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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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脱出・1


「ここから逃げ出すだと?どうやって?」


 ハインラインは驚いた声を上げた。コンクリートの壁に反射して響いた自分の声に怯えて、ヤノシュを持ち上げたまま留置所の扉に肩を押し当て辺りを見回した。

カビ臭い留置所に入っているのはハインラインとヤノシュだけらしく、人の気配がしない。

 ノイフェルマンのクーデターにプロシア連邦議員は誰一人異議を唱えず、皆、唯々諾々だった。そのせいだろうか、留置所には監視役の一人も付いていない。

 元々が軍とラッダイト、それから日和見主義の貴族の傀儡政権だ。最初から何の力もない人間に、見張りを付ける価値もないのだろう。


「まずは、手を、離せ」


 顔を真っ赤にして苦し気にもがくヤノシュの首から、ハインラインは両手を外した。

 上背のあるハインラインが急に手を離したせいで、床に尻と腰を思い切り打ちつけたヤノシュが痛みに呻き声を上げる。


「痛てて。乱暴な奴だ」


「で、どうやって、ここから逃げ出そうっていうんだ?」


 ヤノシュの前にしゃがんでハインラインが睨み顔を寄せた。


「苦し紛れに口から出まかせを言った訳じゃないだろうな?」


「俺は、嘘なんかつかないさ」


 痛む尻をさすりながらヤノシュは立ち上がった。留置場の扉に顔を押し当てて、頑丈な鉄柵の(あわい)に手を差し入れる。

ハインラインの腕ならば手首の上までしか入らない檻の隙間を、ヤノシュの細い腕がするりと潜り抜けた。手先が細かく動いて暫く鍵穴を探っているうちに、カシャンと小さな音がした。


「鍵を開けたのか?!」


「これでね」


 目を丸くしているハインラインに、ヤノシュは得意満面の笑みで親指と人差し指で摘んだ細いヘアピンを見せた。


「すごいな。君は泥棒技術も習得しているのか」


「その言葉は聞き捨てならんな。手先が器用なだけだ。ここの鍵はこの檻が作られた頃と同じ古い時代のものだ。構造がとても単純だから、練習すれば誰にだって開けられる。まあ、ズボンの上げ下ろしも乳母に手伝ってもらっていたような上級貴族のお坊ちゃんには無理かもしれないが」


  ヤノシュは小声で話しながら留置所の扉をそっと押し開けた。キイッと金属の擦れ合う音が、留置所の廊下に微かに響く。


「誰もいないな」


 左右をすばやく確認してから、ヤノシュが鉄柵の中から身体を滑らせ外に出た。

 ヤノシュに続いて、ハインラインも注意深く辺りを見回しながら留置所から抜け出した。

 見せしめの為に作られた留置所はそう大きくない。だから地下通路は一本だけで、それほど長いものではない。

 湿気のこもった通路を二人は足音を立てずに速足で歩いた。

 地下の通路はすぐに行き止まり、階段となって地上に通じている。だが、さすがに留置所に通じるだけあって、階段の上がり口には留置所のものより頑丈な鉄柵の扉が行く手を阻んでいた。


「この鍵も開けられるのか?」


 ハインラインがヤノシュに尋ねると、鍵を弄り回す小男の顔が見る間に険しくなった。


「この鍵は留置所のものより複雑だ。そう簡単には開かんぞ」


「他に何があるのか知らないけど、解錠は君の特技の一つなんだろう?」

 

  ヤノシュの手元をハインラインは興味深げに覗き込む。


「うるさいな。口を閉じてろよ、ハインライン。集中させろ」


 小声で叱咤しながら、ヤノシュはヘアピンで鍵穴を掻き回した。


「あ」


  小さな声を上げたヤノシュが、鍵を弄り回す手を止めた。


「開いたのか?」


 ハインラインの開いた口をヤノシュは慌てて手で覆い塞いで、その耳に口を寄せる格好で急ぎ囁いた。


「兵が二人こっちに来る。一人は配膳係のようだ。どうやら夕食の時間らしい」


「何だと?」


「一旦、留置所に戻るぞ」


 ヤノシュは慌てふためくハインラインのシャツの袖を引っ張って、階段を駆け降りた。

 転がるように檻の中に戻ると、そっと扉を閉めて鍵を元通りに施錠する。


「なんだ。振り出しに戻ってしまったじゃないか」


 あからさまに肩を落とすハインラインにヤノシュはニヤリと笑った。


「いやいや、首相、これからが勝負だよ」



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