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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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平民ヤノシュ


「それも大学の同学部同学科の先輩だったとは。大変失礼した」

 

 ハインラインの殊勝な言葉に、ヤノシュは勝ち誇ったように鼻息を荒くした。


「一つじゃない!三つ年上だ」


「そんなに年上?!」


「そんなとは何だ!三つしか違わないだろうが!」


「失敬した。私より、その、三つ以上年下かと…」


 決まり悪そうなハインラインをヤノシュはじろりと見つめた。


「気にするな。若く見られるのには慣れている。このメガネのせいだ」


 ふんと鼻を鳴らして、鼻梁からずり落ちて小鼻に引っ掛かっている丸い眼鏡を押し上げる。

 ハインラインはヤノシュの顔をまじまじと見つめた。

 眼鏡の分厚いレンズで異様に大きく見えるヤノシュの目は、確かに老成したように落ち着き払っていた。よく見ると小さな顔も年相応にくたびれている。

 だが、それを差し引いても、発育不全にしか見えない細い首や狭い肩の線が、成人した男性とは程遠い体付きではある。


「とにかく、俺はお前の先輩だ。近年稀にみる成績優秀者で、国から無償の奨学金を貰えるっていうから、連邦大学に入ってやったんだ。学科を首席で卒業して、すぐに連邦弁護士になった。優秀な俺に目をつけた平民党が是非とも連邦議員になってくれと何度も足を運んで来たから、議員になってやったんだ」  


「知りませんでしたよ。そんな伝説的に優秀な人物が、我が母校にいらっしゃったとは」


 嫌みを言ったつもりが、それには気付いてないらしいヤノシュは、満足げに大きく頷いた。


「ふむ。分かればよろしい」


「それで、そんな優秀な人間が、どうしてこんな薄汚い牢屋に入っているんだ?」


「議会であんたを追い込めようとした俺の質疑が、ノイフェルマンに利用されたからだ。認めたくないが、奸計を立てる能力はあちらの方が上だったってことだ」


 得意満面のヤノシュの顔が瞬く間に膨れっ面へと変化した。余程悔しかったのか、ぎりぎりと歯まで鳴らしている。


(どこまでも自意識過剰な奴だ)


 半ば呆れ顔でハインラインはヤノシュ不機嫌な表情を拝んだ。


「確かに、確信を突いた君の弁舌には参ったよ」


 自分の目の前で踏ん反り返っている貧相な小男に皮肉を込めた言葉を送る。


「この際だから君には本当の事を言っておこう。ロング・ウォー終結に向かっての休戦協定と議会で訴えていたが、あれはとんだ嘘っぱちだ。ロシアにポーランド州を移譲するというのも偽りの議案だ。わざと議会を膠着状態にさせて決議を引き延ばす為の策だったんだ」


「えっ?!」

 

 ヤノシュの得意満面の表情が見る間に崩れていく。


「一体、どうしてそんなことを?」


「我々がアウェイオン決戦で軍事同盟軍に負けたからだ。連邦軍の前線に配置されていたプロシア軍の部隊は、ほぼ壊滅状態だ」


 暗い面持ちで、ハインラインはヤノシュに真実を打ち明けた。


「な、何だって!!」


 ヤノシュのどんぐり眼が一際大きく見開かれた。


「そ、そ、それは、本当なのか!」


「君は私の嘘を見抜いていたんだろう?だから連邦軍の敗戦をあれだけ明確に言い当てた」


 ヤノシュの童顔が瞬く間に蒼白になった。

 噴き出した汗で、分厚いレンズのメガネが細い鼻梁から再びずるりと滑り落ちる。


(あれがハッタリだったとは、口が裂けても言えないぞ)


 小鼻の膨らみに引っ掛かっている眼鏡の位置を元に戻しながら、ヤノシュは努めて冷静を装った。


「まあ、そうだ。そういう事だ。うん」


 忙し気に頷く小男の顔を眺めながら、ハインラインは話を続けた。


「我々独立共和国連邦軍は、軍事同盟軍にアウェイオンで大敗した。ウィーンの会議で休戦協定を締結する見返りとして、ロシアの将軍セルゲイ・ウォシャウスキーがポーランド全州移譲を要求してきたんだ。我々が軍事同盟に屈服したと見せかけて、壊滅状態の連邦軍を立て直す日数を稼ごうというのが、オークランドとノイフェルマンの計画だった。

 私はその案に乗った。…乗るしかなかった。目の前に国家の危機が迫っているんだからな!議会で必死に嘘偽りを叫び続けた。それがまさか、クーデターで我が身を追い落とされる口実に使われるとは!!」

 

 怒りと屈辱で脂汗を浮かべながら、ハインラインが悔しそうに言葉を吐き捨てる。引き攣る口から語られる真実を、ヤノシュは黙って聞いていた。


「ヤノシュ、平民出身で一般議員の君には、これは一時的な処置だろう。大人しくしていれば、すぐに留置所から出して貰えるさ。私は暫くここに入っているようだろうが」


 力なく溜息を吐いて、ハインラインはベッドに崩れ落ちるように腰を下ろした。


「この薄汚れた牢屋に留め置かれているだけなら、まだマシという事になる。首相の座から引きずり降ろされた私には、これからどんな処遇が待っているやら。考えたくもないよ」


「あんたの家系は有力者が多いんでしょう?」


 ヤノシュが上目遣いにハインラインを眺めてから、もぞもぞと口を動かした。


「奥さんの家系はプロシア随一の名家のハプスブルグ家だし。ノイフェルマンだって、上級貴族のあんたをぞんざいには扱えない筈だ」


「さて、どうだか」


 ハインラインが面白くなさそうに肩を竦める。


「ハプスブルグ家はプロシア共和国からポーランド独立及びハプスブルグ家の王政復古を唱えている。君も知っているだろう?例のウィーン一派さ。しかも、私の妻の父親は、独立を画策するウィーン一派の筆頭ときている。軍には目の上のたん瘤だ。私は義理の父とプロシア軍のどちらからも人身御供にされる可能性がある」


「ああっ、何ていう悲劇だ!ハインライン、君の高貴な身分は今や何の助けにもならないどころか、自分の首を絞めてるってことか!気の毒過ぎて、もはや慰める言葉も出ないよ」


 ヤノシュはベッドに座ったまま、大袈裟に両腕を宙にひらひらと泳がせた。


「いいや、待てよ。その上級貴族の気品とハンサムな顔立ちで、君は必ずや後世に小説のモデルとなる。そして、その名を多感な少女たちの間に知らしめるだろう。非業の死を遂げた若き首相として!だからあまり気を落とさず、に?」


 突然、逞しい腕にシャツの胸元を掴まれて、ヤノシュは言葉を飲み込んだ。

 ベッドの上に膝立ちになりながら、ハインラインの鬼と化した形相が迫ってくるのをどんぐり(まなこ)で見上げた。


「誰が非業の死を遂げるって?!いつまで減らず口を叩いているんだ、ヤノシュ!」


 激高したハインラインが、ヤノシュのシャツの襟首を交差してその細い首を締め上げる。

 ハインラインの両手から必死で首を引き剥がそうとヤノシュがもがいた。

 びりびりと嫌な音がして、シャツが破れた。

 手の中に残された千切れたシャツの切れ端を唖然として眺めるハインラインの背後に、ヤノシュが逃げる。


「お、落ち着けハインライン!俺を絞め殺したって何の得にもならんぞ!」


「殺さないまでも、その口が聞けないくらいにはぶん殴ってやる!」


 拳を振り上げて後ろを向けば、ヤノシュは驚くほど速く身を翻して、ハインラインの背中に回った。小さい身体を最大限に生かして、狭い留置所の中をくるくると逃げ回る。


「何だ、お前は?ネズミの生まれ変わりか?」


 息の上がったハインラインはヤノシュを捕まえるのを諦めて、ベッドにぐったりと腰掛けた。


「はあ。何て、ちょこまかした奴だ」


「逃げ足が速いのは特技の一つだ」


 ヤノシュは肩で息をするハインラインの正面に立って踏ん反り返った。両手を腰に当てて得意げに、ふふんと鼻を鳴らす。


「自慢することか!!」


 ハインラインは隙を見せたヤノシュの細い首を素早く掴んだ。そのまま立ち上がると怒りに任せてぎりぎりと力を籠める。床から浮いたヤノシュの爪先が、パタパタと宙を蹴った。


「単純な男だ。こんな簡単な演技に引っかかりやがって!」


「おやまあ、伯爵様が随分と口の悪い」


 ヤノシュが口元を苦し気に歪めながら嫌味を吐き出した。


「貴様、本当に、このまま絞め殺してやろうか?!」


 怒りが頂点に達したハインラインが指に力を込めた。ぎりぎりと首を絞められたヤノシュの顔が酸欠で赤くなっていく。


「ハインライン、俺を殺したら、あんたはこの留置所から逃げ出せなくなるぞ!」



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