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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
67/303

浮浪児ヴァリル ※

「ごめんね」

 

 若い女が、目に涙を浮かべながら、少年のぼさぼさの黒髪を優しく撫でた。


「もう、こうするしかないの」

 

 少年は鳶色の大きな瞳で女を見上げた。悲しみに歪んだ美しい女の顔を、瞬きもせずに一心に眺める。


「シハナに、あんたの面倒は必ず見るって、固く約束したのに…」


 女の掌が少年の頭から背中へと滑り落ちていく。

 地面に膝を付き細い腰を折り曲げて、両手でその小さな身体を包み込んだ。

 首筋に女の柔らかな息遣いを感じ、少年はくすぐったさに身をくねらせた。

 女の血色の悪い肌も、痩せた身体のどこかしこも、少年には美しく光り輝くものに見えた。

 女の褐色の 混じった柔らかな長い金髪に少年は顔をそっと埋めた。

 背中に両腕を回し、彼女の名前をその耳元に呟く。


「エジマ」


 このまま時間が止まってしまえばいいのに。

 そうすれば、少年と女が離れることはない。だが、そんな願いなど叶う筈もない。

 短い抱擁の後、女の手は忙しなく動いて、擦り切れたワンピースのポケットから何かを引っ張り出して、少年の幼い手の中に押し込んだ。小さなリンゴと固いパンだった。


「本当にごめんなさい」


 女の目から涙が零れた。


「父さんは、あたしたち、自分の家族を食べさせるだけで、精一杯だって言うの。孤児(みなしご)を養うお金はないって。だからって、あんたを南の国に売り飛ばすのは、あたしが絶対に許さない」


 さようなら、ヴァリル。頑張って生きていくのよ。あんたなら、大丈夫。


 女は少年をもう一度強く抱き締めると立ち上がった。

 二歩、三歩後退りしてから、少年の姿を自分から引き剥がすように身を翻して駆け出した。

 エジマのワンピースの裾がひらひらと揺れ動きながら自分から遠ざかって行くのを、ダガーはただ黙って見つめていた。

挿絵(By みてみん)

 その日を境に、ダガーは一人で生きた。

 最初は、ごみを漁って命を繋いだ。

 そのうち、一人より二人、三人と同じ境遇の子供達と組んで盗みやかっぱらいをして、生きることを覚えた。

 成長するうちに、どうやったら食べ物をもっと盗めるか、ダガーは頭を使うようになった。一人一人に役割を配すことで、盗みの効率を上げた。

 ねぐらが一緒の幼い孤児たちに食い物を分け与えてやると、自分に懐いて離れなくなった。

 幼子の糊口を満たそうと、ダガーは現金を盗むようになった。出所など分からなくても、金さえ払えば品物を売ってくれる店がフォーローン・ベルトにはいくらでもあるからだ。

 ダガーは自分より小さな子供を囮や目くらましに使って金銭を盗んだ。

 小金を持っていそうな大人に小さな子供を纏わり付かせ、驚き困惑している隙にその懐から財布を抜き取る。子供達の連携は大人の舌を巻くほど素早くて、成功することが多かった。

 打ち捨てられた地帯(フォーローン・ベルト)では、まとまった金を身に着けているのは大体が戦域帰りの傭兵だ。

 己の命を懸けて稼いだ金を隙あらば盗もうとする浮浪児を、傭兵の誰もが人間扱いしなかった。

 目と目が合うだけで、この野良犬め、汚ねえ害虫がと、声高になじって石を投げてくる。捕まると手加減なしに殴られる。力一杯投げられた石が、傭兵の容赦のない鉄拳が、運悪く小さな身体に当れば命を落とすことになった。

 最悪なのは銃だ。酷いのになると、幼子に拳銃を向けて容赦なく引き金を引く者さえいた。 

これは一発でやられるから、相手の動きをいち早く読んで、傭兵が銃をホルダーから抜く前に、建物の陰へと素早く身を隠した。

 それが出来ない小さな仲間は、次々と命を落としていった。

 仲間が絶えず殺されるのにさすがに嫌気がさした。

 ダガーは、すばしっこくて足が速く、頭の回転が良い浮浪児とだけ徒党を組み行動するようになった。自分が選んだ少年少女の浮浪児五人で、窃盗団を形成した。

 その中に、アシュルがいた。

 最初は上手くいっていた。しかし、ダガー達、少年窃盗団の悪名がフォーローン・ベルトじゅうに知れ渡ると、さすがに業を煮やした傭兵の親方衆が浮浪児狩りに動き出した。

 本気を出したプロの傭兵に浮浪児がかなう筈もない。

 必死で身を隠そうとするダガー達の行動は、親方衆に全て読まれた。フォーローン・ベルトで少しばかり名を馳せた少年窃盗団は、呆気なく一網打尽となった。


「おい!この浮浪児は、ダガーの所にいたガキじゃねえか?」


 後ろから首根っこをがっしりと掴まれて身動きできないダガーの顔を覗き込んだ中年の大男が、頓狂な声を上げた。


「ああ、やっぱりそうだ。ダガー、あの飲んだくれめ!こんな性悪な野良猫を町に放しやがって!こっちはどれだけ迷惑したか、あいつは分かってんのか?」


「ダガーのおっさんに文句言おうったって、もう無駄っすよ。ハイネさん」


 傭兵の一人がカラカラと笑って言った。


「この間の戦闘で、敵さんの機関銃に蜂の巣にされて死んじまったんだから。あいつの一番上の娘のエジマは、博打好きで大酒飲みの親父の積もり積もった借金のかたに、南方に売られちまったってぇ話でさぁ。酷えもんだ。」


 傭兵の話を聞いていたダガーは、滅茶苦茶に暴れ出した。喉が枯れるまで大声を上げ、自分の首根っこを掴んでいる男の指に小さな爪を立てた。


「痛え!なんだぁ?このクソガキ!急に暴れ出しやがって」


 恐ろしい怒鳴り声と一緒に、大きな拳が何発も頭と腹に降って来て、ダガーは気を失った。

 気が付くと、ロープで後ろ手に縛られて地面の上に転がされていた。アシュルと、あと一人の仲間の少年も一緒だった。少女たちの姿はなかった。


「女のガキ二人は、さっき、奴隷商人に売り飛ばした」


 ダガーを殴った中年の大男が、冷徹な目を細めながらにやりと笑った。


「さて、お前らだが、なかなかの身体能力を持っている。俺の、ハイネ傭兵団の隷属兵になるって言うんなら、お咎めなしにしてやるが、どうだ?」


 ハイネの合図で、三人の少年の腕から縄が解かれた。自分達をぐるりと取り囲んでいる傭兵の隙をついてどう逃げ出そうかと、ダガーは頭を巡らせた。

 横を向きながらのんきにお喋りしている傭兵の脇を素早く走り抜けて、すぐ近くの小屋の後ろに身を隠せば、脱出できる可能性がある。

 腰を浮かせたダガーの腕を、アシュルが掴んだ。思わずアシュルを見ると、彼はダガーを無言で睨んだまま、首を微かに横に振った。

 ふわっと空気が動き、隣の少年の身体が跳ねた。

 お喋り男の脇をすり抜け、一目散に小屋に向かって走っていく。ダガーが取ろうとした行動と全く同じだった。

 傭兵たちは笑いながらその様子を見ていた。

 一人が腰から目にも止まらぬ速さで拳銃を引き抜くと、少年目掛けて躊躇なく引き金を引いた。

 ぱたりと倒れた痩せた少年の首から、大量の血が噴水のように噴き出した。


「さすがだな、レント。ガキの頸動脈を一発で撃ち抜いちまった!」


「馬鹿な奴だ。ガキの考えることなんざ、こっちは、はなっからお見通しなんだよ」


 笑いさざめく屈強な傭兵たちに囲まれて、ダガーとアシュルは身を寄せてぶるぶると震えていた。


「さぁて、どうする?お前らも逃げてみるか?試してみる価値はあるぞ。失敗しても天国に行くだけだ」


 皮肉めいた口調で、レントと呼ばれた男は唇の両端をぐいと引き上げた。

 唇が捲れ上がった拍子にのぞく乱杭歯が、血に飢えた猛獣の牙にしか見えない。その恐ろしい笑い顔をダガーとアシュルは震えながら見つめていた。


「隷属兵になりますっ!ならせて、ください!」


 最初に口火を切ったのはアシュルだった。


 始めは蚊の羽音のような小さな声で、それからはっきりとハイネに聞こえるように、アシュルは何度も大きく口を動かして同じ言葉を吐き出した。

 恐怖で歯の根が合わないダガーは、ハイネの顔を見つめて小刻みに頷くだけで精一杯だった。


「よし。それでいい。ダガーの野良猫、こいつに命を救われたな。俺の団の稼ぎ頭になるように、お前らを立派な傭兵に仕立ててやる」


 ハイネは豪快に笑いながらダガーとアシュルの汚れた頭を大きな手で掴んで、乱暴に髪を掻き回した。


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