深淵・2
ベッドに拘束されているアシュルを見るのは辛かった。
舌を噛み切らないようにマウスピースを咥えさせ、頭部、肩、腕、腰、大腿部に拘束ベルトが巻き付けられている。
身動きが全く取れない状態が理解出来ずにアシュルはベルトを外そうと必死でもがき、大きな呻き声を上げた。
あまりの苦しみ様に、もう少しだけ拘束を緩めて欲しいとミニシャに訴えたが、この状態で自傷を起こすと命に係わるからとすぐに却下された。
「鎮静剤が効いてくれば楽になるから」
その前に、この暴れようだと内臓を圧迫して死んでしまう。
早口で訴えてから、ベルトに手を掛けた。ベルトを外させまいとする衛生兵の手が慌ててダガーの腕を掴んだ。それを荒々しく払い除けて、再びベルトを掴んだ。
「やめないか!ダガー!」
よく通る声が怒りを含んで病室に響き渡る。
後ろから伸びた複数の手に、両肩と腕を強く取り押さえられる。
声の主を睨みつけると、彼の鉄色の瞳が瞼の中で鈍く光り、半眼になった。
一回閉じた瞼が開くと、その中心に座る無機質な色がドアを向いた。
「軍曹を外に出せ」
ブラウンの無情な声を聞きながら、ダガーはアシュルを見た。
大きく見開かれた目は何も映すことなく、視線はただ空間を彷徨っている。極度の緊張と興奮の所為だろう、毛細血管が切れたらしい白眼が内出血で赤く染まっている。
「アシュル!」
名前を叫ぶと、束の間、アシュルはいつもの表情になって、ダガーを見た。ような、気がした。
「アシュル!!」
大声で叫び、自分を掴んでいる手を振り解いて、ダガーはベッドに駆け寄った。
「ぐっ、ああああ、あー!!」
アシュルの口から、甲高い悲鳴が上がり、真っ赤に充血した目から吹き出た涙が頬を濡らす。
「ヴァリル!やめて!アシュルが死んでしまう!これ以上、彼を興奮させないで!」
涙声でミニシャが訴える。彼女の顔には血の気がなく、蝋人形のようだった。
「あなたがいると、アシュルが暴れる。彼を落ち着かせるために、病室から出て!」
口を開けたが、言葉が出てこない。
血が滲むくらい唇を噛み締めて、ミニシャとブラウンに一礼してから、踵を返してドアの外に身を翻した。病室のドアが静かにスライドする。振り向きたいのを堪えて、外に出る。ダガーの背後でドアがゆっくりと閉じていく。
堪え切れずにダガーは後ろを振り向いた。
扉が閉まる瞬間、壁と扉の細い隙間から、大きく見開かれたアシュルと自分の視線が交差した。
アシュルの顔に浮かぶ感情を読み取って、ダガーは慄然とした。
恐怖。怒り。絶望。
それが全て自分に向けられていることに。




