制は、今日、終焉を迎えた。名ばかりの民主主義国家ではあったけれどね」


「さすがに建前だったって事は、あんたも承知しているんだな」


 ヤノシュが忌々し気に鼻を鳴らした。


「軍と貴族と金持ちに都合のいい民主主義だ。エンド・ウォーで生まれた多大な数の難民をそのままにして貴族制を復活させても、人は平等だとぬけぬけと言いやがるこの国の憲法を、俺たちみたいに力の無い人間は文句も言えずに抱かされていた。それに、見ろよ」


 ヤノシュは顎をしゃくって周りをぐるりと見渡してから、ハインラインを睨み付けた。


「深夜という時間でもないのに、この街の暗さはどうだ?中心部から少し離れたら、これだ。暗過ぎる夜道は危険だからな。人っ子一人歩いていない。この国がどんな状態になっているのか知る絶好の機会だぞ。顔を上げてその目に焼き付けるんだ、ハインライン。ロング・ウォーで疲弊した財政は、プロシアの首都ベルリンの街燈にまで及んでいる」


 そうだ。ヤノシュに言われるまでもない。

 ハインラインは街灯を見上げた。分厚いガラスの中に灯る息も絶え絶えの弱々しい光は、まるで用を足してない。


「本当だ。誰も表を歩いていない。ガスも電気も不足しているのは分かってはいた。だが、これ程とは」


「最近は、明り取りのランプに使用する油さえも高騰している。どの家の窓からも洩れる明かりは僅かだ。一晩中煌々と照らされた照明の下にいる貴族や金持ちのラッダイトの邸宅からは、どんなに目を凝らしたって、こんなに暗い街が見える訳がない。それがお前の場所だったんだぞ、ハインライン。光の中にいる人間には暗闇は見えない。気にもかけない。満足にランプも使えない俺たち貧乏人の姿なんか、想像もできなかっただろう?」


「確かに、そうだ」


 ヤノシュは正しい。

 何も知らないまま、ハインラインは首相の座に就いたのだ。

 古き血の誇り高き伯爵家の御曹司。プロシア期待の若き首相。追従を述べる人間に囲まれて、得意になっていた。

 ヨーロッパの一等国であるプロシアを担うに足る存在であると、ついこの間まで無邪気に信じていた。共和国連邦軍がアウェイオンで軍事同盟軍に大敗するまでは。


「はは、は」


 虚ろな笑い声がハインラインの口から自然とこぼれ出た。ヤノシュがぎょっとして目を瞠る。


「プロシアはヨーロッパ随一の大国だと自負してきた。それがどうだ。首都の街なかに満足に街燈も灯せない国だったとはな」


 ハインラインはがくりと肩を落として項垂れた。


「言い過ぎたよ、ハインライン」


 暗がりでもハインラインの酷く落ち込む様子が十分過ぎるほど分かって、ヤノシュは困ったように頭を掻いた。


「プロシアがこうなったのは、あんたのせいじゃない。あんたが首相になってからまだ日は浅いんだし。それに、その若さで首相になれたのだって、軍と貴族、ラッダイトの三派に都合がいいからだ。みんな知っている事さ。だから、あんたが責任を感じる事なんか何もない」


「それが私に対する慰めの言葉だというなら、お前をぶん殴るぞ?エルミア・ヤノシュ」


 ハインラインはヤノシュを睨み付けた。

 薄明りの中でもその表情は見えたようだ。ヤノシュは思い切り首を上に向けてハインラインを凝視しながら、にやりと片頬を上げた。


「ふん、いつものあんたに戻ったな。こんな所でめそめそと泣き出すような奴だったら、ここに放り出したまま行っちまおうと思っていたんだが、大丈夫なようだ」


 よっこらせと掛け声を出しながら、ヤノシュはようやく石畳から立ち上がった。


「軍の奴ら、俺たちが逃げ出したことにさすがに気が付いているだろう。こんな暗がりの中でひそひそ話を続けていたら、警察に通報されちまう。行くぞ、ハインライン」


「行くって、何処へ?」


 ちょこちょこと歩き出すヤノシュの後をハインラインは慌てて追い掛けた。

 ヤノシュはちびだが、足は意外に速い。少しでも目を離すと、その小さな身体はすぐに暗がりに溶け込んでしまう。

 早く議事堂から離れようと、足の向くままに走って逃げて来た。自分が何処にいるのか見当もつかない。ハインラインは置いて行かれまいと必死でヤノシュの後を追った。


「あんた、留置所で俺をネズミと言ったよな」


 小走りのヤノシュが、後ろから付いて来るハインラインに振り向きもせずに言った。

 ヤノシュは留置所でハインラインが口にした悪態を今になって思い出したらしい。随分と腹を立てているようだ。右も左も闇に沈んで何も見えない。こんな所に置いて行かれるのはご免だ。


「言った。腹を立てているとはいえ、無礼な言葉だった。気に障ったのなら謝っておく」


 ハインラインの素直な陳謝に、ヤノシュは小さな笑い声を立てた。


「あんた、本当に正直な奴だな。多少はムカついたが、怒っているわけじゃない。だって俺は、本当にネズミなんだからさ」


「何だって?」


 思わず足を止めたハインラインを、数歩前から振り向いたヤノシュが不敵な表情で見つめる。


「国家転覆を狙う、ネズミの一匹なのさ」


「コッカテンプク…」


 呆けた様にオウム返しで言葉を口にするハインラインに、ヤノシュは面白そうに手招きした。


「あんたを俺の隠れ家に案内しよう。お尋ね者になっちまった“元”首相殿!」


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