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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第二章  絶望のインターバル
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恐怖の対人格闘戦・1


 貴重な戦闘訓練の時間を割いてミニシャに診察して貰った割には、何の実もない診断だった。

 多忙なミニシャにとって、悪夢で眠れないケイの悩みなど、さして深刻な話ではないのだろう。 


(ダンにミニシャさんとのやり取りを話したら、あいつまた怒るだろうだな)


 ぼんやりと考えながら、地下の通路を行き来する運搬車に乗せて貰って、ケイは生体スーツの特別訓練場に向った。

今日は珍しくガダーの姿がある。軍曹が見ているからだろう、ダンとエマがいつにも増して真剣に対人格闘戦を繰り広げている。二人に檄を飛ばしていたビルがケイに気が付いて、こちらに顔を向けて声を張り上げた。


「おい、ケイ!診察はどうだった?」


「ええと、その、病気っていう程の症状ではないそうです」


 ミニシャに言われた通りに報告すると、ビルは、あの藪医者め、適当な診断下しやがってと、盛大に顔を顰めた。


「気分が悪くなったら我慢せずにすぐに言えよ」


「はい」


「どうした?コストナー、体調が優れないのか」


 ダガーが二人のやり取りを耳に挟んだようで、ケイの近くに寄った。


「いえ、夢見が悪いだけで。そんな、体調が優れないとかは、ない、です」


 しどろもどろになって話すケイを訝し気にダガーが見やる。


「ダンから聞いたんですけれど、こいつ、同じ悪夢を繰り返し見るそうなんですよ」

 

 ケイより先に、ビルがダガーに説明した。


「悪夢?」

 

 ケイを凝視したまま、ダガーがすっと目を細めた。鋭くなったダガーの視線に身を竦めて、ケイは少し唾を飲み込んでから、はい、と小さく答えた。


「何の訓練もなしに生体スーツに搭乗させられたんだからな。そりゃ、副反応も大きいだろう。俺達のように十分に基礎訓練を受けてきてからだって、初めてスーツの人工脳に同期(シンクロ)した後は、結構酷い症状が出たからな」


「酷いって、どんな症状だったのですか?」


 およそ似合わない言葉がビルの口から出て来たのに驚いて、ケイは思わず聞き返した。


「床が波打って立っていられなくなるんだ。何故だか知らんが、平衡感覚が失われるらしくてな、その症状に一日中悩まされたっけ。エマなんか吐きまくって、死んじまうんじゃないかと肝を冷やしたぜ」


 あの子が。

 ケイは、ダンと格闘戦を繰り広げている自分と同い歳の少女を見た。


「チームの中では一番体格が劣っているからな。あいつは何も言わないが、今だってスーツ搭乗後の副反応は強く出るようだ」


「ロウチ、もうその辺にしておけ」


 ダガーが静かな声でビルを制した。


「すんません、軍曹。喋り過ぎました。別に、ケイを怖がらせるつもりじゃなくて」


 しょげて頭を掻くビルに、ダガーが左右に顔を振った。


「話を聞かせるのは、訓練の後にしておけという事だ。ヤコブソン二等兵は問題はない。精神と身体の調整は十分に出来ている。彼女は今すぐにでも戦闘態勢に入れる。問題はお前だ、ケイ・コストナー」


 ダガーはゆっくりとケイの前に立った。

 両足を薄く開いて腰を落とし、両腕を持ち上げる。肘を引き、腕を曲げると、細い二の腕に不釣り合いなほどの筋肉が盛り上がった。胸板の上で一本ずつ指を折り曲げ拳を作る。

 その構えが自分に向いているのを、ケイはぼんやりと眺めた。


「軍事同盟軍が停戦を解除するのは時間の問題だ。戦闘が再開されたら、チームαが最前線に立つ。それがどういう事か、分かるか?」


「は、はい。ええっと、その…」


「後に続く兵士達の命運を我々チームαが握っている。体調が悪くて戦えませんとは、死んでも言えないってことだ」


 ダガーが軽いジャブをケイの鼻先に繰り出した。目にも止まらぬ速さの拳がケイの顔面の一センチ先で風を切る。

 悲鳴が喉からせり上がってくるのをケイは必死で押し殺した。恐ろしさで冷や汗が顔面から噴き出す。


「構えろ。コストナー、今日は俺が対人格闘の相手をしてやる」


「うぇっ、ええっ!?は、はい。宜しくお願いします!」


 態勢を整える前に、ダガーの足がケイの顔目掛けて飛んで来た。

 咄嗟に腕をクロスして、ダガーの蹴りを辛うじて防いだ。ビルのように重くはないが、空気を切り裂く音が聞こえる程の速い回し蹴りだ。衝撃で自分の腕の骨がみしりと鳴る。

 その直後襲ってきた激痛に、全身の筋肉が悲鳴を上げた。

 ダガーはケイの腕から足首を跳ね上げて外すと、今度はケイの交差した腕の間を狙って、右の拳を躍らせた。再び顔面を防御しようとするケイが肘を持ち上げた瞬間、ダガーは瞬時に身を屈めて無防備になったケイの足を軽く払った。


「わあっ」


 盛大に尻餅を突き、思わず痛てぇと声が出る。慌てて顔を上げると、ダガーはだらりと両腕を下げたまま、無表情にケイを見下ろしていた。ケイに視点を当てたまま動かない鳶色の瞳が、獲物を今まさに屠ろうとする本物の肉食獣の目に見えてくる。

 ビルとの対人格闘とは全く違う抜き身の刃のようなダガーの気迫に、ケイは捕食動物に追い詰められた小動物のように、身体を震わせた。


「どうした。早く立て」 


「はっ、はいっ!」


 上擦った声で返事をしてから、ケイは両手を床に付いて尻を浮かせた。同時にぐらりと頭が揺れた。気が付くと、ケイは床の上に仰向けにひっくり返って練習場の高い天井を眺めていた。後頭部と背中の激痛で息が詰まる。


(一体何が起きたんだ?)

 

 ケイは自分の身体に起こった事を理解出来ずに、激しく瞬きしながら考えた。

 そうか。床に頭をぶつけたからだ。だけど、どうして、自分は床に転がっているんだろう?それに、とっても息が苦しい。空気が満足に肺に送り込まれない状態に思考が混乱する。

 ケイは自分の真横に屈んでいる人影に気が付いて、天井から視線を外した。

 視線の先に、恐ろしく冷徹な目をしたダガーがいた。

 恐怖を感じて更に息が詰まった。

 状況を探ろうと眼球だけぎょろぎょろと動かすと、ダガーの右手の指が自分の首の上に突き刺さるように揃えられているのが見える。ダガーの隣には、焦った顔をしたビルがいた。

 ビルの大きな手が、ダガーの腕をしっかりと掴んでいる。


「やばいっすよ、軍曹。ケイに怪我させたら、中佐と大尉に大目玉くらいますって!」


 ビルの言葉に、ダガーははっとして目を見開いた。

 ケイから瞳を逸らし、その喉から手を外した。視線と共に宙を少し泳いだ手が、ケイの片手を捕らえて床から持ち上げた。

 立ち上がったケイの手をダガーが離した瞬間、自分の呼吸が止まっていたことに今更ながら気が付いて、ケイはげほげほと激しく咳き込んだ。


「動きが遅すぎる」


 ダガーが静かに口を開いた。その低い平淡な声からは、やはり何の感情も読み取れない。


「敵はお前を殺しに来るんだ。相手の動作一つで、複数の攻撃の予測を瞬時に立てろ。フェンリルに頼ってばかりだと、二足走行兵器に攻撃パターンを読まれてしまう可能性がある」


「は…い。以後、気を付け…ま、す」


 ケイは喘鳴と共に声を絞り出した。


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