大敗走 ※
「はい。もう、大丈夫、です」
荒い息をしながらケイは答えた。情けなくて涙が滲んだ。
「私はリンダ・メリル。ダガー部隊所属の一等兵です」
リンダと名乗った女性兵士はケイに優しく手を差し伸べた。
幼子のように手を差し伸べられているのが悔しくて、だけどその手を無下には払えずに、ケイはリンダの手に引き上げられるように立ち上がった。
「あなた、名前は?」
「ケイです。ケイ・コストナー」
「ケイ。すごいわね。あなた、奇跡的に助かったのよ」
リンダは微笑んではいるが、ケイを見るその瞳は驚愕で溢れ返っていた。
「…そうですね」
自分でも信じられなかった。今、起きた事、全てが。
「さあ、早く。トラックに乗って。いつあの怪物兵器が戻ってくるか分からないから」
リンダは厳しい表情になってケイを急かした。
「無事なトラックがあるんですか?」
ケイはふらふらと立ち上がった。がくがくと膝が笑って、うまく歩けない。
「軍用の中型トラックが一台だけ。穴だらけだけど、エンジンと燃料タンクは無傷だったの」
足元がおぼつかないケイを、リンダは引っ張るようにして歩かせた。
発車直前のトラックに乗り込むと、ケイの隣になった若い兵士がヘルメットの顔面部分を開けて、露骨に顔を顰めた。
「うわ、何だぁ、こいつ、血だらけじゃないか。それにゲロ臭い」
「ダン、あんたってホント、最っ低」
ケイの目の前に座った兵士もヘルメットを開けて、顔を顰めている若者を声高に叱咤した。リンダよりも若い女性兵士だ。
「気にしないでね。こいつ、空気が読めないバカだから」
「ひどいな、エマ。本当の事だろ?まぁ、小便漏らしてないだけ、マシってとこか?」
「だから、そういうのが、最低バカ野郎だっていうのよ」
エマと呼ばれた若い女性兵は、ケイの隣のダンという兵士を睨みつけた。緑色の瞳を持った美しい少女が、その姿に似合わない悪態を言い放つのに、ケイは驚いた。
「二人とも、つまらん喧嘩はやめろ」
エマの左隣に座っているダガーが注意した。
「はいっ、軍曹。申し訳ありませんでしたっ!」
素早く謝罪するダンに、エマが呆れた表情で肩を竦めた。
「自己紹介しろ、コストナー」
軍曹の低い声に、車に乗っている人間の視線が一斉にケイに集まる。
「自分は、ケイ・コストナーです。新兵です」
上擦った声でケイは言った。
「隣にいた小隊の生き残りだ」ダガーが補足した。「ケイ。お前、歳はいくつだ?」
「十六です」
「そうか。ダンやエマと同い年だな。お前の隣がダン・コックス二等兵。正面がエマ・ヤコブソン二等兵だ」
名前を呼ばれたエマは、ケイに向かって小さな頭を微かに上下する。茶色の瞳の生意気そうな少年は、睨み付けるように目を眇めて鼻を鳴らしただけだった。
「それから、もう紹介済みだと思うが、リンダ・メリル一等兵。ダンの隣がハナ・サトー上等兵だ」
ケイの隣に座っているリンダが微笑んだ。優し気な顔立ちは、やはり兵士とは思えない。ケイよりずっと年上だろうが、可愛らしいという表現がぴったりの女性だ。
エマの隣のハナは、大きなアーモンド形の黒い瞳を持つ、涼やかな顔立ちの東洋系の女性だった。口元を引き締めて思案気にケイを見つめている。
「運転をしているのは、ジャック・レイノルズ一等兵。機械の修理や爆弾の配線を任せたら右に出る者はいない。助手席にいるのは、ビル・ロウチ伍長だ。我が隊の狙撃の名手だ。紹介はこんなところか」
少し沈黙してからダガーが再び口を開いた
「知っての通り、主戦闘地域の前線にいた味方は、ほぼ全滅した。中隊防護陣地も機能できない程の打撃を受けている。我が軍は総崩れ状態だ。生き残りはアウェイオンを放棄し、ハイランドまで撤退する。俺たちは遂行した任務を完遂する為に、ハイランドを通過し、ヤガタ基地に行く。この状況だ、護衛は付かない。単隊での行動になる。軍事同盟軍がこの機を逃さず我々を殲滅しようとするだろう。心して掛かれ」
「了解しました(イエス・サージェント)!」口々に返事をしてから、兵士達は銃を引き寄せた。
「任務?」
ケイがダンに尋ねた。
「そうだ。重要な任務よ。俺たちは生きてヤガタ基地に着かなきゃならない。だから、新米、お前は足手纏いになるなよ。自分の身は自分で守れ」
ケイを睨みながら、ダンが言った。
初対面なのに随分な嫌われようだ。だが、百戦錬磨の切込み部隊がどうして後方に配置されているんだと、レリックが首を傾げていた理由が、これで分かった。ダガー部隊は戦う為に、あの岩場に配置されたのではなかったのだ。
軍用トラックは猛スピードで悪路を走る。タイヤが絶えずバウンドして、奥歯を食いしばっていないと舌を噛み切りそうになる。
ケイは不安になって頭上を見上げた。太陽が白く輝く青空には、雲の切れ端一つ浮かんでいない。
悪魔の兵器は何処へ飛び去ってしまったのだろう?またあの黒い怪物が襲ってきたらと思うと、生きた心地がしなかった。
「あれは?」
何かを見つけてダガーが目を細めた。
「味方の敗走車です」
エマが素早く双眼鏡で確認する。後方から、もうもうと土煙を立ててジープが走って来る。まだかなり距離があるが、少しでも早くダガー部隊のトラックに追いこうとしているのか、随分とスピードを出している。
良かった。
ケイは安堵した。もしかしたら援護を買って出て、ヤガタ基地まで同行してくれるかもしれない。
しかし、ジープは、ケイの期待とは裏腹に奇妙な蛇行を始めた。
「走り方がおかしい。何かに追われているみたいだ」
ダガーが、軍用トラックの荷台後方に備え付けてあるガンマウントのハンドルグリップを握り、銃口を上げた。ダガーに続いて兵士達が銃を構える。
ジープの後ろに広がる土煙の中から、幾つもの短い閃光が走った。次の瞬間、ジープは爆発を起こして炎に包まれた。
炎の壁を突き破るように姿を現したのは、見たこともない形をした兵器だった。
「何だ、あれ?!」
ケイは恐怖で掠れた悲鳴を上げた。
「二足走行兵器に追尾されてます!」
双眼鏡を両目に当てたまま、エマが緊張した声を張り上げた。
兵器は巨大な二本足で走駆しながら、こちらに向かってくる。本体は戦車の砲塔に似ているが、人間が搭乗して操縦する大きさはない。その頭頂にはかなり威力のありそうな大型の機関砲を乗せている。機体の中心で点滅する大きな赤い光が不気味だ。
ケイは我を忘れてトラックの荷台から身を乗り出して、ダガー隊を追いかけてくる兵器に目を見張った。やはり、人は乗っていない。
「新参兵、お前、邪魔なんだよ!実射経験のない奴はすっこんでろ!」
ダンに思いっきり蹴り飛ばされ、ケイは荷台の中で転がった。
「撃て!」
ダガーの咆哮と同時に、突進してくる機械兵器に一斉射撃が浴びせられる。兵器は驚くような跳躍で身をひるがえし、ダガー部隊の攻撃をかわした。
機械にあんな素早い動きができるのか?ケイはトラックの荷台に尻餅をついたまま、機械兵器とダガー部隊の交戦を唖然と見ていた。
機械兵器は驚異的な素早さで銃弾を避けながら、軍用トラックとの距離を縮めてくる。確実に射程距離に入ってから撃つつもりらしい。あんな兵器から攻撃されたら最期、この隊も全滅してしまう。
「あいつの周りに弾幕を張れ。動きを止めろ」
ダガーが叫んだ。ダン、エマ、リンダ、ハナが一斉に機関銃のトリガーを引いた。弾丸に逃げ場を塞がれて、機械の動きが一瞬鈍った。その瞬間を逃さずに、ダガーが機械兵器に重機関銃を連射する。機械兵器は胴体を粉々に撃ち抜かれ、その場に崩れ落ちた。
「どうだ?」
「センサーアイは完全に破壊されてます」リンダがダガーに双眼鏡を手渡した。
「あそこまで壊せば、あの兵器のGPS再生機能も回復しないだろう。他の二足走行兵器が探知して我々を追尾して来ることはない。一体だけで助かったな」
残骸になった機械兵器を双眼鏡で確認しながらダガーが呟いた。
破壊された兵器が瞬く間に視界から小さくなっていく。軍用トラックの全く速度を落としていない事に、ケイは今更ながら気が付いた。激しく揺れる荷台から、ダガー隊は、縦横無尽に飛び跳ねる兵器を攻撃して撃破した。
すごい部隊だ。
(俺達は運が良い。特に新兵、お前はな)
レリックの言った言葉が頭に甦る。ケイは唇を噛み締めた。
「おい、腰抜け新米兵。大丈夫か?放心しているぞ?」
ダンが丸腰のまま動けないでいるケイを振り向いて、軽蔑するように、くすりと笑った。
「チビってないだろうな?」
「あー、またイヤなこと言ってる。ほんっと、あんたって、性格悪い」
エマがダンを睨みつけた。ダンが舌先を出してそっぽを向く。想像を超える事態が立て続けに起きて、ダンの言う通り放心状態に近いケイだったが、エマとダンの仲が最悪ということだけは、しっかりと把握出来た。
「軍曹、この新兵の子はハイランドで降ろしますか?」
ハナが初めて口を開いた。低音だが、透き通るように美しい声だ。
ダガーがケイを見た。鷹のような鋭い視線が自分に向けられる度に、自分の脆弱さを見透かされている感覚に捕らわれて、ケイは身が竦んだ。ハイランドで降ろしてもらえるなら、その方がいい。これ以上、この精鋭部隊の足手纏いになりたくはない。
「いや、一緒にヤガタまで連れていく」
ハナが意外な顔をした。
「どうしてですか?我々の任務には、兵士の救出は含まれていません。それに彼は、敵前逃亡罪に問われる行為を犯しています。ヤガタまで同行させるのは如何なものかと」
少し沈黙してからダガーは口を開いた。
「俺の見た限りでは、自発的な逃亡だったとは思えない。古参兵に無理やり戦線離脱させられていたようだ。それに、重装備だった俺たちの隊は別として、あの場所で飛行体の発射した兵器から逃れた生身の者はいない。ケイ・コストナー、こいつを除いてだ」
ハナは、はっと目を見開いて口を噤んだ。リンダは厳しい表情でケイを見つめ、ダンとエマが互いの顔を見合わせる。
「彼は、重要参考人だ」